goo blog サービス終了のお知らせ 

ビタミンおっちゃんの歴史さくらブログ

STU48 音楽、歴史 などいろいろ

◎80対20の法則 1

2014-09-04 23:38:38 | 歴史 本
80対20の法則 1

★「80対20の法則」(リチャード・コッチ、阪急コミュニケーションズ)より ほんの少し

「80対20の法則」を活かす

○努力の平均水準を上げるのではなく、努力を1点に集中する

○網を広げるのではなく、網をせばめる

○多くの分野で平均点をとるのではなく、1つの分野で突出した成績をあげる

1番得意とすること、1番楽しいと思うことだけをする

・つねに勝者と敗者がいて、つねに敗者のほうが多い
好きなことに力を集中したほうが勝つ率は高い
・敗北の大半は、自分が得意でなく、他人から強制されて参加したレースで起こる
勝利の大半は、自分が得意とし、自分が望んで参加したレースで起こる

◎楽しみのためではなく、勉強するために本を読む場合

・最初から全部読まずに、まず結論を読む
 次に序論をよむ
 次に結論を読み返す

 あとは、おもしろいところだけを読む


いつもやりたいと思っていることをやる

 今やらなければ生涯できないことをやる

◎究極の鍛錬

2014-08-30 22:45:25 | 歴史 本
究極の鍛錬

「究極の鍛錬」ジョフ・コルヴァン、サンマーク出版 を読んで

◎生まれつきの才能は過大評価されている

 生まれつきの才能など存在しないと言い切るわけではないが、もし仮に「生まれつきの才能」が存在するとしても、それは重要なものではない
 達人になる人たちは、子どものころは、ほとんど「天才児」ではなかった

 世界的な業績を上げる人は「生まれつきの才能」に頼っているのではない

○音楽学校の生徒を対象にした楽器演奏の調査によると、最高レベルの演奏をする者に、早熟の兆し(生まれつきの才能の証し)はまったくみられなかった
 演奏能力の違いを示す要因は「どれほど多く練習するか」ということであった

 等級試験の合格に必要な練習量(時間)はどの生徒も同じで、一定の累積時間をつぎ込まないかぎり、等級レベルに合格することはできない
 早い年齢で等級試験に合格した生徒は、音楽的才能に恵まれていたためではなく、1日の練習量が多かったためである

◎上達をするのに最も重要なことは、個人レッスンやクラスでの授業ではなく、自分一人で練習することである

 1人での練習はつらくて、おもしろくないものであるが、1人での練習量が最も多い者が最もすぐれた奏者となる


モーツァルトの場合

・モーツァルトの父親レーオポルトは作曲家で、音楽理論家で(「ヴァイオリン教程」を出版している)、教育家でもあった

・モーツァルトは音楽家の父レーオポルトから3歳の時から作曲と演奏のトレーニングを受けていた

 子ども時代のモーツァルトの作品については、父レーオポルトの指導があり、父が手を加えた可能性がある

 モーツァルトのピアノソナタの最初期の6曲の作品は1775年、モーツァルトが19歳の時に書かれたが、このときまでに、常時ではないとしても、10年以上の訓練を積んでいたことになる

モーツァルトは頭の中だけで作曲し完成した作品を何の修正もせず単に楽譜に落としていただけだと思われていたが、それは全面的に真実とは言えない

 「モーツァルト大事典」(ロビンズ・ランドン、平凡社)の口絵の部分に、モーツァルトの自筆譜(写真)が14点(図17~図30)のっています

 図20「3台のピアノとオーケストラのための協奏曲ヘ長調」K.242(1776年、20歳)では、下半分の部分にいくつも斜線を引いて取り消されている
 図24「ピアノ協奏曲ハ短調」K.491(1786年、30歳)では、「輪郭」しか書いていない箇所があり、そこに斜線を引いて、その上の段に「肉付けされた」楽譜が書かれている

 このように、自筆譜の中には、書き直したり、カットしたりして手を入れている部分がありモーツァルトがどんな曲も修正なしに一気呵成に作曲していたとは言えない


10年ルール

どのような分野でも最高の業績を上げるためには、少なくとも10年の訓練、準備、努力を必要とする

 何か価値あるものを生み出すには、それに先立つ長くきびしい学び、準備期間がある
 ある日突然、奇跡のようにひらめいたものではない

・トップランクになるには1万時間の練習をする必要があり、そのためなるべく早く訓練を始めることが有利になる

限界に達したように思われても、「究極の鍛錬」によって、人はその後も年齢とともに、さらに自己の能力を高めつづけることができる

 トップ水準の能力を維持できなくなるのは、自身が限界に挑戦することをやめたときである

頭脳も高齢になっても鍛えられる

 訓練により、新しいニューロンを増やすことができる


「究極の鍛錬」の要素

①しばしば教師、指導者の助けが必要で、実績向上のために特別に「考案されている」
 現状の能力の限界に挑戦するように設計されている

 もうすでにできることを練習しても進歩はない

②何度も繰り返すことができる
 ただ単に繰り返すこととは異なり、適度に困難な特定の課題や弱点に集中して練習することと、相当な回数繰り返すこと

③訓練の成果に関し、継続的なフィードバックがあること
 フィードバックを得なければ、上達せず注意深く練習しなくなる

精神的にはとてもつらい
 対象を絞り込み、苦手なことに集中して努力することが求められるから長時間の練習は続かない

 1回のセッションは1時間~1時間半で、1日の練習時間は4~5時間が上限である

あまりおもしろくない
 うまくできないことを繰り返し練習することを求められるのだから、本質的に楽しいものではない

 できることよりも、できないことを克服することに多くの時間を費やす

 つらく難しいことを練習することで技が向上する

 つらい練習は多くの人がやりたがらない

 だからこそ、「究極の鍛錬」をすればそれだけ人よりも際立った達人になれる

◎「究極の鍛錬」は人をどのように変化させるか

・普通の人より多くのものを認識する
・ひと足さきに次に何が起こるか予測できる
・普通の人が気づかない重要な情報を見つけることができる
・何が重要で何が重要でない情報か見分けることができる
・普通の人より先が見えていて将来に備えることができる
・より少ない情報から多くを知る
・微妙な違いがわかる
・より多くの知識をもっている
・より多くを記憶できるようになる
・常に自分の限界に挑戦する

もっとも傑出した業績を上げた人は、全身全霊でその分野に打ち込み、大きな投資を行い、人生をささげ、膨大な知識を蓄積し、常に自分の限界に挑戦し、その分野の最先端に置くよう努力した人たちである

◎傑出した業績を上げるための「情熱」はどこからやってくるのか

・ちょっとした成功、優位性、称賛されることが動機づけとなる
・競争者が少ないところで学びはじめること
  

◎「幸福について」ショウペンハウエル 3

2014-07-25 22:41:34 | 歴史 本
「幸福について」ショウペンハウエル 3

「幸福について」(ショーペンハウアー 新潮文庫)より少し抜き書き その3

・志を同じくする者がまるで磁力で引かれるかのようにたちまち相寄り相集まる

 似通った心と心は遠くから挨拶を交わす

・知性や分別によって憎しみや怨みをかき立てられるのが、絶対多数の人間である

 「物わかりの悪い人には物わかりのよい人に対する百倍もの嫌悪の情がある」

・人は精神の優越を避け、これを憎む

 その口実として、その人間にあらゆる欠点をなすりつける

・自分のおこないについて他人を手本にしてはならない

 自分の性格に適った行動をとらなければならない

・時の経過によってはじめて得られるものを、時を待たずに要求し、時を待たずに手を着けるというようなやり方をすべきではない

どんな出来事にもいきなり大喜びをしたり、わめき悲しんだりせぬがよい

 あらゆる事物が変化の可能性をもち、そのためこの出来事がいつどんな時に変化させられないともかぎらない
 わめき悲しんだ出来事が、あとからみると自分にとって真に最善のものであったり、大喜びした出来事が、最大の苦悩のもとになっていたりすることは、ほとんど誰もが経験する

・文学に描写されるような面影に魅力があるのは、それが単なる面影であって現実的なものでないからである

・青年期の立場から見ると、人生は無限に長い未来である
 老年期の立場からは、きわめて短かった過去である

・老人になってもまだ研究欲があり、音楽や芝居を好み、総じて外部のものに対するある種の感受力が残っていれば、仕合せである

◎「幸福について」ショウペンハウエル 2

2014-07-23 22:44:11 | 歴史 本
「幸福について」ショウペンハウエル 2

「幸福について」(ショーペンハウアー 新潮文庫)より少し抜き書き その2

・「その日その日を一生と見よ」(セネカ)

・明日はまた明日で1度しか来ない別な1日なのである

 1日1日が人生の主要な部分であり、したがってかけがえのない部分だ

・人は独りでいる間だけが自由だ

・自分自身だけを当てにしてきた人間、自分にとって自分自身が一切合財でありうる人間が最も仕合せだと結論することができる

・自分以上の幸福を見て苦しむ者は、決して幸福になれない

・朝は一般に、精神的な仕事にせよ、肉体的な仕事にせよ、どんな仕事にも例外なしに適した時刻である
 朝は1日のうちでは青春時代に相当し、すべてが朗らかで、すがすがしく、軽快である

・自分が持っているものを、これが自分のものでなかったらどんなだろうと、たびたび問うてみるがよい
 大抵の場合、失ったあとではじめてものの値打ちがわかるからである

・何かをすること、できることなら何かを仕上げること、せめて何か覚えるということは、人間の幸福には欠くことができない
 最大の満足が得られるのは、何かを仕上げること、作ることである

障害と闘って勝つことが、人間を幸福にするのだ


1日1日が小さな一生なのだ

 毎日毎日の起床が小さな出生、毎朝毎朝のすがすがしい時が小さな青春、毎夜の臥床就寝が小さな死なのである

◎「幸福について」ショウペンハウエル 1

2014-07-21 16:39:18 | 歴史 本
「幸福について」ショウペンハウエル 1

「幸福について」(ショーペンハウアー 新潮文庫)より少し抜き書き その1

・人生の幸福にとっては、われわれのあり方、すなわち人柄こそ、文句なしに第一の要件であり、最も本質的に重要なものである
 人としてのあり方のほうが、人の有するものに比して、われわれの幸福に寄与することがはるかに大であるにちがいない

最も直接的にわれわれを幸福にしてくれるのは、心の朗らかさである

 「多く笑う者は幸福だ」
 朗らかさは無上至高の財宝である

・外部から刺激を与えてくれるものといえば、大自然の所産と人間世界の動きに対する観察とである
 かつはまたあらゆる時代、あらゆる国々の天賦の才能に特に恵まれた人たちの多種多様な業績である
 これを完全に理解し感得する者はこの自分以外にはないのだから、こうした業績は結局自分ひとりが完全に享受しうるものなのだ
 だから自分ひとりのために、こうした先哲偉人が生きていてくれたわけだ

・普通の人間は、自己の外部にある事物を頼みにしている
 財産や位階を頼みにし、妻子・友人・社交界などを頼みにしている
 したがってこうしたものを失うとか、あるいはこうしたものに幻滅を感じさせられるとかいうことがあれば、人生の幸福は崩れ去ってしまう

・「まことの富は魂の内なる富ぞ、
 そのほかは益少なくわざわい多し(ルキアノス)」

・大衆が理解し歓呼して迎えるような功績もあるにはあるが、それはその当初だけで、あとになるとじき忘れてしまう

・ソークラテースはしきりに論争をしたために、暴行を受けることがたびたびあったが、平然としてそれを忍んでいた
 或る時、足で踏みつけられながら、じっとこらえていた
賢者は侮辱を問題としない

・労作が高級で難解な部類に属するほど、制作者みずから名声を身をもって経験することは稀である

自分も功績を立ててすでに名声を博している人でも、新たな名声の出現を喜ばない