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いま、そのとき、かんがえつつあること。

映画『達磨よ、ソウルに行こう!』

2006-10-31 | 映画
『達磨よ、遊ぼう』の続編。

やばい。これは爆笑ものだ。はらをかかえて必死になって わらいころげるようなシーンが何度かでてきた。これは おもしろい。前作が よかったからこその飛躍。くみたてが すっごい よろしい。

今回のなぞかけは、なるほどなあと おもわせる。やっぱり一瞬で わかってしまったけど。缶に はいった ばらばらの数珠のたまをぶちまけたあと、「それを缶にも数珠にも さわらずに もとにもどしなさい」とおっしゃる。なぞかけをするのは、前作の老師の師匠(?)に あたるひと。

「オレが、オレが」という執着心をとりはらえたとき、みえるものがある。というか、「オレが、オレが」が みえなくさせるものがある。今回は老師が むかし世話になっていた寺をたずねてソウルに上京してみたら…というはなし。その寺が借金で とりおさえられてて、ビルの建設計画が進行中だった。それをとめようとする坊さんたちと、たててしまおうとする商売人(やくざあがり)の対決。「アニキってよぶな!」と「部下」に あたりちらす「上司」が印象的。やくざだって つらいんだぞという側面が かたられる。最後のほうで「蜘蛛の糸」のカンダタみたいな光景がでてきて なんとも象徴的。こんどは、なぞときが伏線として つかわれている。おもしろい。なっとくのいくハッピーエンド。

クリスマスのうたをうたう小坊主が めちゃくちゃ かわいい。

映画『達磨よ、遊ぼう!』

2006-10-31 | 映画
韓国の映画。

韓国にいたときに1回みたことがあったのだが、これは やっぱりおもしろい。やくざが襲撃にあって、いったん身をひそめようと山寺のやっかいになるというはなし。やくざと お坊さんたちは一見まったく ちがう属性にみえて、そうでもないんだなというところの内容。たとえば、やくざが山寺にきたとき、まず「オヤブンはどこだー」というのだけれど、それはもちろん、やくざの いいまわしなわけだけど、親分/子分の関係は、坊さんたちにもあるのだった。ほかにも、海兵隊つながりがあったり、「むかしは やんちゃだったのよ」という坊さんがいたり、「こうみえてケンカつよいのよ」というひとまでいたり。

エンターテイメントな仏教映画ということで、ふしぶしに仏教というか、禅の思想がでてくる。老師のいうことが あれこれ印象的。最初に であったときの「めしは くったか」も いい。「あなの あいた かめを水でいっぱいにしなさい」という なぞかけも すき。わたしは、一瞬で こたえが わかりましたけれども。

「ただ うけいれる」というのがテーマになっていて、あとは異文化交流の妙味といったところ。ヤクザも 坊さんもチョッグが だいすきというのは、たいへん「韓国的」で なるほどなと おもう。チョッグというのは、足でするテニスみたいなもの。日本でも やらないことは ないでしょ。あれは、軍隊でよくやるそうだ。それで、40すぎの おっさんが「チョッグやろうぜチョッグ!」とか うるさかったりする。ま、わるくいえばオトコタチの連帯感のシンボルみたいなもんだね。

おまけ的に おんなの坊さんがでてきて、そのひとが たいへん「清潔な」かんじのひとで…という、やっぱりオトコタチの映画ではあるね。

けどまあ、そういった面をわきにおいてみると、たのしく みられる映画だ。

その きれいなお坊さんが お菓子を老師にさしいれして、おっほーとかいって よろこぶ笑顔がまた よろし。坊主あたま(まるがり)って、かおが魅力的になるんだろうか。坊さんたちの表情をみているだけでも たのしい。

映画『春の日は過ぎゆく』

2006-10-26 | 映画
いつのまにか、わたしは「朝型にんげん」になっていた。7時にきっちり めがさめて、原稿をしあげる。よくできました。あとちょっとで完成か。

そのあとは、だらだら。うーん、松田洋子(まつだ・ひろこ)のマンガ『まほおつかいミミッチ』2巻をよみおわったとか、あーどうでもいい(笑)。3巻がもうすぐでるね。

あとは、かりてた映画をみた。

おもいきし恋愛映画。みおわった印象としては、『ジョゼと虎と魚たち』に ちかいものを感じた。だいぶ内容ちがうけど。イ・ヨンエの演じるウンスに共感したからかも。ふられるほうより、ふるほうが魅力的なのに きまってる。

この映画でのユ・ジテは、わかいハン・ソッキュみたいだなーと感じていたら、監督は『八月のクリスマス』のひとだった。なるほどー。しずかに ながれる時間をうまいこと えがきますね、このひとは。音楽もよろしいし、「かぜがつくる音」もすてきだ。ちょっと ながく感じられたけど、まあ満足だ。

ラーメンを効果的につかってるなあ。韓国では生麺ってのは例外的で、即席麺が主流。具だくさんなわけでもなく、いかにも「軽食」というのが韓国のラーメン。ちなみに、生ラーメンは、たいがい麺がのびてます。日本のようなのは、「火がとおってない」と苦情をうけるそうです。カップ麺でいえば、三養ラーメンのうどん味が だいすきだった。紙の容器でっせ。

DVD特典に東京国際映画祭での模様がおさめられている。公開後の質問コーナーで最後にイ・ヨンエが いうてたことに感心。このひと、ほんと すてきやね。
「ふたりが別れるとき、サンウは後ろを振り返った。ウンスは後姿だったけど正面はどうだったのか。彼女の正面の姿を想像してみてください。それが皆さんの本当の姿かもしれません。過去、あるいは未来のね。」
『春の日は過ぎゆく』(2001 韓国)[movie][dvd](ごくたま昨日日記)より引用
わすれたころに、もっかい みようかな。

からさにも2種類ある

2006-10-24 | 料理
なんか しらんけど、つかれたまっとるわ。あした やすみといっても、やらねばならんことは おわりそうにない。そもそも きょうは、あれやこれや しすぎだわ。料理と授業と。店は来月から「しんどいメンツ」になってしまうので「おもいでつくろーぜ」とかいって朝イチから もらいもんのサカナを料理。いまから たべるかというときに お客さんがきてしまって がーん…(ふざけすぎ)。授業のほうは ひとが ちょっと ふえたので わらいのたえない たのしい時間をすごした。韓国の家父長制をかたってみたり。

まえおきが ながいのは、くだらないはなしだからなのです。

からさにも2種類ある。それをきのう、きょうと おもいしらされることになった。犯人はもちろんハバネロ。

おとつい自分でハバネロのトマトソースのスパゲティをつくったのです。ちょっと からいくらいねえ。ちょっと びびりすぎたわねえ、もっと からくてもいいねえ、などと おもっていた。の、だが、うう。つぎの日のあさ3時すぎ、ねるまえになってハラがいたい。ばか3人で2時までカラオケにいったあとのはなし(←おもいでづくり その1(笑))。

すこしまえに、ハバネロをたべると おなかをくだすというはなしをきいていて、ふーんと おもっていたのだが、わたしも体験することになってしまった。1時間ごとに おきてしまった。おしりが ちょっと いたい!

そして その日の昼ごはんは店長がつくってくれて、激カラのカレーだよということだったんだが、「からくないっすよ」「めっちゃ うまい」とか平然としてたら…。もーちくしょう。きょうのあさ またやられた。4時すぎくらいから何度も。下痢というほどではないんですがね。


まえに、めちゃくちゃ からい料理というのを何度か たべたことがあって、そのあと おしりが いたくなったこともあるんだが、「くちに いれるときは そんなに からくなくて、そとにだすときに からい」ということもあるのだなと。さすがハバネロだなと。もーハバネロいらねーよと。

ごめんなさい。くだらないですね。おなかは ちょっと くだったんですけどね。

中村うさぎ入門 - 『私という病』

2006-10-21 | ほん
中村うさぎ(なかむら・うさぎ)さんの本は、石井政之(いしい・まさゆき)さんとの対談本『肉体不平等-ひとはなぜ美しくなりたいのか?』平凡社新書をかるく よんだだけだった。

中村さんには『噂の真相』の連載「メディア異人列伝」(永江朗=ながえ・あきら)で とりあげられていたのをみて注目していたし、『噂の真相』の休刊号にむけた中村さんのメッセージをよんで、感動をおぼえたりもした。

エッセイ集は どれをよんでも おもしろそうだと おもいつつ、ずっと よまずにいた。『私という病』新潮社は意外にも今年でた本だ。

これをよもうと おもっていた。この本こそ中村うさぎの入門書として うってつけだろうという感触があったからだ。

「わたしとは なにか」。そうじゃないんだよね。「「わたしとは なにか」とは、なにか」、「なぜ「わたしとは なにか」なのか」ということ。基本的に女性むけの本だといい、また、「オカマと女性むけ」に かいているという。よんでいて おもいだされるのは、わたしに ちかしい女性たちとの会話のふしぶしなのだった。

シュフさんにダンナの悪口をかたっていただくことほど たのしいことはない。なんたって じょうぜつなのだもの。妻が家事をするのは当然のことだとダンナは おもっていて、たまに家事を「してやる」ことで感謝され、快感をえようとする。してやるという気もちでいるから、その家事のできぐあいをつっこまれると、とたんに「すねる」のだ。そんな話をしていると、うるさいほどに じょうぜつになる。ふだんの うっぷんをはらすかのようにだ。

これは、他人ごとか? そうではないようだ。すでに わたしは みすかされている。「あべさんも結婚したら そうなるよ」。

「きっと、この人たちには、私の言葉なんか全然通じないし、ものすごくどうでもいいことなんだろうなぁ」(107ページ)。この人たちとは、「男」のことだ。「そんな私のメッセージをちゃんと受け止めてくれる男もいるんだと知った時、涙が出そうにホッとしたわ。[中略]助けて欲しいって言ってるんじゃないの。どのみち、自分で這い上がってみせるから。ただ、這い上がろうとする私たちの手を、泥靴で踏み躙らないで欲しいだけ。[中略]そういう男たちが少な過ぎるのよ」(123ページ)。すくないが ゆえに一定の数だけ確保される「善良な男たち」。

いくらシュフの不満に共感してみようとも、「だが、男たちは女たちの分身にはなれない」(130ページ)。「最近、男がきらいなのが わかった」という。その「男」に わたしは ふくまれないのだという。だがそれは、わたしが「非男性的ふるまい」をつづけるかぎりは保障されることにすぎない。いつまでも「非男性的」でありつづけるほどには、わたしは「非男性的」ではないということを、わたしは しっているのだ。

「男」が「男であること」をかんがえるとき、どれほどに ふかく ほりさげようとも、「自分のありかた」をつきつめようとも、いや、そうすればするほど、そこには快感がともなってしまう。そして、安心されてしまう。ほめられてしまう。そうして、自己批判は自己陶酔へと はまりこんでゆく。

だとすれば、「ききいれる」ことに徹しなければならない。耳をかたむけなければならない。関係の非対称性を、つまり現実を、うけいれなければならない。ただ ひきうけることに徹することによってこそ、「わたし」は すくわれるのではないか。

つっこんだはなしをしているとき、相手の話にすぐさま反応できるのは、あまり相手の話をきいていないか、きちんと うけとめていないかだ。沈黙をもって応答する。うなづくこともなく うなる。空をあおぐ。まず、そうしてみることが必要だ。

いや、もっと根本的な話なのだろうか。「ねぇ、お願いだから、女を「人間」として、対等な目線で見てちょうだい。相手を人間として見ない限り、「理解」も「共感」も生まれないでしょう?」(110-111ページ)。

よい関係をきずきあげるのは、ほんとうに たいへんなことだ。わたしの満足は、相手の不満足によるのかもしれず、わたしの不満は、同時に相手の不満でもあるのかもしれない。対等になることは むずかしいことだ。しかし、たいせつなことは そんな「一般論」ではない。いま現に対等ではないという現実そのものなのだ。

…と、かんがえさせられるような「本気で かかれた本」なのでした。
…できれば私は、脳内で組み立てられた理論ではなく、自分の体験と肉体から生まれた思想を語りたいのだ。そこに私という人間の実感がこもっていなければ、私の言葉には「本気」が宿らない気がするからね。「本気」の宿らない言葉には他人を説得する迫力がないと、私は頑迷に信じているの(「まえがき」2ページ)。
この本は、すぐれたフィールドワークにしあがっています。感服(してる場合じゃないか?)。

ハバネロはタバスコみたいな味になる

2006-10-18 | 料理
ハバネロは危険だ。なにが あぶないって、さわった手が「刺激物」になることだ。はだの敏感なところをさわってしまおうものなら、ひりひりしてしまって いたくてしかたがない。つたわる表現か わからないが、「あおい からさ」がある。

パスタのほかに、ハバネロどんぶりをつくってみた。ニンニク、ベーコンと野菜をいためてトマトを最後に。からいんだけど、さわやかで しかも、しつこくない からさ。けど、うまいとは おもわない(笑)。

ピザもつくってみた。配達系のピザ屋のメニューでよくあるピーマンのわぎりのようにハバネロをトッピング。よくばりな わたしは、具だくさんにしてしまうので、すでに内容は わすれたが、トマトソース、乾燥オレガノ、マッシュルーム、タマネギ、ゆでたまごのスライス、油で あげたナス、ハバネロ、ブラックオリーブ、チーズをトッピングしたように おもう。

たべて すぐ、「うわっ、からっ」と おもうのだが、たべてるうちに そうでもないなと感じてくる。ゆでたまご効果もある。トマトソースだったのもあると おもうが、どうもハバネロのからさはタバスコの味を連想させる。タバスコは べつに すきではないので、ちょっと微妙だ。

「ピザといえばタバスコ」という風潮は、イタメシ屋としては迷惑しているのではないでしょか。タバスコくださいという声は けっこうあるし、とりそろえておくべきという人もいるが、タバスコってイタリア料理の調味料ちゃうしみたいな。しょせん そんなもんだと わりきって要望に こたえていけば いいんだろうし、どんなふうに料理をたべようとお客さんの勝手だが、だからといって、料理する側の主体性をかろんじてもよいとは おもわない。職場ではオリーブ油とタカノツメでつくった からーいオイルを提供している。

ピザにハバネロいれたらタバスコの味になりましたよと店長に報告したら、うわ それは つかえんなあとのこと。まー わかるやね。お客さんうけは、わるくなさそうだけど。

てゆーか、あねーなもんを毎日さわりとーねーゆんじゃ。いてーばーじゃ。かれーばーじゃ。(=というか、あんなものを毎日さわりたくないって。いたいばっかりだ。からいばっかりだ。)

無意味に おかやま弁。

リンク:「タバスコ-ウィキペディア」

映画『ニワトリはハダシだ』

2006-10-17 | 映画
うひゃ。おもしろい。キャストもいいし、音楽もなかなかいい。

ものがたりの構図は、それほどには魅力的ではないが「権力」、「巨悪」を庶民の生活に からみつけて、うまいこと てんやわんやさせている。岸部一徳(きしべ・いっとく)さんて、なんであんなに巨悪の役が にあうんでしょね。塩見三省(しおみ・さんせい)さんは、理不尽に暴力的なひとがうまい。養護学校の先生役の肘井美佳(ひじい・みか)というひとは、「うわ余貴美子(よ・きみこ)さん そっくりじゃあ」と おもってたら、母親役で余さんが でてきた(笑)。余貴美子さんて すごい すき。

めちゃくちゃ肝のすわった庶民のすがたが印象的。不死身のおっさんとかいるし(原田芳雄=はらだ・よしおのこと)。

この映画をかりてきたのは、まえに注目したことがあったからなんだけど、どういうことで この映画の監督の森崎東(もりさき・あずま)さんに注目したのか記憶にない。なにつながりだ? 著書の『頭は1つずつ配給されている』という題名がいたく刺激的だったのは おぼえているんだが。

『メゾン・ド・ヒミコ』に はまってしまって以来、映画をみる基準が『メゾン・ド・ヒミコ』よりも おもしろいかどうかみたいになってしまって、どうもいかん。ともかく、今回も あれとくらべるならば、まずまずの映画ということになりそう。もりこみすぎなところがあるからね。

ハバネロ

2006-10-14 | 料理
はやおきして8時から文章をかきかき。

それから仕事にいったら店長が「あべくん、これミニピーマン」と てわたしてくる。もうひとりのコックちんも「フレッシュで くうと うめえよ」とか おっしゃる。とりあえず口にいれる。なめる。じわじわと。うわ、これ かれーよ(笑)。容器をみたら ハバネロとある。「うわ。これハバネロじゃが」と おじいちゃんみたいな口調で うけてしまった。きょう仕事にきたひと全員がハバネロの洗礼をうけた。店長が途中から「バナナとピーマンのかけあわせで「バナピー」」とか いいだすもんで、わらいをこらえるのに必死だった。バナナは ねーよ(笑)。

愛知県産で容器には「パスタなどのトッピングにどうぞ」とか かいてある。ナマで くえるかい、こんなもんと みんなで わらっていたのだが、ちいさく きってアーリオ・オーリオにしてみたら激うまだった。汗がでるほどには からく、けれどもタカノツメとは また ちがう からさ。ニンニクとハバネロとベーコンだけの具材なんだけどね。まー、アーリオ・オーリオをひさしく たべてなかったってのもあるかな。アーリオ・オーリオについては、「アーリオ・オリオ・ペペロンチーノ-ウィキペディア」をみてくださいな。

さて、なにをよもうか

2006-10-13 | ほん
なにをよもうかといっても、わたしはべつに、1冊ずつ順番によむようなことはしない。通読もあんまりしない。けどまあ、最近かっておいた本などを整理しておく。

◆小説『ブラッドタイプ』。時間があるときに、いっきに よむかなー。いつでも いいや。

◆サトウタツヤ/高砂美樹(たかすな・みき) 2003『流れを読む心理学史』有斐閣アルマ。簡潔に まとまってる。

◆ウタ・フリス1991『自閉症の謎を解き明かす』。「野生児問題」関連。

◆ベッテルハイムほか 1978『野生児と自閉症児-狼っ子たちを追って』。これも「野生児」関連。

◆山内進(やまうち・すすむ)編著 2003『言語教育学入門』。「野生児カマラとアマラのケース」が138-139ページに。

◆アーノルド・ゲゼル 1967『狼にそだてられた子』。こんなもん、ぎょーさん本あるぞ。すべてに目をとおすとか、たいへんだな。べつに しらべて文章化する計画さえまだないのだけど。ま、示唆的な問題であるだけに。

◆『身体の社会学-フロンティアと応用』世界思想社。でてたことをわすれかけてた。あれ、2005年の本だっけ。

◆『夜間中学生-133人からのメッセージ』東方出版。これも2005年か。『夜間中学の在日外国人』も2005年だよねえ。あわせて よまねば。

◆『「学力低下」批判-私は言いたい 6人の主張』アドバンテージサーバー。こんな本あったのかあ。2002年の本だから しらないわね。マイナーな出版社だし。「学力問題と障害児教育」をよんでおかねば。

◆天野郁夫(あまの・いくお) 2005『学歴の社会史-教育と日本の近代』平凡社ライブラリー。こういう本て かったんだか、どうなんだか わからなくなる。これは名著。

◆いいかげん よんでしまいたいのは『「左利き」は天才?-利き手をめぐる脳と進化の謎』と『98%チンパンジー-分子人類学から見た現代遺伝学』。どちらも名著。両方とも内容の方向性が わかりずらい題名になっているけれど。

◆西原理恵子(さいばら・りえこ)2006『毎日かあさん3 背脂編』。まったく放置してた。マンガをツンドクするようでは あやういですね。

◆小説『図書館内乱』は、だいぶまえに よんだ。『図書館戦争』の続編ね。どこの本屋に いっても山づみですやね。

…そんなとこかと おもうのだが、また本が数冊とどくらしい。『福祉と情報技術』オーム社は、どうだろね。ちょっと期待しておく。

めについた新刊がいくつか あったけど、あんまり記憶にない。

◆雑誌『日本語学』2006年9月臨時増刊号 特集「新常用漢字表の作成に向けて」。えー。3400円もするのか。

◆そういえば『前夜』をはじめてかった。2006年秋 9号。「移動と記憶」特集。

近刊『出版のユニバーサルデザインを考える』

2006-10-12 | ほん
読書工房から新刊がでる。『本のアクセシビリティを考える』につづく第二作(編著者は ちがうようだが)。

出版UD研究会 編『出版のユニバーサルデザインを考える-だれでも読める・楽しめる読書環境をつくるために』

なお、今月、10月21日(土曜日)には 出版UD研究会の主催で出版のユニバーサルデザインフォーラム2006が東京で ひらかれるとのこと。

ぜひとも注目されたい。

※ここまで「UD」と2度も かいてしまったが、これは「ユニバーサルデザイン」の略語。「ユニバーサルデザイン」という表現は、まだまだ定着しきっていない。それを略語にしてしまうのは、わるい傾向だと かんがえています。

映画『フライド・グリーン・トマト』

2006-10-11 | 映画
深夜にDVDをかりにいき、おもしろい映画はないものかと物色しているとき、ふと感傷的になることがある。これだというものがなく、むなしくなってしまうのよね。

このあいだは、『レント』と『シリアナ』をかりようと おもったのだが、『レント』はまた今度にして、『フライド・グリーン・トマト』をかりてみた。店のひとによる紹介文に つられてしまった。

こどもも家をでた中年の主婦が老人ホームのおばあさんの昔話にひきこまれていき、ちからづよい女性になるというはなし。みていて、中年・老年って すてきーと おもえてくる。昔話にでてくる登場人物が魅力的。昔話の内容も、現代のふたりも、そこにあるのは「おんなの友情」というもの。

冒頭で中年の主婦は「女性むけ自己開発講座」みたいなものに参加しているが、うまくいかない。なんで うまくいかなかったんでしょ。そこに友情がなかったから? あの おばあさんも いなければ、イジーとルースの話も きけなかったから? ああいった講座はつくりもんだからかもね。それとちがって、昔話にはリアルな人間がいきていたと。

「トゥワンダー!」とか、はじけっぷりが たまらない。たのしく、感動できる名作。1991年の映画だってさ。だいじにしたい映画だ。

『自虐の詩』映画化

2006-10-08 | 映画
業田良家(ごうだ・よしいえ)の名作4コマ マンガ『自虐の詩[じぎゃくのうた]』が映画になるらしい。キャストが中谷美紀(なかたに・みき)と阿部寛(あべ・ひろし)。んー、あべさんファンなので みたい気もするが、ふたりとも「芸能人」すぎるね。全体のキャストがどうなるんだろうと興味ぶかいものがある。演出とかさ。

ずっこけるんじゃないかなー。マンガのほうのファンは非難ばかりするかもだから、まー、ひらきなおったようなのが いいかもね。

『自虐の詩』にしたって有名どころではないが、もっとマイナーな映画化もある。

松田洋子(まつだ・ひろこ)『赤い文化住宅の初子』。主人公の ためいきが印象にのこるマンガ。広島弁なのもいい。けど、名作というほどではないよね。

『自虐の詩』は、マンガチックなところが つよいので、そのぶんリアルな実写版になると、どうなのでしょう。いたずらっぽい表情とかが、ちゃんと いかされてると すばらしい。

明太子カルボナーラ

2006-10-07 | 料理
仕事から かえっていると、あきぞらに満月が うかんでいました。つきをみあげるようなことも、ずいぶんながいあいだ ごぶさたでしたので、あしをとめて たのしみました。

あしをとめる。たちどまる。ひといき いれる。ひろしま方面に旅行したときに実感したのですが、たびするときは、たちどまりたいですね。わたしは、てくてく あるいちゃうんですけど。たばこのメリットは、すってるあいだは腰をおろして おちつけることではないかと おもいます。たばこも やめて3ヶ月になりました。


きょうは同僚が まちがえてカルボナーラをつくりかけてしまったので、晩ごはんに いただくことにしました。ひねくれものなので、メニューどおりにつくるのは きらいなのです。あーそうだ。明太子チューブのあまりが あるやんかということで、明太子カルボナーラにしました。そういうメニューがあったこともあるのです。まえの店で。

バターでベーコン、タマネギ、マッシュルームをいためます。いたまってきたら水菜をいれます。パスタのゆで汁をいれます。ちょっとにつめます。火をとめて、生クリームとたまごをよーくまぜたものをいれます。明太子もいれます。なじませます。塩、こしょう、粉チーズをいれます。

いつも よろしくない品物をもってくる業者が やすいですよと もってきた明太子チューブ(なにこの着色料! しかも辛子明太の味じゃねーやん)なので、こしょうをたっぷりいれました。


麺が ゆであがったら、たまごが おじやみたいになってしまわないように 弱火で ゆっくり かるく火をとおします。皿にもって、粉チーズ、こしょう、パセリで完成です。


あんなに ひどかった明太子が! おいしくしあがりました。これで営業でつかえない食材を処分できました。ありがたいことです。

マンガ『パーマネント野ばら』

2006-10-04 | ほん
西原理恵子(さいばら・りえこ)さんの新刊でございます。『いけちゃんとぼく』の感動も つかのまに、『ぼくんち』をひきつぎつつも新境地に達した傑作!

『ぼくんち』というよりは、『営業ものがたり』収録の「ぼくんち番外編 朝日のあたる家」に ちかい。

舞台は びんぼーでアナーキーな、海辺のいなか。主人公には こどもがいる。恋をしている。仲のよい おんなたち。男にふりまわされたり、男を車で ひいたり、包丁でさしたりする、そんな あっけらかんな おんなたち。…のはなし。

主人公が自称「おばさん」なのが いいね。『ぼくんち』の かのこねえちゃんみたいな、サイバラさんがマンガにしなくたって その年代なら どうしようにも きれいでしょ、みたいな。けど、「おばさん」をいかに えがくのかってゆーところにサイバラさんのワザが発揮されるわけじゃないですか。ということで、『パーマネント野ばら』の路線は また やってほしい。お子が ほとんど おまけぐらいにしか登場しないのも よかった。これはこれでね。

はげしく自分ごとだけど、よんでる途中で きいてた曲が「缶ビール」(柴田淳=しばた・じゅん)になって やられた。はー、やっぱ ないちゃうね。サイバラマンガは。

文字のおおきさ/マンガいくつか

2006-10-01 | ブログ
インテルiMacをかってから、もう3ヶ月にもなる。はやい。ついちょっとまえに新作がでて、機能よくなって値段もさがったというはなしもあるが、よしとする。

去年くらいだか、ウェブブラウザはずっとOperaをつかっている。Operaのようなブラウザは、最小フォントというのが設定できる(firefoxもだよね)。だから、絶対値で文字のおおきさを設定してあるHTMLでも、それを無視して表示してくれる。そういうことで、ウェブをみているぶんには文字のおおきさは気にならないのだが、たとえばメッセンジャーをつかっていたりすると、字が あまりに ちいさくて つかれてしまう。なんかこう、拡大できないもんかなと おもってたら、「ズーム機能」というのがあるのですね。「ユニバーサルアクセス」の設定で。

PDFファイルなどを拡大していて みていると、どんどん それに なれてくる。そうこうするうちに、本の字のおおきさなどが気になってくる。そんなに近眼というわけでもないのだけど。やっぱり、ある程度おおきい字のほうが みやすいわ。


◆おまけ:マンガ『ベルセルク』31巻をよんだ。はなし すすまねーの、なんの。「決してすべてを委[ゆだ]ねてはいけない」ということで。

西原理恵子(さいばら・りえこ)『パーマネント野ばら』。また すごそうだ…。

幸村誠(ゆきむら・まこと)『ヴィンランド・サガ』って おもしろいの? 2巻がでたばかりのよう。「北欧のヴァイキングを描いた歴史漫画」だって。へー(「幸村誠 - Wikipedia」)。

松田洋子(まつだ・ひろこ)『まほおつかいミミッチ』が完結したそう。お、もうすぐ3巻がでるのね。最終巻かしら。まだ2巻もよんでないけど。