タカマサさんにトラックバックをいただいたので、一点だけ おかえし。
資源消費という次元でくらべれば、農産物/畜産物/魚介類は連続体である - タカマサのきまぐれ時評2
それがベジタリアニズムでなければ、「政治経済学的に肉食をとう」という作業は、なんというものでしょうか。
わかった。
「肉食の政治経済学」ですね? わかります。そして、そこに とどまることなく、「環境の政治経済学」に つきすすむわけですね? すっごく いいと おもいます。
わたしには、あんまり じょうずにできそうにないですが、ものすごく賛同します。
あ、タカマサさんの記事に「動物性たんぱく質消費の政治経済学」って明確に かいてあった。ともかく、わたしが いいたかったのは、いま現に「動物性たんぱく質消費の政治経済学」をやっているのは、まさにベジタリアンです、ということ。
わたしはベジタリアンなんですから、ベジタリアンがベジタリアニズムをかたるのは、当然というか、そうなるほかはないものです。「もちだす必要があるか」と いわれたら、ちょっと(笑)。
資源消費という次元でくらべれば、農産物/畜産物/魚介類は連続体である - タカマサのきまぐれ時評2
■問題はだね。こういった問題をかんがえるために、「ベジタリアニズム(vegetarianism)」といった思潮群をもちだす必要があるかだ。■はっきりいってないとおもう。「動物性たんぱく質消費の政治経済学」とでもいうべき問題群は、「ベジタリアニズム」といった理念・実践とは別個になりたつし、せいぜい健康問題について参考になる程度じゃないか?ベジタリアニズムは、なんらかの根拠にもとづく生活実践ですよね。たんに思想にとどまるものではない。わたしは、問題をかんがえるだけで満足したいのではなく、問題に とりくみたいわけです。ご承知のとおりね。
政治経済学的な貧困問題、格差問題、収奪問題として、「肉食」の個々の是非をとえばよく、そこに、地理学・民族学・歴史宅・社会学等による食文化の歴史問題を参考程度にからめればすむだろう。それこそ、ベジタリアニズムだと おもうのですが。
それがベジタリアニズムでなければ、「政治経済学的に肉食をとう」という作業は、なんというものでしょうか。
わかった。
「肉食の政治経済学」ですね? わかります。そして、そこに とどまることなく、「環境の政治経済学」に つきすすむわけですね? すっごく いいと おもいます。
わたしには、あんまり じょうずにできそうにないですが、ものすごく賛同します。
あ、タカマサさんの記事に「動物性たんぱく質消費の政治経済学」って明確に かいてあった。ともかく、わたしが いいたかったのは、いま現に「動物性たんぱく質消費の政治経済学」をやっているのは、まさにベジタリアンです、ということ。
わたしはベジタリアンなんですから、ベジタリアンがベジタリアニズムをかたるのは、当然というか、そうなるほかはないものです。「もちだす必要があるか」と いわれたら、ちょっと(笑)。