mojimojiさんのバカ論議によせて、ちょっと おもったことを かいておきます(バカへの信を問う - モジモジ君の日記。みたいな。)。
権力者は、「バカであること」から にげることができる。なぜなら、権力者であるから(笑)。いや、じょうだんでなしに、そういうもんですよ。
まえに「才能って なんだ」って文章をかきましたけどね、けっきょくさ、才能にせよ、能力にせよ、権力をにぎっていることで、確保できるものです。
時間やお金に余裕があればこそ、いろんなことを いうことができる。ただ「いう」のでなしに、「論じる」ことができる。
『理解のおくれの本質』という著書もある村瀬学(むらせ・まなぶ)は、2006年に『自閉症-これまでの見解に異議あり』ちくま新書で、つぎのように主張している。
関連する記事:「おのみちで「読書」をかんがえる」
権力者は、「バカであること」から にげることができる。なぜなら、権力者であるから(笑)。いや、じょうだんでなしに、そういうもんですよ。
まえに「才能って なんだ」って文章をかきましたけどね、けっきょくさ、才能にせよ、能力にせよ、権力をにぎっていることで、確保できるものです。
時間やお金に余裕があればこそ、いろんなことを いうことができる。ただ「いう」のでなしに、「論じる」ことができる。
『理解のおくれの本質』という著書もある村瀬学(むらせ・まなぶ)は、2006年に『自閉症-これまでの見解に異議あり』ちくま新書で、つぎのように主張している。
文明の中では、私たちは例外なく「おくれる存在」なのである。障害があろうがなかろうが、そんなことには関係なく、私たちは「おくれる存在」なのである。私たちの「前」に文明がある以上、私たちはそれにつねに「おくれ」まいとしてきているのだが、すでに後から「文明世界」に入るものとして、私たちは本質的に「世界」からは「おくれ」ているのである。…中略…「バカじゃない人」というのも、そういうふうに「見せかけているだけ」なんですよね。
…世界の中に「おくれる人」と、「おくれない人」がいるなどと考えるのは馬鹿げている。「おくれない人」がいるというのは、「いる」のではなく、「いる」ように見せかけているだけで、そういうふうに見せかける権力機構の中で「おくれていないように見せる位置」をキープされているだけにすぎない。…中略…一見すると「世界」の最先端をすすんでいて、「おくれ」とは無縁のように見えている人たちがいるが、彼らもりっぱに「おくれ」ているのである。ただそれを隠して、自分は誰よりもすすんでいるんだと見せかける術(権力的な位置)をもっているにすぎない(224-225ページ)。
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