おなじ発想

人生ながいながい。

小説いっぱい、たくさんだ。

階段、てっぺん はてしれず。


すべて おなじ発想で、おっくうがっていたようだ。わかってみると、単純だな。

でもまー、そんなもんなのかもね。人間なんて。
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魚のアラ

ハマチのアラをやすくかって、煮物にした。

にぼし、昆布、干しシイタケ、カボチャ、サトイモ、ジャガイモ、白ネギ、チンゲンサイ。塩、砂糖、みそ、しょうゆ、タカノツメ、粒マスタードとかで味つけ。うまい。

イカに 片栗粉と卵白、塩をまぶして油で いため、別のフライパンで タカノツメ、ショウガ、カシューナッツ、タマネギをいため、白ワインをぶっかける。生のトマトひとつとトマトジュース、水をいれて につめ、塩あじをつけてソースを完成させる。そのなかにイカをまぜて なじませる。うまいな。

最近ちょっと脱肉食ムードにいる。とくに理由はないのだが、べつに くわないでも こまらないというわけで。ムードにいる=実践しているってわけではありません。ともかく、魚料理が上手になれば こわいものなしだわな。

やすく うってる「アラ」で なんでも うまいものをつくれるようになれば、いうことなしじゃあ あーりませんか。
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わたしは詩人

くるりの あたらしいアルバム『ワルツを踊れ』をかった。「ブレーメン」は いい曲だあ。曲よし、アレンジよし。

ちなみに わたしは、音楽家なのであります。しっておられたか。作詞作曲ね。で、読者の みなさまが作曲とアレンジを担当されておられるのです。おほほ。おめでたや。死ぬまで なおさない。この「自分だいすき根性」は。

そんな わたしも。たまには不安にもなり、依存もし、あまっちょろく弱音をはいて、ぐずつきもする。けど、まーさ。あちこちから いろんなフィードバックが とどいたりもすれば、元気になろうってもんよ。単純なもんさね。

山本文緒(やまもと・ふみお)さんという小説家がいる。『紙婚式』という文庫があって、それが名作だという評判をきき、よんでみた。よかった。空気が よくなじむ。それで、4冊ほど文庫をまた かってみた。

おそらく。わたしは、山本文緒の世界に わたしをみつけだし、そして、あらたな わたしをつくりだすだろう。かぞえきれないほど小説をかくひとがいて、名作といわれるものも、はてしなくある。わたしには、滅多なことがないかぎり、小説は短編小説しか よめない。すべての小説家をしることはできないし、そもそも、乱読するほど すきでもない。けれど。いいひとをみつけたら、大切にしたい。

探索することばかりに、すこし、執着していたのだろうか。
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東京事変

そいえば しばらく椎名林檎(しいな・りんご)をきいてないなあと、東京事変をきいてみることにしました。これは いいー。

ちゃんとバンドの音になってますわね。歌だけでなくて、楽器が たのしく がんばってますね。曲調もいいし、たのしめそうだ。

ソロのころの「依存症」みたいな名曲があるかは わかんないけど、あれこれ きいてみるっす。
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はじまってしまえば

なにもかも、はじまってしまえば なんとかなるものだ。波にそのまま のれてしまうものだ。はじまってしまえば、その気になるものだ。

けどそれも、はじまってしまわなければ、なかなか わからないものだ。ときには、せなかをおしてもらうことも大事でしょうよ。

こどものころ ゆーうつに感じていたのは、自分がハタチになり、いつかは「おじいちゃん」のような年齢になるということが、信じられないということだった。あまりにも、とおくて はてしない道のように感じたから。

どうにも時間は ながれるし、どんなときも、それなりに波にのって いきていけるのだと、そんな あたりまえなことが わかったのは、そんなに むかしじゃない気がする。

めのまえに、はてしない階段が ひろがっていて、これは のぼれやしないって あきらめそうになった。それをいったら、「その階段も、いずれはエスカレーターに かわるときが くるであろう」と、そんなことをいわれた。なんという ありがたい はげましだろうかと おもう。そして、なんて ほんとのことなんだろうと、いま おもう。なにをも なしとげてはいないけど、それが ほんとのことだってくらいは、わかったようには感じる。

そして。

自分の時間を、ゆったりと とらえられるようになった いま、べつに階段でも いいやと おもう。エスカレーターじゃなくても いいやと おもう。

はじめてしまったことだから、もう波には のっているのだから、なにを心配することが ありましょう。なにをためらうことが ありましょう。エスカレーターじゃなくても。はてのない、頂上のみえない階段であっても。
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物理的環境で

音楽をCDプレイヤーで きいていたころは、しばしば「物理的に」ゆーうつに なっていた。「ああ、おわった。くりかえして きくのも いやだな。つぎ、なにきこうか」みたいな。それをえらんでるうちに、うつろな気分になったものだ。

けれども、パソコンで音楽をきくかぎり、そんなことはない。つぎつぎと、問答無用で だいすきな音楽が ながれる。ん、この曲をきく気分じゃないなと ふと感じても、ちょっと放置してしまえば、「そんな気分になる」のだ。

まよう気もち、しんどい気分、しずんだ おもい。とりこまれるように つつまれることもあるわけだが、さらりと、かんたんに とりはらうことが できるときもある。物理的な状況次第で、感情なんて、案外けっこう うまくいく。物理的状況って、収入だとか、たいせつなだれかとか、そこまで おっきな話じゃなくて、音楽をCDプレイヤーかパソコンできくか、なんていう、くだらないほど ちっさなことで、どうにかなる感情もある。

それならば。

環境を、よくかんがえなくてはいけない。ちょっとした、ささいな工夫をこらしてみないといけない。なにが できるだろう。なにをしては、いけないのだろう。
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新刊とか

◆田中克彦(たなか・かつひこ)『エスペラント-異端の言語』岩波新書。これは期待できる。

◆杉野昭博(すぎの・あきひろ)『障害学-理論形成と射程』東京大学出版会。翻訳本より、こういう本のほうが役に たつでしょね。ありがたや。

◆雑誌『フリーターズフリー』創刊号。話題の雑誌です。

◆DPI日本会議『問題てんこもり!障害者自立支援法-地域の暮らし、あきらめない』解放出版社。

◆ピープルファースト東久留米『知的障害者が入所施設ではなく地域で暮らすための本-当事者と支援者のためのマニュアル』生活書院。

◆河原ノリエ(かわはら・のりえ)『「ややこしい子」とともに生きる-特別支援教育を問う』岩波ブックレット。

◆国立国語研究所 編『新「ことば」シリーズ20-文字と社会』

『リテラシーズ』3号

以上のいくつかは、購入ずみ。あと最近かったのは、

◆『オーストラリア・女性たちの脱施設化-知的障害と性のディスコース』

◆『スウェーデンからの報告-施設、地域生活、当事者活動』(施設変革と自己決定1)

◆『権利としての自己決定-そのしくみと支援』(施設変革と自己決定2)

◆ベルナール・ウェルベル『蟻』、『蟻の時代』、『蟻の革命』。

いよいよ夏になってきました。4キロやせて、ただいま70キロ。67まで おとすぜ。全盛期は84キロまで いったが、やっぱ60キロ台後半が いい。
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ほんとのことは、うそをつく

すべてが、うらがえる。どんなものでも、ひっくりかえる。

ちょっと そこの あなた。「さみしい」って いってごらんなさい。どう、いってみた? かんがえてみた?

で、どうなのよ。じっさいのところ。ほんとに そうだと感じる? それとも、そうでもないかなって おもう? どっちでも あるかな?

べつに なんでもいいのよ。「最近つかれた」とか、「毎日が たのしい」とか、「なにかが ちがう」とか、どんなことでもいい。なにかを感じてみて、ことばにしてみて、ふりかえってみてくださいな。どれだけ ほんとのことであっても、しっくりこない部分も のこるはずよ。そうでも ないなって ところが あるはずなのよ。そこまででもないよとか、あるいは、さっき ごはん たべたら そうでもなくなったとか。

どんなに ほんとのことでも、「ほんとの意味で」そっくりそのまま「ほんとのこと」なんかじゃないのよ。なにをいっても、うそをふくんでいるのよ。事実を純粋に きりとることなんて できないわ。だれにも できることではないわ。どんな ことばでも、あらわしきれないものよ。あなたの気もちや状態なんて。ひとの心なんて。わたしの人生なんて。

それだったらね。計算づくで結果オーライをねらいなさいよ。じょうずに ほんとのことをいいましょうよ。それはつまり、じょうずに うそをつきましょうってことよ。

うそをつくのをためらってはいけないわ。ほんとのことをいうのをこわがっても だめよ。自分のため。自分のためだけに、上手に うそをつき、ほんとのことをいえば いいのよ。ほんとも うそも、結局は ことばの限界だとか感情の複雑さによるもので、人格の問題じゃないの。ほんとも うそも、いっしょのことよ。程度の差があるだけよ。

もちろんね。程度の差が すべてを支配しているのだから、程度の差をみとめるだけでは なんの説明にも なってない。けど、すこしだけでも、ふわっと気もちが かるくなるなら、それで ひとつ、まえに すすめたことになる。

たぶんだけどね。自分のためであるなら、どんなうそも、どんなに ほんとのことも、いってしまって いいんじゃないかしら。まーね。自分のためってのも、いろいろあるわ。すべて結果が勝負なのだから。結果さえ よければ、ちょっと「ひとのため」に みえてしまっても、もちろんいいのよ。けど いつも、計算だかくなければ だめよ。

ひっくりかえるのも、ひっくりかえすのも、自分のためでなくては いけない。
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マンガ『男の操』

おとこの みさお。業田良家(ごうだ・よしいえ)作。

名作『自虐の詩』をこえたかも しらん。うれない演歌歌手の五木みさお(いつき・みさお)が「男の操」という曲で人生をかたるみたいな。妻と死別し、むすめと ふたりぐらし、妻の のこしたビデオテープで元気をだす。ふんいきは、いつもながらの ふざけたゴーダマンガなんだが、これまた後半で なかせる展開にもってくる。それが『自虐の詩』よりも過剰なかんじで、しかも「男の操」などと、あまり ひとに共感をえられそうにない主題で勝負している。このみは わかれるかも。

まー、わざなんでしょうね。わたしゃ「みさお」だなんて、「ぺっぺっ」てかんじですけれども、どっぷり のめりこめたのだもの。

過去に すがるのは、それが楽だからで、また、もうじゅうぶんだからだ。だから、べつに過去に すがりつづけるのも、わるいことじゃあないだろう。けれど、目の前に あらたな とびらが ひらかれているのだとしたら、とびこまないのは あほらしいことよ。

過去なんて、現在のありよう ひとつで、どこまでも うすぎたないものに ぬりかえることだってできるし、その逆も可能なのよ。なにもかも かたちがなくて、すべてが おぼろげで、たよりなく かんたんに くずれさってしまうものだから、ひとは いきていけるのでないかしら。すべてが。
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ほしいもの

倉庫みたいになってた部屋をかたづけた。ひろびろしている。

部屋のまんなかに イスだかソファーだかをおいて、のんびり読書できるようにしたいわ。無印良品で うってたイスは、かなり くつろげそうなかんじだった。ソファーよりはイスかな。

かたづけてみると、こんな本をもってたんだなとか おもいだし、ああ こんな本まで2冊かってしまってたのかと がっくりくる。

なんだかんだいって、学習障害についての本や論文をあれこれ たくさん もっていることを再認識。文章にしなければね。

まー、しばらくは。研究のことは わすれる。ふと わきあがる、いてもたってもいられないをのんびり まつことにする。最近は、自分の人生を、ちょっと ながい目で みられるようになった。いまは、ひきこもりがちな生活を、しばし さよならするときで、そとにでて見聞をひろめる時間をたいせつにする。あせることはない。たのしむだけさ。
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うんこ/しっこ

うんこ/しっこ。

たべものに かかわる仕事をするのを人生の目的のひとつに おいていますが、うんこ/しっこも はずせない。こどものころ職業蔑視をしていたので、そういう意味でも はずせない。

まず、しっこの世界も ふかいですね。最近いろんな しっこを目にしていますが、「え、ちょっと…。それはない(笑)」という しっこに でくわすこともあり。けどまあ、気になるのはオシメですね。

成人男性でオシメのなかに尿パッドも する場合、朝どうなるんだろう…と気になる。勃起しても だいじょうぶなように気はつかうのだが、ううむ。空間に ゆとりは あるので、平気だろうけれど。オシメというのも、よくできているもので、尿をたくさん すっているのに、さわっても そこまで手が ぬれませんね。けど、自分でもオシメつけて ねてみなければと おもいます。

カテーテルとかも、じっさいに みてみると やっぱり一大事で、これは きついと我が身のことのように想像してしまう。想像したところで、いたくも かゆくも ないけど。

ノロウイルスが流行したときの悲惨さをきいたのだが、おそろしいですね。職員も やられてしまい、すくない職員で まわしていって、という。

においでいえば、ずっと かいでいて不快なのは、うんこではなく しっこだ。うんこの においは、そこまで いやじゃない。しっこは、時間とともに においが ついてくるというか、そういうところがありますね。だしてすぐの しっこは清潔だという話があるように。

うんこが きたないという認識が まったくないのも どうかと おもうのだが、あまりにも潔癖すぎるのも よろしくありません。シモの世話は できないなあという話をよく ききますが、そんなに いやでしょうか。うんこが いやではない わたしには、そのへんの感覚が よく わからない。

「うんこ たべとるときに ごはんの話をするな」という じょうだんが あるそうですが、メシをたべながら、それくらいのことは さらりと いってしまってくださいね。

めしをくわねば いきてかれないが、うんこも ださねば いきてけない。

うんこの名のつく本があったと おもうのだが、なんだっけと検索した。『ウンコ・シッコの介護学』だ。かって べんきょうしよう。いかにオシメをはずしていくかという老人介護の本のようですね。

あ、わたしは人より鼻が わるいので、そのぶん くさい においにも つよいのでしょう。まあ、なれるもんですよ(笑)。おほほほほほほ。

ひとは、かわるのよ。
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こぼれおちる

わはははは。最高に たのしい毎日ですよ!

こころから そう いえるとしても。人間はイチかゼロかで できちゃいない。しあわせだと公言すればするほど、ちょっとした不満が すこしずつ おおきくなってくる。こぼれおちた しずくが、こころの底をうずかせるのだ。それが ほんのすこしの、なんでもない水滴であっても。

たのしい、たのしいと さわいでいるのが いまならば、いつか頂点に達して、そこから おちていくのは あきらかだ。

とはいっても。

どうせ しずむんだから船をこぎなさんなとは いえないものよ。そんなはなしが とおるなら、いきていく意味さえ うしなってしまうのですから。どうせ死ぬんですからね。

けれど。いいきかせるように、ごまかすように「しあわせ」になってはいけないものよ。

だからといって。きまぐれで ふざけた自分の ゆーうつに、つきあっても いけないものよ。こうべをたれて、石をけって あるいて。それが なんだというのですか。そとに むけたアピールでしかありませんでしょう。

それだったら。正直に いえばいいのさよ。だれかに。そのへんの、だれかに。特別な だれかなんかにじゃなくて。はきだして すっきりするのは、相手なんて どうでもいいのよ。だれでも いいのよ。特別な だれかなんて、どこにも いないのよ。

こうやって またひとつ、自分をときほぐす。べつに だれでも いいのだ。逆の いいかたをすれば、べつに「あんた」じゃなくて いいのだ。「わたし」じゃなくて いいのだ。

なにが?(笑)。
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ぼかす

このブログには仕事で感じたことなどをよく かいている。具体的には かけないし、かきたくないので ぼかしてばかり かいている。くだらない一般論になるばかりで つまらない。いきおいで かきちらしてしまうからでもあるが、筆力の問題でもあり、わたしの かんがえていることが どうしようもなく あさいからだ。

だれかのことをかたるとき、わたしたちは、どうしても自分のことをかたっている。自分の なんらかの感情をいっしょに まぜこんでいる。このひとは「元気そうだ」という印象さえも、そのときの自分の状態や心情が反映されている。

やさしくいられるのも、だれかの おかげであるということ。ふみこむってことは、きれいごとでは すまない状況にも おちいるものだということ。

いろいろと気づかされるが、ただ ぼんやりと ながれていく。あまりにも毎日のことだから。ただ いえるのは、毎日のように爆笑し、手をつなぎ かたりあい、あるいは、みつめあい、こんな たのしいことは ないということ。

損をしているのは世の中で、わたしだけ いいおもいをしている。けれど、わたしなどをたのしませるために、うまれてきたひとなど、ひとりもいないのだ。

いいおもいをしているぶんだけ、わたしは責任をおっている。かりをかえし。けりをつけて。ひきうけず。ちがうところに ふみこみ。

そのためには。

どうすれば いいのか。そこのところは。ぼかしていても はじまらない。
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記述は写実に なりえない

ある日 お仕事にでかけ、仕事場に よいこらせと到着しました。

わたしの すきなひとは、にっこり わらって、わたしのほっぺに やさしくキスをしました(実話)。
えーっと、ほんとうの はなしなのですが、感じたまま、体験したままを かいているのですが、「ほんとうのこと」って なんなんでしょうね。

わたしの すきなひとだし、「にっこり」わらっていたし。たしかにキスだし。けれど、ほかのひとが その現場をみたら、そのようには記述しないかもしれないでしょしょ。にっこりを、「薄気味わるく」と表現するかもしれませんしね。キスを、自分の顔をこちらに「なしりつけてきた」と かいたりするかもしれませんしね(笑)。

そのひとと、そのもうひとりの関係は、独自の世界で できあがっているもので、それを「自分のことば」で表現することになる。そこで主観をできるかぎり排除して写実的に かこうとも、それで「外にむけた」記述になるかといえば、そうでもありません。けれども、どのように表現されたかをもって、その関係をうかがいしることは できましょう。でも、しばしば「(あなたにとって)わたしって、なんなの?」などという会話が みられるように、どういう関係かなんて内輪でも わかっちゃいないのです。他人だからね。

てか、そういうはなしじゃなくてだな。

うけとめかたは、独自のものだ。そういうわけで、記述は、写実的には なりえない。そういうはなしだ。

それよりは、ぼかして あいまいに かいたほうが、おもしろいじゃないか。いや、おもしろければ いいとか、それだけで すまないから客観的たろうとするわけでして。ま、ここは そういう場ではないので、あくまで ぼかして おぼろげに かいていきます。
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ひきうける

役割分担。それぞれの社会貢献。おまかせしたり、まかせられたり。

すべてをひきうけることも できないわけで、結局のところ、ただ、自分の居場所をさがしながら、そのときその場所で、自分の仕事をこなしていくだけだ。そのとき、その場所で埋没するときもあれば、わかれ道で迷い子になるときもある。そんなこんなで、ひとつや ふたつのことを、ひきうけていくだけだ。

やさしい ひともいれば、おこりっぽい ひともいる。

けれど。

よくみてごらんなさい。どちらも、そういう役を演じてるにすぎないでしょう。「演技」ってことじゃない。そういう役まわりをあたえられているってことです。いやがおうにも、そのようにならざるをえない状況にいるってことです。

すきで やさしいわけじゃない。すきで声をあらげるわけじゃない。もちろん、度をすぎては いけません。バランスが とれていなけりゃなりません。

けどね。少々のことでしたら。

おこる気もちを、わかってあげねばなりません。やさしすぎる よわさに、理解をしめさねばなりません。

だから。

たぶん、あなたは あなたで、それでいい。バランスだけは みうしなわずに。状況を把握して、役まわりをさがすのです。状況に支配されずに、いや、支配されつつも、状況を支配する。いや、支配できなくとも、状況に参加し、ともに つくりだすのです。なにをって、社会をでしょ?
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