城郭 長谷川博美 基本記録

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★特報 滋賀 未知の遺跡を見る人

2020-04-08 08:23:43 | 古代史
★特報 滋賀 未知の遺跡を見る人

◆はじめに
遺跡や城址を実際に目で確かめて野帳に記録
しておく事をフィールド、ワークと言います。
日本的な言語で表現するならば現地踏査です。

◆机上と現場
歴史公演と現地踏査は別の分野かもしれません?
机上のデスク、ワークと現場フィールド、ワーク
の見解が、異なる事はどのような分野においても
起こり得る事と冷静に客観的に考えて下さいませ。
              遺跡の所在地

▲現場の遠景 通称「城山/しろやま」です。
現地の地名や地図はも諸々の誤解をさける為にも
ご容赦を切にお願いを申上げます。また然るべき
時に、冷静で紳士的な皆様と共に見学したいと願
つております。現場の現実は以下の写真を参考に。

◆現場の段築遺構の現場写真です。被写体田畑理事。写真①

▲犬走遺構の解説と学習
写真①を見ても何がなんだか解らない人が多いと
と思います。田畑氏が立っておられる場所が犬走
です。右の壁が主郭で横矢と呼ばれる遺構断面が
観察できます。まあ城山だから当然とも言えます。
右肩の主郭は充分に削平がなされておらず戦国期
に臨時に作る陣所「臨時砦」の可能性もあります。
現地踏査で作成した図面ではポイントAに相当致します。
ポイントAだけの写真の様子ですが山頂をぐるりと取巻
く様に人口的な段築を張り巡らしておりその遺構の長辺
は東西に遺構の裾部も含めると80mにも達する規模です。
▲先ず中央に約20mほどの楕円形の平場が存在し
遺構の肩は、比較的シヤープに残っております。
1と2は城郭遺構で言えば横矢に相当致します。
中央の丘陵部からやや下がる様に山尾根自体が
人口的に加工している「くびれ部」4が存在し
ます。4の南北には人工的な削平がなされた3と
5の平場が存在致します6は2重の犬走が見えます。
7は緩やかなスロープを形成しかすかなアクセント
7が残っています。この図を一見します瓢箪型を
呈する。又円墳や大和型とは異なる北陸系統の
虎御前山にも存在する異形不整形の前方後円墳
の可能性もあります。現在当地で埴輪破片を採取
していませんので古墳と断定する事は出来ません。
また斜面には葺石も認める事は、出来ません。また
古墳丘とするには余りにも異形な不整形なのです。

しかしポイントAから図面の7まで東西距離は
80mに達する異形の遺跡と言えます。現地写真
からは後円部から前方部の様相を写真に収める
事が、できるのですが早計な判断は回避します。
湖北山本山西山麓の若宮古墳や山本山山系の西野
古墳に匹敵する規模があると思われますが大和型
に見られる数段の段が認められるものがなく異形
の王国の主、古代の越前から近江への塩道の通路
を扼した古代豪族の夢の跡と解釈しますとロマン
があるのですが?現段階では何とも言えません。
★しかし山中でこの様な遺跡に遭遇すると私の
心は激しい衝撃を受けます。滋賀の歴史は未だ
解明されてない。古代史も謎に深く包まれてる。

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