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いま、そのとき、かんがえつつあること。

問題意識の温度差

2005-12-06 | 議論
なにかを批判的に論じている人にたいして、「そんなに あつくならなくても…」という反応をすることがしばしばある。

わたしがそんな反応をされることもあるし、あるときには、わたしもそんな反応をしているのかもしれない。「よくあること」ではあるのだが、すなおな感想として感じたということと、それを口にするということには距離があるように おもう。

そのように感じるということは、ほとんどさけられない性質のもので、問題意識や かたりかたが それぞれ方向やら方法やら ふんいきなどが ことなっているのだから当然のことであろうかと おもう。

ともかく、問題意識をある程度共有しつつも温度差を感じたり違和感をいだくということはある。けれども、それをもとに非難をしようとすることには すこし慎重でありたいと おもう。戦略的にそのような かたりかたは、マイナスなのではないか?という議論は ちかしい間柄では おおいにしたら よろしい。けども、距離のある間柄であれば、外側の安全地帯からの冷笑という意味あいをおびてこないだろうか。

社会につつまれた人間において、どこにも「外部」などはなく、安全地帯というものは存在しない。その点に注意したい。

なぜ温度差があるのか? なぜその人は「あついように自分にはみえるのか?」ということをみつめる発想と姿勢をたもつこと。そうすることでしか、社会はみえてこないのではないか。

たえず といつづけていく必要があるのは、「わたしは いま、どこに どのようにして たっているのか?」であろう。自分もまた この社会の内部にいて、社会全体の関係性のなかで生活している。

同調しなくてもよい。おなじ かたりかたをしなくてはならないわけでもない。ただ、「いかにして温度差が生じたのか」をかんがえることなしに自分の規準を「標準のものさし」にしてはならない。

「してはならない」…? それは人に強要できるごもっともな規範だということ? / いやあ、ごもっともであろうとなかろうと強制力なんて もてないしね。とりあえず、そんなふうに おもうってことだよ。 / じゃあ そうかいたら? / ことばのあやですよ。ことばのあや。たまには「べきだ」とか「してはならない」とか いいたいやないの。 / それは、わからんでもないが。じゃあ ちょっとした介入だとか非難になろうとも いいたいことは いっていいんじゃね? / べっつに くちふーじするって いってないやん。安易なのは だめだという話さね。 / ま、くちふーじするような かたりかけってのは まさに、冷笑や つめたい反応だよね。人を無力感にあたえるようなね。ま、そんなことで めげるようなら「あつい人」とは みなされないだろうが。 / あのね、その人の問題じゃないのよ。その人が問題提起していることについて改善されることもなく ただ放置されてしまうことの問題なの。 / つまり、あれだな。自分の政治性に無自覚な やからの放言というやつ。 / あぁ、まさに放言だね。


さて、Operaとfirefoxで一発で表示されないことがあるのは、やっぱりグーグル検索結果へのリンクとは関係なさそうだ。やっぱ、なんでもググる!ということで。

グーグル:「問題意識の温度差」