上下関係による支配と服従。わたしたちは、不平等な社会をいきている。
年齢差別、年功序列、パターナリズム。「コドモはオトナのいうことをきいてれば いいのよ」。なぜ? その根拠は?
競争だの、せりあいだの、あんまり すきではないが、だれしも だれかと「勝負する」局面に たたされることがある。そこで、年齢という、固定的なもの、個々人が どうあがいても どうにもならないことを武器にされるのは、どうも苦手だ。年齢差別に「いわれある」「ごもっとも」な面も あるだろうか。
それまで いきてきたということ。なるほど、年齢をかさねるということも、努力の結晶であって、評価されるべきことではある。しかしながら、「あんたは年下なんだから」というような話は、むしろ「なにをかんがえて年齢をかさねてきたんですか?」と内心おもってしまう。分別のたりない「コドモジミタ」発想に違和感をおぼえるのだ。
コドモジミタ? はい、「コドモ」をそんなふうに もちだして、価値判断の道具に つかうもんじゃありません。そうです、そうです。じゃぁ、なんて表現しようか。むずかしいところだな(と、いっておけば ごまかせるのか?という話もある)。
朝鮮語で、「ちがいに対する態度-年齢差別」というエッセイをかいたことがある。どこぞやに発表したわけでもなく、ただ かいてみただけなのだが。韓国では おもしろい現象があって、年が おなじであれば自動的に「ともだち」になるのだ。チング(ともだち)には、おないどしという意味もあり、「78年うまれ? じゃぁ、チングだね」というふうに。
韓国にいたころ、寮のルームメイトが ほんの数ヶ月ほど中国出身の人だった。ある日、質問された。「なんで韓国人は敬語にこだわるんですか?」。そうね、わたしは こたえました。「年が ちがうと上と下の関係になって、平等ではなくなるんです」と。
漢語では、あんまり年を気にせずに会話ができる。漢語をはなしているときに感じる快適さの ひとつだ。そういった文化で そだった その人には、わたしの説明は なんだか かなしい話に きこえたようだ。かれは、意味深長な顔をしていた。
年齢差別の風潮に同化してしまうと、権威に対して無批判になりがちで、権威主義の かたまりになってしまう。それでは、権力を批判するのにも、おのずと限界が生じてしまう。
その寮の1階には、障害者運動の「闘志」たちが たくさんいた。留学生活をおえようかというころに、密な交流をもつようになったが、かれらが また魅力的だった。
韓国の大学生だから、やっぱり先輩/後輩の秩序に同化してしまっていた。みんなで、いろんな差別について かたりあっていたけれども、あるとき、年齢差別について ちょっくら提起したことがあった。そしたら、見事に問題意識を自分のものにして、また、大声で議論しはじめるのだった。ひとしきり議論が はじけたあとに、ぼそっと口をはさむのが わたしの役割だったのだけど、あれは なかなか たのしい生活だった。
わたしが日本に かえってしまった後に、「この時間になったら、だれかさんがドアをノックしないといけないんだけどなぁ(笑)」なんていう会話をしていたそうだ。あぁ。もつべきは友であることよ。
しかし、当時も今も かんがえないではない。かれらは、学部生で わたしは大学院生であったということ。すこしばかり、わたしが年長であったということ。そこで、わたしもまた他人に「権威を感じられる」存在であったということを。そのような場合、自分では どうにもならないということ。どうにかしても、仕方のないことでもあるということ。わたしが したことは、「さん」づけと敬語の徹底ぐらいなものだ。
人は、自分が嫌悪していることであっても、それに からめとられてしまう磁場のような関係をいきている。相手が だれであろうとも。
グーグル:「年齢差別」
年齢差別、年功序列、パターナリズム。「コドモはオトナのいうことをきいてれば いいのよ」。なぜ? その根拠は?
競争だの、せりあいだの、あんまり すきではないが、だれしも だれかと「勝負する」局面に たたされることがある。そこで、年齢という、固定的なもの、個々人が どうあがいても どうにもならないことを武器にされるのは、どうも苦手だ。年齢差別に「いわれある」「ごもっとも」な面も あるだろうか。
それまで いきてきたということ。なるほど、年齢をかさねるということも、努力の結晶であって、評価されるべきことではある。しかしながら、「あんたは年下なんだから」というような話は、むしろ「なにをかんがえて年齢をかさねてきたんですか?」と内心おもってしまう。分別のたりない「コドモジミタ」発想に違和感をおぼえるのだ。
コドモジミタ? はい、「コドモ」をそんなふうに もちだして、価値判断の道具に つかうもんじゃありません。そうです、そうです。じゃぁ、なんて表現しようか。むずかしいところだな(と、いっておけば ごまかせるのか?という話もある)。
朝鮮語で、「ちがいに対する態度-年齢差別」というエッセイをかいたことがある。どこぞやに発表したわけでもなく、ただ かいてみただけなのだが。韓国では おもしろい現象があって、年が おなじであれば自動的に「ともだち」になるのだ。チング(ともだち)には、おないどしという意味もあり、「78年うまれ? じゃぁ、チングだね」というふうに。
韓国にいたころ、寮のルームメイトが ほんの数ヶ月ほど中国出身の人だった。ある日、質問された。「なんで韓国人は敬語にこだわるんですか?」。そうね、わたしは こたえました。「年が ちがうと上と下の関係になって、平等ではなくなるんです」と。
漢語では、あんまり年を気にせずに会話ができる。漢語をはなしているときに感じる快適さの ひとつだ。そういった文化で そだった その人には、わたしの説明は なんだか かなしい話に きこえたようだ。かれは、意味深長な顔をしていた。
年齢差別の風潮に同化してしまうと、権威に対して無批判になりがちで、権威主義の かたまりになってしまう。それでは、権力を批判するのにも、おのずと限界が生じてしまう。
その寮の1階には、障害者運動の「闘志」たちが たくさんいた。留学生活をおえようかというころに、密な交流をもつようになったが、かれらが また魅力的だった。
韓国の大学生だから、やっぱり先輩/後輩の秩序に同化してしまっていた。みんなで、いろんな差別について かたりあっていたけれども、あるとき、年齢差別について ちょっくら提起したことがあった。そしたら、見事に問題意識を自分のものにして、また、大声で議論しはじめるのだった。ひとしきり議論が はじけたあとに、ぼそっと口をはさむのが わたしの役割だったのだけど、あれは なかなか たのしい生活だった。
わたしが日本に かえってしまった後に、「この時間になったら、だれかさんがドアをノックしないといけないんだけどなぁ(笑)」なんていう会話をしていたそうだ。あぁ。もつべきは友であることよ。
しかし、当時も今も かんがえないではない。かれらは、学部生で わたしは大学院生であったということ。すこしばかり、わたしが年長であったということ。そこで、わたしもまた他人に「権威を感じられる」存在であったということを。そのような場合、自分では どうにもならないということ。どうにかしても、仕方のないことでもあるということ。わたしが したことは、「さん」づけと敬語の徹底ぐらいなものだ。
人は、自分が嫌悪していることであっても、それに からめとられてしまう磁場のような関係をいきている。相手が だれであろうとも。
グーグル:「年齢差別」