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いま、そのとき、かんがえつつあること。

悪魔の代理人

2007-06-05 | ブログ
あなたは きれいな手をしているわ。けど、だから なんだって いうのよ。あらまあ、あなたは そんなに こぎれいにいるけど、そんなの なんだってないのよ。

ふみこむってことは、まじわるってことは、意図せぬ暴力をともなうものなの。暴力ってことばが つよすぎるなら、ちょっとした あやまちといっても いいわ。

どれだけ ただしいことをいおうと、しようと、わたしたちは みんな、悪魔の代理人をやとって いきているのよ。やりたくないことをだれかに まかせてしまっているのよ。そうやって、めをそむけていられるだけじゃない? 手をよごさずに すんでいるのよ。悪魔にならずに すんでいるのよ。

こころの平穏もまた、代理人をやとっているから たもっていられるの。

みんな わるいんだとか、そんな一般化をしようってんじゃない。ただしいひとは、ただしいひとほど、なんらかの特権的地位にいるってことをいっているの。

「みんなが めをそむけるから、わたしは現実をみるのよ」。えらいし、立派だわ。

けど、そんなの時間をもてあましてるってことでしかないのよ。あなたは それだけ自由だってことなの、人格が ひとより ご立派ってことじゃあないわ。

それならば。

なんという? どんなふうに いう? どんなふうに むきあう?

あなたが気づいたことに。あなたの意志に。

わたしが こんなふうに いうのは、別に うえから目線で説教をたれるためじゃない。方法を、やりかたをかんがえましょうって はなし。ふみこまないぶんだけ、ただしく いられるってことをふまえておこうってはなし。
「なの文体」って、なんだろう。「なの、のよ、じゃないわ」。へんなものやね。けど、「なの、のよ、じゃないわ」を連発したあとに、そういう語尾をそぎおとして「いいきる文体」にすると、ちょっと力づよさが でる。

結局、わたしたちは みんな悪魔の代理人をやとい、また みずからも悪魔の代理人であるのなら、だれにも特権的ただしさなんて ありはしないということ、そして、だいじなのは、どれだけ世の中をよりよくしていくことに貢献できるか、ということだろう。最近、あらためて感じている。そして、その方法は、いろいろあるものだと。その「いろんな貢献」にも、もっと気づいていかねばなりますまい。

※悪魔の代理人って表現は、いくつか すでに定着している用例があるようだ。議論のさいに わざと反対意見をいったりして論理構成を検討したり、あるいは宗教的な意味あいで。