自由って なんだろう。かんがえてると なかなか おもしろい。抽象的に、なおかつ意図することをぼかして はなしをすすめてみる。
だれにも なにも無理じいされなければ自由だろうか。命令もされず、おびやかされることもない。たしかに自由だ。しかし、社会通念や常識から自由になることは、なかなか むずかしいものだ。すでに自分が そまっているのだから。とっくのむかしに しばられているわけだから。ウンコやゲロをみて、きたないと感じるのなら、すでに自由ではない。あおぞらをみて、うつくしいと感じるのなら、すでに自由ではない。社会の わくぐみの なかから一歩も でてはいない。あいもかわらずオリのなかにいる。それをオリと かんがえるのなら。
だれも自由では ありえない。だから不自由さと うまく つきあっていくことしか できない。なにかを「きたない」と感じ、なにかを「うつくしい」と感じてしまう自分のまなざしをはっきりと みきわめる。そして、その「対象」とも自分の感情とも つきあいつづける。それでも人間は自由には なれない。だからといって、自由をあきらめることもない。もとめつづければ いい。
あんまり関係ない文章を引用しとく。
ついでに関係があるかもしれない本を紹介。
仲正昌樹(なかまさ・まさき)『「不自由」論-「何でも自己決定」の限界』(ちくま新書)。まえに だいたい よんだ。おもしろかったはず。数土直紀(すど・なおき)『自由という服従』(光文社新書)。ぱらよみしただけ。安吾が かいてたことと よく にてる。
まぁ、なにが いいたいのかと いうと、自分だけは自由になれてるというのは錯覚にすぎない。わたしも あなたも しばられてる。でも、すぐさま自由になれるわけじゃない。だったら、とりあえずは その不自由さと つきあっていきましょう。ってことです。つきあうということは、めをそらさないということ。自覚するということ。そして、つきあっていけばこそ、なにかが かわってくるかも しれないということ。
グーグル:「自由ではありえない」
だれにも なにも無理じいされなければ自由だろうか。命令もされず、おびやかされることもない。たしかに自由だ。しかし、社会通念や常識から自由になることは、なかなか むずかしいものだ。すでに自分が そまっているのだから。とっくのむかしに しばられているわけだから。ウンコやゲロをみて、きたないと感じるのなら、すでに自由ではない。あおぞらをみて、うつくしいと感じるのなら、すでに自由ではない。社会の わくぐみの なかから一歩も でてはいない。あいもかわらずオリのなかにいる。それをオリと かんがえるのなら。
だれも自由では ありえない。だから不自由さと うまく つきあっていくことしか できない。なにかを「きたない」と感じ、なにかを「うつくしい」と感じてしまう自分のまなざしをはっきりと みきわめる。そして、その「対象」とも自分の感情とも つきあいつづける。それでも人間は自由には なれない。だからといって、自由をあきらめることもない。もとめつづければ いい。
あんまり関係ない文章を引用しとく。
青春は絶望する。なぜなら大きな希望がある。少年の希望は自在で、王者にも天才にもみずから化して夢と現実の区別がないが、青春の希望の裏には、限定された自我がある。わが力量の限界に自覚があり、希望に足場が失われている。(坂口安吾「暗い青春」より)なつかしいなぁ。学部のころ これをかいて、かべに はってたような気がする(笑)。
ついでに関係があるかもしれない本を紹介。
仲正昌樹(なかまさ・まさき)『「不自由」論-「何でも自己決定」の限界』(ちくま新書)。まえに だいたい よんだ。おもしろかったはず。数土直紀(すど・なおき)『自由という服従』(光文社新書)。ぱらよみしただけ。安吾が かいてたことと よく にてる。
まぁ、なにが いいたいのかと いうと、自分だけは自由になれてるというのは錯覚にすぎない。わたしも あなたも しばられてる。でも、すぐさま自由になれるわけじゃない。だったら、とりあえずは その不自由さと つきあっていきましょう。ってことです。つきあうということは、めをそらさないということ。自覚するということ。そして、つきあっていけばこそ、なにかが かわってくるかも しれないということ。
グーグル:「自由ではありえない」