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いま、そのとき、かんがえつつあること。

いやがらせを たくらむ

2008-04-30 | ブログ
その1: 肉が たべたくなくなるような小説風エッセイをかく。トラウマになって、肉なんて みるのも いやだという ひとを5人くらい つくるという盛大な計画。

肉食のマイナスの部分をあばきつらねる。そういうのって けっこう蓄積があるから、紹介しまくれば いいね!


その2: 「言語」「ことば」のマイナスな部分をとことん強調して、「ことばは すばらしい」とは くちがさけても いえないようにする文章をかく。ことばを賛美する無自覚な政治性に気づくようになって、「ことばの力」ではなく、「ことばの権力」を意識しまくる ひとを10人くらいつくるという まじめな計画。


その3: ことばのアナーキズムを実践する。これは、ふかい思想にうらうちされた、おふざけだけど、まじめな とりくみ。なにが なんだか わからないけど、なんか わかるなあ計画。


その4: すべてのコミュニケーションは文脈に依存していることを再確認する。明晰な言語によって状況をえがきだすのではなく、具体的な状況において なんらかの行動をおこすことに注目する視点をひろめる計画。

本を よまねばなんだけど

2008-04-30 | ほん
えっとね。

◆小澤勲(おざわ・いさお)編『ケアってなんだろう』医学書院。対談とコメント文をあつめたものなんだけど、これが よんでいて やすらぎます。ねるまえに よむには最適です。

◆『ケアという思想—ケア その思想と実践1』岩波書店。これも なかなか。

臼井久美子(うすい・くみこ)「情報アクセス・コミュニケーション・ケア—聴覚障害者の立場から」
石川准(いしかわ・じゅん)「本を読む権利はみんなにある」も収録です。

三好春樹(みよし・はるき)さんの介護論は、やっぱり いいね。本、あれこれ よまなきゃ。たくさん ありすぎるけど。

◆松澤和正(まつざわ・かずまさ)『臨床で書く—精神科看護のエスノグラフィー』医学書院。

「臨床をどう記述するか」とか参考になる。ゆっくり よむかなあ。

あたらしく本をよむのは、どうも おっくうだ。いままで ちらっと よんだ本を、よみなおしてみるのが楽だ。ううむ。

◆けど、菅原和孝(すがわら・かずよし)さんの本をたくさん かったので、よまなくっちゃね。『会話の人類学』『身体の人類学』『感情の猿=人』。

『もし、みんながブッシュマンだったら』『ブッシュマンとして生きる』『フィールドワークへの挑戦』も よみなおすかな。

編著の『コミュニケーションとしての身体』収録の すがわら論文は、なかなか てごわい。あとは『語る身体の民族誌』を手にいれれば、ひととおりは そろうことになる。

◆すがわらさんが よい本だと紹介していたチャールズ・ハート『見えない病—自閉症者と家族の記録』晶文社が とどいた。よめるかな。

◆批評社の『発達障害という記号』は かるく よんだ。メンタルヘルス・ライブラリーの最近のやつね。おなじシリーズの『自閉症スペクトラム』は、これから よむところ。

◆久保田正人(くぼた・まさひと)『ことばは壊れない—失語症の言語学』開拓社は、なかなか よい本かもしれない。いまから よみます。

死刑とか

2008-04-30 | 国家と権力
「おれってさー、けっこう人とか殺すのすきなんだよねー。殺したことないけど(笑)」とか。

「人を殺すのって、おもしろいんじゃないかな」とか。

想像ではあっても、そういう「血まみれ」を実感として ともなわない死刑論議は、やめてほしいですね。

「え、わたし? ころすの? 死刑囚を? いやだよー」とか。

「ん? いんじゃない。え、このボタンおせば いいの? はいはい。ちょん」とか。

「………」とか。

そういう具体的な血のにおいのする話をぬきにして、死刑に賛成だとか、なにをいってるんでしょうか。

「はいはい。ちょん」のひとは、賛成してれば いいけどもさ。とりあえずは。ま、そのうち死刑は廃止に もちこみますので、賛成してもムダだけどさ。

え、なにを根拠にって うるせーよ。

血まみれ覚悟で、かえり血をあびるのを前提にしないでおいて、なーにが死刑ですか。



はあ。ひとが ひとをさばくということに、もっと絶望したい。

ひとが、どうして ひとをさばけるってんですか。裁判だとか、なにあれ。なにさまのつもり。


こういうことをいうとさ、けっこう共感してくれるひとも いるかもしれない。けどさ、ちょっと まってよ。

ひとが、ひとをさばくってのは、かなりの日常ですよ。やられて、やって、くりかえしてますよ。

学生に平気で点数つけたりできるのは、ひとが ひとをさばいてるってことだかんね。テストなんて、おそろしくて できねえよなあ。


神様になりたがる教祖たちよ。おまえは権力だ。

くつがえされてしまえ。ひっくりかえされて、すってん ころりん、ころんでしまえ。

いきものを ころす

2008-04-29 | 料理
このまえ、職場のトイレにムカデが いたんですよ。まあまあ おっきいかな。10センチくらい? おおー、あぶねえ。ふんずけて ころしちゃうぜっと あしをふりあげて、まー いいや、にがしちゃえ。トイレのスリッパに はわせて手のほうに はってくるので うおとか いっぺん ほうりだしたりしながら、ともかく そとに にがしました。さようなら。

ムシにしろ、なんにしろ、こどものころ、やたらと ころしまくったので、いまさら ころしまくる気にも ならないのですよ。ヘビとかカエルとかコオロギとか、いっぱい ころしました。チーン。


きょうは流しで食器とか ちょっと あらってたら スポンジに ちっこいムカデが ひそんでいたらしく、ちょろちょろ はってるんですよ。ばしゃばしゃ水かけたりしながら、んー、どうしようかな。めんどくせえ(笑)と、ふんずけて ころしました。チーン。


だから どうしたというはなしでもなく。小学校のころ、家まで40分以上は あるかないといけなかったので、よく かえりに あそんでたんですよ。田んぼや川で。カエルつかまえるばっかりして、スズメバチふんずけて ころしたり、ヘビみつけたら みんなで石なげて こっぴどく ころしたり。


ころしあきてみようか。それで博愛の精神を発揮しようか。

それとも、もっと、俗悪になろうか。


どっちでも いいと おもってる。


けど、おとなになってからは ともかく、あんまり ころさなくなった。部屋にクモが いても、あ、クモだ。おわり。

いるに きまってるもの。


まえから おもってんだけどね、自然とか いうけど、そういうもんは、どこかに うつくしい自然があって、そこに いってこそ「いやされる」、「すがすがしい」気分になるってのは、どうも おかしいと おもうわけです。アスファルトに、草が ちろっと はえてて、そこに自然を感じる、自然をみいだす、というのが、わたしは だいじだと おもうのですよ。

べっつにアスファルトが すばらしいものだとは おもいませんよ。けれども、自然なんてものは、そのへんに ころがっているわけで、そのへんの どうでもいいもののなかに なにか感じるものが なければ、つまらないと おもうのです。


いきものをころすのは、基本的に すきです。たのしいから。

けど、べつに必要以上に ころすのも あきましたね。

もっといえば、ころす必要をうみだしつづけるのも、あきてみましょうか。


肉なんて たべなくても いきていけます。肉をたべるのは、ただのゼータクです。穀物を大量に消費しないと維持していけないゼータクです。


いきものをころすのは、たのしいことです。だから、みなさん、もっと ころしてみてください。ほんと。うそじゃない。ニワトリをころすの、めっちゃ たのしかったですよ。血が いっぱい でてさあ。シマヘビの皮をはいで さばいて たべるのも めっちゃ たのしかったですよ。うそじゃありません。

もっと ころしてみながら、同時に、肉をたべるのをやめていきませんか。やめてみませんか。

ひとは みんな俗悪なんだから、俗悪な どろどろをキープしたままで、ちょっとしたところでバランスをとってみても、それはそれで いいじゃないですか。


動物をころしてみよう。

そして、肉をたべるのをやめてみよう。

ムシだのヘビだの、あんなもん、いくら ころしたって、たいしたことは ないんですよ。けど、ウシみたいな でっかい動物をたべるのは、あまりに効率が わるいんですよ。

マンガ『黒い羊は迷わない』1巻

2008-04-20 | にんげん
1997年の作品。なかなか いいじゃないか。全2巻かあ。2巻も 古本屋にあるかなあ。

くみたてが うまい。

わたしは このマンガが提示するような人間観を坂口安吾(さかぐち・あんご)に まなんだので、それほど新鮮なことが かいてあるようには感じない。けれども、安吾的な人間論をよんでいると、やっぱり安心するというか、いいなあと たのしくなる。

安吾の「デカダン文学論」というのをよんでいただければ、わたしが どれほどに安吾の影響をうけているのかが、わかってもらえるのではないかと おもう。安吾だけでなくて、このブログも よんでくだされば、のはなしだが。

「デカダン文学論」をテーマや話題をずらして かきかえただけのようなことを、このブログに かいてきた。白状しておこう。

いつもいつも安吾を意識しているわけではない。けれども、気がつけば わたしのことばのなかに、安吾は いつも、そこに いる。

たったそれだけのことでもね。安心できるような気がするわけ。それだけでね。


まよわないから。まよっても、こわくないから。こわくても、いきていけるから。いきていっても、いつか死ぬのは わかっているから。死ぬのは こわくない。こわくないから、いきていけるの。

なにごとも なければ平和なのかって問題

2008-04-19 | 国家と権力
ことなかれ主義って いやだねえ。

なにも事件が おきなきゃ それで おっけーってのはですよ。ちょっと、そこの おまえ、だまってろってことになるじゃないですか。

がまんしなさいってことになるじゃないですか。文句をいうなとか、そういう はなしになるじゃないですか。

おさえつけてるよなあ。おさえつけられてるよなああああ。

韓国の自由主義者の左翼評論家のピョン・ヂョンスさんが『満場一致は無効だ』って本をだしてるんですよ。これが いい本でね。

ピョンさんが いうに、「意見の一致が のぞましいものであるとされるかぎり、最小限の「コンセンサス」に到達することさえできないだろう」(7-8ページ)。うひゃ。逆説的だよね。
満場一致は不可能なだけにとどまらない。たとえ それが可能であるとしても、それこそが…中略…もっとも危険なことである。それならば、のこる問題は、「だれもが同意できる不変の真理」ではない。究極的に一致しようのない数おおくの意見のなかで、「わたしは どの立場にたつのか」という問題だけだ。(8ページ)
対立するのは どうしようにも、それは必然とさえ いえるものでしょう。対立するのをおそれてはなりません。ちがうってことをいやがっては なりません。

ちがったり、対立したりするなかで、たくさんのあれこれのなかで、わたしは、さて、どうするのかということ。


韓国は最低の国家だとか、中国共産党は最悪だとか、そういった批判をいうことに ためらうひとが いるようです。これが よくわからないんですね。日本政府は、ろくでもない。最悪だ。それと おなじことで、アメリカ政府も中国政府も最悪なんですよ。それと おなじ線に、朝鮮民主主義人民共和国の最悪さも位置しているわけで、全部ひっくるめて、批判していけば よろしいことです。「外国」であるからという理由で批判するのをためらうってのは、よくわからない配慮です。わたしには、よくわからない。

だって、中国でもどこでも、「わたしの たいせつなひと」が、そういう国家というものに抑圧されているならば、断じて、中国共産党は最悪だと いってしまわないといけないものですよ。「外国」だからって批判するのを「遠慮する」というのは、「そこ」に たいせつなひとが ひとりもいないっていう、かなしい現実にすぎません。


もっと いえば いいんですよ。韓国って最悪の国だって。

まあね、ただ、「この地」で生活しているのに勝手に国境線だとか いって きりとられて、勝手に おまえの国籍は どこどこだなんて うまれたときから きまってて、なにそれ そんなのしらねーよでは すまされなくなってしまっているから、なんだ うぜえ。なにがクニだ、くそ、とか いいながら、わたしは反日。ハンニチです。アンチ・ニッポンだよ。そういうことをひきうけて、まあ、いきていきながら、いろんなところに たいせつなひとをつくって、そして、どんどん反アメリカ、反中国って、「ともだちの輪=反国家の輪」をひろげていけば いいのですよ。

国際交流? へへへへ。おもしろいことばだよね。国際交流。


あたしとって、国際交流とは、あらたに もうひとつ、反対し、批判の対象として攻撃すべき国家が ふえるってことですよ。あたりまえしょうが。

「外国」に ともだち つくって、中国って いい国だなんて いってるひとは、信じられませんね。中国に ともだちできたら、中国って なんて最悪な国なんだろうって感じられるようにならなければいけません。それが国際交流。はい、これ、わたしの こたえです。

パターナリズムが どうしたってんだ

2008-04-19 | にんげん
いいですか。「ふみこむってことは、まじわるってことは、意図せぬ暴力をともなうものなの」(「悪魔の代理人」)。

支援すること、ケアすること、そこにはパターナリズムがあるだ、権力関係になっているだなんだのって、なにが いいたいのかしら。

あたりまえじゃないのよ、そんなこと。

そんなの、ふみこむ一歩手前で、たちすくんでいたら、みえてくるはなしよ。

でなに? パターナリズムは いけないって いうわけ? いいよ、いけないってことにしましょう。ええ。パターナリズムは いけません。

で、どうするの?

パターナリズムってのは、父親的に、おしえさとすようなことをいうよね。父親的に、本人の意欲的な行動にたいして、あぶないからだとか、こっちのほうが たのしいよって邪魔をすることをいうよね。

で? いらんことをするなと。はい。いいよ。

で? いらんことをするなで、すべては解消されるの? なやみは そこで なくなるの? そうじゃないわけでしょう。なやみは、つきるはずのないものよ。一度たちすくんだら、どこまでも わからなくなって、どうしようもなくなっちゃうものなのよ。

だからケアするひとが仕事から はなれていくの。まじめなひとほど、まじめになりすぎるの。

もうね、いいかげんにしてよ。なにがパターナリズムよ。わかったようなこと いってんじゃないよ。そんなもん、わかりきったはなしじゃないですか。

パターナリズムを自覚しろだ? そんなことをいうやつが いるとしたら、あきれて ものが いえません。

しかめっつらして、自覚して、反省して、自分をせめて、はいはい、どこまでやるの。

自分の手が よごれているだ、自分は悪だとか、一生いってなさいよ。自分で いいたいなら、いえばいいことよ。けどね、だれにも、そういうことをいわせるんじゃないよ。そんな いきどまりに、ひとをおいこんではいけないはずよ。

パターナリズム? そうね。たまには、たちどまってみるのも いいわ。けど、かんがえてみて、もう一度、ふみこまなくっちゃあ いけないの。


もうね、パターナリズムが どうしただなんて議論は ばかばかしく おもえるの。

誠実に いきるってことは、しかめっつらをするってことじゃない。誠実ってのはね。いい? その、んーっと。いや。そんなこと、いう必要もないことです。いつまでも、いう必要はないことです。


それでも いうとしたら。

それは。

こたえのない日常を、こたえをださないまま、いきぬくこと。自分のだした こたえに うらぎられ、ぬりかえし、また くつがえす。とらえきれない こたえをかかえて、あゆんでいくこと。

これからも、よろしく。

ふりだしに もどった!

2008-04-01 | ブログ
いい意味で、かえってきました。

きょうは、年度はじめで、春のあたたかい日で、新人さんも こられていて、いろんな意味で新鮮な気分で仕事ができました。ここずっと精神的に不安定で、おしつぶされそうでしたが、なんとか復活できました。



「家が あるもんは ええなあ。わしらは ねーけえ、かえるところが ねー」。



誘拐するから、今度どっか いきましょうやあ。『レインマン』みたいに。と はなしをしました。あー、ほんまに誘拐したい。そしたら よこで尊敬する職員さんが「誘拐の外出届け」だしてくださいよ。スリルが あって いいかも(笑)と共感してくれた。



どけー つれてくんなー(どこに つれていくのだ)って きかれながら、ぶははははとか わらいながら、どっか いきてええなああああああああ。


家に かえって原稿かいてたら、7年まえの文体に もどってた。どこまで かえってるんだ。こざかしい知識が ふえたうえでの「7年まえの文体」は、なかなか手に おえない。卒論まで かえらなくても いいのに。でも、必然なんだ。いいんだ。いいもん。