8月の初めの骨折気が付かず遅れて受診しました件は11月6日の検査で完治していました。
ただその間に人生で必ず訪れる大切な人(母96歳)との別れを経験しました・・・
まだ、この事を文字にすると画面が涙でかすんでしまいます。
それでも植物はちゃんと秋には実を実らせますね。
クロガネモチ
母は7月の27日を最後にコロナの影響で逢えないまま9月の26日に状態が悪いので受診しますと連絡。
コロナ渦でも危険な状況なので面会許可頂けたので早速病院へ駆けつけましたが、意識がないまま一週間余り過ぎたころに、
肺が水で一杯になってって、今夜にも危ないかもと言われ付添い泊願い出ましたら許可が下りて母の側で10日ほど一緒にいる間に、
意識が戻ってちゃんと短い会話してくれるようになりました。
アメリカツリバナ
いろんな条件が重なってって主人の腸のポリープ切除が3年遅れてしまって10月13~14日予約の予定
何とか持ってほしいという思いが伝わったのでしょうか、母が持ちこたえてくれましたのでその日から付添い泊一旦中止無事に手術終えることができました。
それからは母も意識が戻ってきましたので毎日逢いに行くのが日課、誰が行ってもちゃんと名前を言える迄戻りましたが、
もう園にも家にも戻れる状況までは戻らないのは覚悟しながら、今迄逢えなかった分取り返すように毎日通いました。
キンモクセイ
11月1日の朝、もう間に合わないかもですが来てくださいの電話、子供達にはラインですぐ行くから父さんまだ寝てるからオネガイの連絡入れて
病院までの道泣きながら待ってて、待ってってを繰り返しながら走りました。
何とか意識は無いけど浅い呼吸して待ってってくれました。
コウヤボウキ
コウヤボウキみたいに細い呼吸しながらそれでも4時21分、孫たちもみんな集まってくれた中で今呼吸止まったの?
みたいな感じで眠るように静かに静かに父の待つ空へ逝きました。
看護師さんも良くこれだけ頑張ってくれましたねと言ってくださいました。
園で逢いたいのをずっと我慢していたからでしょうか、ほんと一日皆を待ってくれてたような気がします。
アケボノソウ
花名前の由来は、この模様を夜明けの星空に見立てた名前。弁には紫色の点と、黄緑色の特徴的な丸い模様の蜜線がある。
大切な人も星になってしまいました...
コロナの中で故郷の山口県からは誰も出席できず、関西に居る私の家族と、単身赴任で大阪に居る弟とで寂しい告別式でした。
遺骨も15日まで家に居てくれたので毎日側で何もしないで過ごし、16日の朝一番の新幹線で弟が山口県の新幹線の駅でお嫁ちゃんに手渡し、
家にも入れてもらえないまま、弟は大阪までトンボ返り・・・帰りの車中がどんなにか悲しかっただろうと心中察するに余りあります・・。
49日も弟も私たちも帰られず山口県在住の妹夫婦とその孫達で執り行われます。
仕方ない事ですが、まだ自由に面会させていただいた病院にホント感謝です。
何だか、湿っぽい内容で申し訳ありませんがこれから少しずつ投稿できたらと思います。
お休み中沢山のお心遣いのコメントありがとうございました。