ビタミンおっちゃんの歴史さくらブログ

STU48 音楽、歴史 などいろいろ

◎モーツァルトとピアノ 10

2013-01-03 12:05:04 | HKT48 AKB48
◎モーツァルトとピアノ 10

1766(10歳)

・1.22 公開演奏会を開く

・1.26頃 アムステルダムに行く

・1.29 乗馬学校で音楽会が開かれ、交響曲第5番(K.22)が披露された
 ヴォルフガングはこの交響曲を指揮したという

・3月初め、デン・ハーグに戻る

・3.11 オランニエ公ヴィレム5世の即位式典のお祝いに宮廷に伺候
 このお祝いのために、「ガリマティアス・ムジクム」(K.32)が作曲された
 12日まで続いた祝典のいずれかの日に、食卓の音楽として演奏されたという

☆「ガリマティアス・ムジクム」はクオドリベト(混成曲)で、オランダの民衆に親しまれていた旋律とか、様々な種類の曲を自由に組み合わせた諸旋律のメドレーである

☆編成は、オーボエ2、ホルン2、ファゴット、チェンバロ、ヴァイオリン2部、ヴィオラ、バス

・3月 ナッサウ=ヴァイルブルク侯妃(ヴィレム5世の姉)の依頼で「クラヴィーアとヴァイオリンのためのソナタ」(K.26から31)が作曲され、作品4として出版され、侯妃に献呈された

・3月末、デン・ハーグを出発

・ハーレム、アムステルダム、ユトレヒト、ロッテルダム、ムールディク、アントヴェルペ、メルク、ブリュッセル、ヴァラシエンヌ、カンプレを通って、5月1日パリに戻る

・7.9 パリを出発し、ザルツブルクへの帰路につく
 中旬から下旬にかけてディジョンに滞在。18日に演奏会
 26日から4週間、リヨンに滞在
 コルドゥリエ広場のホールで毎週水曜日に開かれていた定期演奏会に出演

・8月下旬、スイスに入る

・8.20頃、ジュネーブに到着
・9.10頃までジュネーブに滞在
・中旬、ローザンヌに滞在
 15日と18日に音楽会
 ベルンに8日滞在、チューリヒに到着
・10月 7日と9日に演奏会、10日チューリヒ出発
シャフハウゼンに着き、4日ほど滞在後、ドーナウエッシンゲンに入る

・11月 メスキルヒ、ディリンゲンを経てアウクスブルクに着く

 途中、マルクト・ビーベルバッハの巡礼教会で当時12歳の天才少年ヨーゼフ・ジークムント・オイゲーン・バハマンとオルガン競演をする

・11.8 ミュンヘンに到着
 ヴォルフガングがまた病気になった
 レオポルトは「足の指も膝も動きません。だれも近づくこともできません。ヴォルフガングは、4晩も一睡もできませんでした」と書いている

・11.27 ミュンヘンを出発し、29日、ザルツブルクに帰る

1763年6月9日(7歳)から1766年11月29日(10歳)の西方への大旅行であった

★1766年末に着手し、1767年3月初めに、宗教的ジングシュピール「第一戒律の責務」第1部(K.35)が完成した

☆ザルツブルクは学校劇や宗教的ジングシュピールが盛んだった

 ザルツブルク大学では年度の最後に劇を上演し、学生の4分の1以上が共演していたという
 学校劇の主題は聖書、聖人の生涯、教会史からとられた
 作品の上演は、教会、大聖堂、修道院、大司教の宮殿で行われた
 ザルツブルクでは、宗教的ジングシュピールは何人かの作曲家で分担して作られる慣習になっていたという

・この「第一戒律の責務」の曲のタイトルは、マタイ伝第12章第30節「心をつくし、精神をつくし、思いをつくし、力をつくして、主なるあなたの神を愛せよ。これが第一の誠律である」に関連している

☆第1部の音楽は10歳のヴォルフガング・モーツァルト氏
 第2部は、楽長ヨハン・ミヒャエル・ハイドン氏
 第3部は、宮廷作曲家兼オルガン奏者アントーン・カイエターン・アードゥルガッサー氏による

☆モーツァルトは約200ページにわたる自筆譜を残している

・注文主はおそらく大司教シュラッテンバッハであろう

★大司教シュラッテンバッハは、この少年がこうした大作を書いたことが信じられず、副 楽長の父レーオポルトが書いたのだろうと疑い、後日、ヴォルフガングは1週間のあいだ部屋に閉じ込められて、宗教的なカンタータを作曲しなければならなくなった

★その作品は「聖墓の音楽」(K.42)であることが判明している