城郭 長谷川博美 基本記録

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宇喜多織豊城郭 下津井城のビイスタ研究

2023-09-13 22:51:14 | 山陽山陰の城 ビイスタ工法

◆質問者

宇喜多秀家は織豊系大名として

備前岡山城の他に石垣城郭築城

していますか?

 

◆長谷川

天守台や石垣を備えた織豊城郭

下津井城を築城しております。

 

◆対談者

脱線質問になりますが大和宇陀

松山城のような細長いビイスタ

腺は下津井城にも読み取れます?

 

 

◆長谷川

読取れますよ。1を起点にして

細長いビイスタ線が存在する。

◆対談者

最近益々長谷川先生の城郭

ビイスタ論の有益性普及性

が素晴らしいと感じてます。

 

◆質問者

下津井城の

1赤丸天守台2堀切の屈折3東出丸は

どの様なビイスタ工法を用いて縄張

をしているのでしょうか?

 

◆長谷川

天守台は1と4のビイスタ線を

組み合わせて縄張をしてます。

堀切の屈折は1と2のビイスタ

腺を組み合わせて縄張してます。

多数側面からビイスタ放射させ

て1234のビイスタで構成されて

います。

 

 

◆反論者

デタラメ理論連発するな!ビイスタ

論動画など絶対見ては駄目な動画だ!

◆対談者

そんな批判されましても長谷川先生

の城郭ビイスタ動画再生数7395回に

 

◆長谷川

ビイスタ理論で城郭を分析する習慣

は昭和平成には存在しませんでした

が地味ながら令和に登場して来た論

馬伏城も細長い城ながら側面からの

ビイスタが読み取れます。この様な

研究手法を比較研究論と昔から言う。

◆長谷川

下津井城の南から、あいうえお

のビイスタの痕跡が読み取れる

 

下津井城ウイッキペデイア引用

城郭構造 連郭式平山城
天守構造 不明
築城主 宇喜多秀家
築城年 永禄年間(1592年1596年)頃
主な改修者 池田長政
主な城主 宇喜多氏池田氏
廃城年 寛永16年(1639年
遺構 石垣、土塁、(伝)移築門
指定文化財 岡山県指定史跡[1]

 

 

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