近江八幡山城の深い謎
◆対談者
長谷川!ビイスタ構造論が全国区で話題です!
私は先生のブログで安土城や天正大坂城また
太閤秀吉の肥前名護屋城に放射線縄張ビイス
タ工法がある事に大変驚きました。失礼な事
なのですが滋賀で長谷川先生の縄張図は凄い
とか縄張の魔術師長谷川先生と言う異名や噂
はもう何十年も半生期近い昔からお聞き聞て
いましたが私は全く此れを信じられなかった。
失礼ですが長谷川先生は全く世の中に知られ
ていない無名の人、町の講演会も全くない。
著書もないだからどんな城の研究している城
郭の先生か?全く知る術がない!全く謎に包
まれた近江が産んだ生粋の滋賀産伝説の城郭
▼長谷川博美 安土城のビスイタ工法縄張図
▼長谷川博美 安土城のビスイタ工法縄張図
研究家だとか、知る人ぞ知るその道に熟達し
た人や一部の極く少数の有識者しか知られて
いないない伝説の先生だと聞いていました。
どうした事なのか?長谷川先生を知る人とは
滋賀県外の人々ばかりで滋賀県に引っ越して
きた人々で、先生の城郭調査の伝説を求めて
県外の人が、はるばる訪れるという本物傾向
世の中には少数だが長谷川先生を渇望する声
もあるだから米原公民館に先生を推薦した方
は見る眼のある有識者と私は確信しています。
▼江戸期の城郭測量書『量地指南』より。
◆長谷川
御指摘のように私は全く無名です、近江八幡
の岡山公民館や近江八幡図書館で講演をさせ
て頂いております。南津田の皆様には格別の
お世話になりました。近江八幡とは縁がある。
米原公民館の講座は有識の某氏様の推薦です。
滋賀民俗学会 理事 長谷川博美 米原公民館連続講座
〒521-0016
米原市下多良三丁目3番地
連絡先
電話番号 0749-52-2240
「公民館様より電話」
長谷川先生以下の日程で歴史民俗学の講座講師
を御願い致します。追加参加者様が有れば受付
します。先生には城郭だけに限定せず民俗学や
歴史地理も含めて活かした楽しい参加者自身が
考える米原学の推進を是非是非ともお願います。
滋賀民俗学会理事 長谷川博美 連続講座
講座タイトル
『お城造りから見るお城と人物伝』
各回参加費500円を公民館で徴収
資料は現実受講される人のみ限定
令和3年2021年
1 5月27日木曜 10時~11時 3A研修室
2 7月29日木曜 10時~11時 3A研修室
3 9月30日木曜 10時~11時 3A研修室
4 11月25日木曜10時~11時 3A研修教室
令和4年
5 1月27日木曜10時~11時 3A研修室
6 3月24日木曜10時~11時 3A研修室
〒521-0016
米原市下多良三丁目3番地
連絡先
電話番号 0749-52-2240
「公民館様より電話」
長谷川先生以下の日程で歴史民俗学の講座講師
を御願い致します。追加参加者様が有れば受付
します。先生には城郭だけに限定せず民俗学や
歴史地理も含めて活かした楽しい参加者自身が
考える米原学の推進を是非是非ともお願います。
滋賀民俗学会理事 長谷川博美 連続講座
講座タイトル
『お城造りから見るお城と人物伝』
各回参加費500円を公民館で徴収
資料は現実受講される人のみ限定
令和3年2021年
1 5月27日木曜 10時~11時 3A研修室
2 7月29日木曜 10時~11時 3A研修室
3 9月30日木曜 10時~11時 3A研修室
4 11月25日木曜10時~11時 3A研修教室
令和4年
5 1月27日木曜10時~11時 3A研修室
6 3月24日木曜10時~11時 3A研修室
◆対談者
近江八幡山城は羽柴秀次の城であり叔父秀吉
もこの城の普請現場にも視察に来ていますし
ビイスタ工法のある安土城から近江八幡へと
城郭を移したのも羽柴秀吉豊臣秀吉と言う事
で八幡山は通称「鶴翼山」であり鶴が翼広げ
た様な鶴翼の縄張が八幡山城だと私は思いう。
◆長谷川
鶴翼山は後世の俗称です。京極高次も八幡山
侍従として居城としており秀吉秀次一辺倒の
近江八幡山城と縄張構造として語る事は危険
です。それに多くの石垣が崩落しており天守
石垣も江戸時代に撤去され完璧にその縄張を
考察する事は研究家としては避けるべき事か
と思います。
◆対談者
引込み思案ですね?ネガテイブ思考ですよ。
私達一般市民が聞きたいのは長谷川先生が
凡庸な城郭研究家ではない事は解っている。
探偵金田一耕介のように解説して下さいよ。
▼江戸時代の地籍測量「検地の測量器具」
十字、分度器、水縄などの測量器具の充実に着目
▼日本古来の分度器
▼長谷川博美 伝秀次館ビイスタ工法試論
◆長谷川
八幡山城前身安土城の伝羽柴秀吉邸にもビイスタ
工法の縄張設計が読み取れます。安土の秀吉邸の
櫓も秀次館の櫓台石垣も正方形ではなく放射状の
ビイスタ線を用いております。秀吉邸の櫓礎石も
石垣天端の内側に設定されている事に注目します。
◆長谷川
先ずは伝秀次館には一部放射線縄張ビイスタ
工法が使われております。上図B点から山上
の山城城郭部分は山頂と山麓ともにシンクロ
した放射状縄張つまりビイスタ工法が使われ
ています。安土城と同じ工法で縄張している。
近江八幡山城もやはり展望を意識した設計を
用いている。これは秀吉の長浜城主要部群は
歪なのにその城下は碁盤目状の矩形グリッド
線を用いていています。近江八幡山城も山城
は放射線グリッド城下は矩形方形の碁盤目の
設計を用いた叔父秀吉と甥秀次ぐの意向等が
反映されたものかと思います。
◆対談者
衝撃ですよ。私ら毎日鶴翼山眺めて暮してます
がこんな秘密があるなんて夢にも考えていない。
◆長谷川
地味に地道に近江八幡山城の縄張を検討します。
▼第1段階 拡大図
本丸から二ノ丸への放射状縄張線の検討です
▼第段2段階 拡大図
本丸枡形から二ノ丸への放射状縄張線の検討です。
枡形の外の翳「かざし」郭の繊細な縄張解ります。
▼第3段段階 拡大図
二ノ丸石垣の弓状の縄張を分析と検討です。
A隅石 B横矢 C横矢 BC併せた相横矢。
▼第4段段階 拡大図
abcdeと石垣櫓台のシンクロした配列が巧妙見事。
fの隅部の縄張も天端と根石部も見事に整合する。
◆様々な放射状縄張が存在し近江八幡山城の
深い謎と言えます。
◆比較研究
◆長谷川
太閤秀吉の文禄慶長期の肥前名護屋城の本丸
にも埋没した石垣が地下から出土しています。
近江八幡山城も秀吉の監督のもと甥秀次の城
として築城された城ですが昭和の台風の風雨
による本丸石垣の中から石垣が出現してます。
また太閤秀吉の肥前名護屋城や羽柴秀吉時代
の天正大坂城も放射線ビイスタ工法を用いて
築城しております。関白時代の小田原城攻め
の為の附城「石垣山城」も同じくビイスタ的
放射状縄張を秀吉は駆使してます。羽柴秀長
の賎ケ岳合戦の田上山城や播州姫路城や但馬
竹城等にもビイスタ工法が読み取れますよね?
▼元亀年間 虎御前山城 伝織田信長陣所
▼元亀年間の木下藤吉郎時代の虎御前山城城 放射線
▼羽柴小一郎秀長の但馬武田城
秀吉陣の放射状縄張の考察 虎御前山城 秀吉陣
羽柴秀吉 姫路城基本の縄張
▼元亀の騒乱 織田信長本陣 大津市宇佐山城ビイスタ線
▼宇佐山城 本丸拡大図
▼羽柴秀長羽柴秀吉 賤ケ岳合戦 田上山城
▼関白 豊臣秀吉時代の石垣山城
▼関白 豊臣秀吉時代の石垣山城 複数のヒイスタ工法
▼秀吉の意向で羽柴秀長が築城した和歌山城のビイスタ工法
▼天正羽柴秀吉時代の大坂城の放射線ビイスタ工法
▼太閤秀吉時代文禄慶長の役「肥前名護屋城」ビイスタ
▼天正11年1583年柴田勝家「内中尾山城」玄蕃尾城
▼天正11年佐久間玄蕃盛政 長浜市余呉行市山陣城 ピイスタ
▼近江佐和山城のビイスタ線
▼長谷川博美 佐和山城本丸推定復元図 ビイスタ論
▼多賀大社 社頭絵図の澤山城「佐和山城」長谷川分析
◆長谷川
それでは山頂本丸周辺の放射状縄張をチェツク
検証しましょう。図面は近江八幡市2008年図版
を使わせて頂きます。勿論記号や掛線は長谷川
先ずA点からは本丸前面に構えられた枡形構造
の基本となっている放射線1、2、3、4、5、や
8、7、6、9等の複数の放射線測量を基準として
縄張が読み取れます。
◆長谷川
更にA地点から10、11、12、13、14、15、16等
の放射状縄張線がある事が読み解けます。A点
からは横矢の為の張出櫓台石垣10、11、を縄張
◆対談者
城の縄張って機械のように複雑巧妙緻密ですね?
◆長谷川
勿論、城はナスビやキュウリとは違う機械です。
◆長谷川
次にB点からはB1、B2、B3、やア、イ等も併せ
読み解けます。ウは横矢櫓、エは枡形虎口です。
エの枡形は江戸時代の城郭の枡形様に90度矩形
ではなく図の如く歪な放射線により縄張してる。
またオは枡形の外を防御する翳し郭目隠し曲輪
や変形した馬出郭に相当する施設と考えられる。
◆長谷川
本丸の枡形の形状は近世城下枡形とは異なる歪な
放射状縄張設計作られています。H放射線起点や
Gの放射線起点、Fの放射状起点、やJ、Kもある。
◆対談者
ウワーツ!ドキドキ、ワクワクしてきましたよ。
まるで戦国時代の縄張の現場に来ている臨場感。
◆長谷川
江戸時代絵図では本丸に天守台や埋門うずみも
ん石門が存在した事がうかがわれますが現在は
存在しません。岩崎山城を佐々木六角附け城と
表記している事にも興味深々だが絵図デッサン
力は現況と異なり正確無比とは言えず残念です。
◆長谷川
二ノ丸も本丸と連動して複雑に各所に放射線状
の測量線を用いて縄張している事が解ります。
◆長谷川
搦め手も複雑に放射状縄張を用いており北の丸
や西の丸の礎石も放射線測量に連動して配置が
なされているようです。
▼近江八幡山城山頂部の各種各所放射線測量の考察
◆質問者
放射線ビイスタ工法は信長秀吉の織豊政権独特の手法?
例えば近江八幡の岩崎山城「北庄城」などもビイスタ
工法や放射状測量方法が存在しますか?近江八幡市の
▼2008年測量図引用
◆長谷川
八幡山城の隣りにある岩崎山城も2方向から放射状の
測量を用いて築城している事が解ります。枡形も大小
2カ所の天守台「状」も備えている事に大変驚きます。
▼近江八幡市北庄 岩崎山城
◆長谷川
しかし従来より近江には放射線状縄張手法が存在する。
▼佐々木六角に叛旗を翻した西条氏の近江八幡円山城
▼佐々木六角の信長迎撃用要塞 東近江市和田山放射線
記事中の江戸時代絵図には天守台が描かれていますが、ビイスタ理論や見栄えなどから考えると、天守台はどこにあったと推測されるのでしょうか。天守台が一体どこにあったのか子供の頃から疑問に思っています。ご教示頂ければ嬉しいです。