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いま、そのとき、かんがえつつあること。

おもさくらべ

2007-03-21 | 議論
ひとが なにかについて「こだわる」とき、それは ほかのものよりも重大なことであるように感じられる。よくあることだし、あたりまえのことだと おもう。

だが、それと ほかのものを比較して、ほかのものの重要性をかろんじてみるならば、問題があるように おもう。

わたしは、これについて論じたいんだ、問題提起したいんだ、というだけで本来は じゅうぶんなはずである。だが、なんで?と いやがおうにも きかれてしまうから、こちらとしても理由を準備する。

わたしは、これに注目している。注目している理由も用意してある。この状態で、ほかのものをながめるとき、わたしたちは、しばしば おもさくらべをしてしまう。

「おもさくらべをするために」それに注目したのではなかったはずなのに。

わたしが 「これ」に注目する必然性や、「これ」のアプリオリな重大性などは、ない。ある基準をもうけ、ある観点から「これ」の問題を論じる。それが、わたしが したかったことだ。

もちろん、ある基準をもうけ、ある観点から、あれと これの おもさくらべをすることもできる。だが、「あれ」も「これ」も ほかの要素や、ほかの比較対象を想定するだけで、その重大性は いくらでも うごく。

恣意的な おもさくらべ、一般化することは できない おもさくらべなのだ。けれど、それには気づきにくい。なぜなら、わたしはすでに「これ」に こだわっているから。だから、いっぺんくらいは、つきはなしてみないといけないんでしょうね。