2009年9月4日撮影
唄の街だよ八尾の町は
唄で糸とるオワラ桑も摘む
中山 輝(なかやま てる)
中山 輝は富山県人なので、何度となく八尾を訪れていることだろう。
何度も書いていることだが、町民ひろばを出て、禅寺橋を左に見ながら井田川沿いの小道を上流に向かって歩くと、八尾大橋の袂に出る。
八尾大橋を渡りきった所に「西町」の信号があり、右折できる道が二本ある。
手前の井田川沿いの道を右折し、道なりに進むと左手に消防署と源川原住宅があり、それらを通り過ぎると合同の坂に出る。
この道でも目的の歌碑には行けるが、少し遠回りである。
「17」「18」の歌碑に行くときに通った、奥の方の道を右折しよう。
「かどや」のある交差点では合同の坂と交差するが、そのまままっすぐ進んでゆくと曳山会館の下の方に出る。
そこで左側を見上げると坂道がある。
原蚕(げんさん)の坂と呼ばれる石畳ぽい?舗装をした坂である。
この坂を上ってゆくと曳山会館の正面に出られる。
右手の電話ボックスの脇に石段があるので、ここを上るとすぐに歌碑がある。
2003年5月5日撮影
以前にも書いたが、高橋 治は『風の盆恋歌』の最後のシーンで、「とめ」さんにこの唄を歌わせている。
ところで、唄の中には「この町でしか歌えない」、という唄がある。
別に規則で決まっているわけではないが、その町特有の地名や様子が唄に盛り込まれていれば、自ずとその町でしか歌えなくなる。
例えば、
鏡町ならうつしておくれ
恋し富山のオワラ主の顔
のように、町の名前がズバリ出てくる唄や、
諏訪さまの宮の立石主かと思うて
ものも言はずにオワラ抱きついた
という諏訪町にある諏訪社を謳った唄。
手っ甲脚絆に紅緒の襷
可愛いやな早乙女オワラ風の盆
などは、田植えをする早乙女姿で子供たちが踊る、東新町の様子を謳っている。そんな唄である。
その点、この唄は八尾町全体を指しているので、どの町へ行ってもよく歌われている。
よく歌われているゆえに、おわら節の中でも皆によく知られている唄、ということになるであろう。
というわけで、おわらの時期は言うに及ばず、おわら以外の時期に八尾を訪れる人々も、必ず立ち寄るであろう曳山会館前の広場辺りに、この歌碑があるというのはは、なるほど、と頷ける。
もっとも、本来はこの歌碑の側面に刻まれているように、曳山会館が富山県立蚕業学校の跡地であるということから、この地に一番相応しい唄として選ばれたのだろうと思う。