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いま、そのとき、かんがえつつあること。

才能って なんだ

2004-12-19 | にんげん
「才能あるのね」。これって おかしくないか。

ジェームズ・フィン・ガーナーの『政治的に正しいおとぎ話』(1995年、DHC)って本、すこぶる おもしろい。アメリカで論争になった いわゆる「政治的正しさ(PC)」、つまりは「適切な表現をしよう運動」をおもしろおかしく おべんきょできる本だと おもう。おとぎ話というのは、現代的な観点から みると あれやこれや差別的で固定観念の かまたりの内容だったりもする。それを「差別から自由な作品」に つくりかえる こころみをしたわけだ。もちろん、おふざけだけども、けっこう おおまじめなのが おもしろい。ほんとに「差別から自由」ってのが ありえるのか どーかは、よんでみての おたのしみ。

その続編『政治的にもっと正しいおとぎ話』の「ウサギとカメ」から、ちょっと引用。
カメとウサギは「競争の日」をめざして、熱心に練習を始めました。
無知な解説者たちは、ウサギの一族は全員が速く、それは遺伝子の継承により、しなやかな身体をもち、腿の筋肉がよく発達しているからだ、と決めつけました。
こうした偏見に対して、ウサギは当然の正しい異議を申し立てます。そのような見解は、ウサギが行ってきた何時間におよぶ激しい鍛錬や犠牲を、無視したものだからです。(81ページ)
こういうの だいすき。「すごいね。才能あるんだろうねぇ」。そんなことをいわれたら、反論しましょう。「それは わたしの努力の成果だってことを無視してますよ」と。

それまた、「ふっ。これくらい あったりまえよ。」と ほざく人には こんな話を。
…たとえその科学者が人なみすぐれて高い知的能力に恵まれていたにせよ、かれがある国に生れ、ある地方のある家庭に育ち、高等教育をうける機会に恵まれていたということは、その人物の徳ではなくて、多くの偶然のなすわざにすぎない。同様の才能に恵まれた人間は、あるいは低開発国に生れ、あるいは戦争に駆り出されて戦死し、あるいは侵略者にたいする抵抗に生命をおとし、あるいは黒人として生れて人種差別をうけ、あるいは貧しい家庭に家庭に生れて教育の機会に恵まれず、あるいは交通事故や公害の犠牲となったかもしれない。(柴谷篤弘/しばたに・あつひろ、『反科学論』ちくま学術文庫、128ページ)
これも耳が いたいやね。いろんな条件のなかで人は いきてますからね。それにしても遺伝子決定論は いやだね。だって話が単純すぎるやんか。

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