チャレンジ

楽しく、自然体で生活しながら、チャレンジし、感じ続ける記録です。

平井さん

2005-07-22 22:40:14 | 覚えておきたい考え
 3ヶ月ぶりの赤提灯会。場所はいつもの『いざわ』さん。今回も初代ロードスター主査の平井さん、新型ロードスター主査の貴島さんの話が聞きたくて、いろいろな人が集まってきた。

 平井さんの話はとても面白い。ロードスターを実現するための恐らく苦労話のはずなのだが、平井さんが話すと苦労話もとても楽しいチャレンジの話に聞こえる。考え方もとても柔軟で、遊び心にあふれている。
よく芸術作品には、作者の人格が表現されるというが、ロードスターという車はまさにこの平井さんの人格が表現された車のように思える。平井さんは決して自慢をしないが、平井さんがいなければ決して実現することのなかった、平井さんでなければ全く別の車になっていた、それがロードスターだと思う。

 平井さんと始めて出会ったのは15年前の2月のこと。初代ロードスターのヨーロッパの試乗会で3週間行動をともにした。スペインアンダルシア地方のヘレスで行われたこのイベントは、これまでのビジネストリップの中でも最も楽しいイベントだ。

 荒涼とした土地にオアシスのように広がるヘレスの町、シェリー酒の産地でもあるが、他にもフラメンコや闘牛もこのアンダルシア地方がオリジナルらしい。毎晩のようにシェリー酒を飲みフラメンコを見た。バルセロナやマドリッドで見るのとは違う、素朴な感じの、でもとても力強いフラメンコだった。

 日中は山頂に白い家が連なるアンダルシア地方の山岳道路をオープンにしたロードスターで走り回った。アンダルシアの風、太陽、香りを思う存分感じた。

 遊んでいたのではなく全てが仕事...といえば仕事。でもこんな楽しい仕事はない。唯一大変な仕事が平井さんの通訳。ジャーナリストの質問に大汗をかきながら対応した。
通訳として十分な仕事を果たせたとは思えないが、ジャーナリストは満足な様子だった。ロードスターという車が世に出てきたことを喜び、それを実現した平井さんに敬意を持っていた。

 素晴らしい車、そしてそれを実現した平井さんという素晴らしい人物に出会えたことは、私にとってもたいへんな喜びだった。
そして平井さんとのつきあいはそれ以降も続き、今の私にとってたいへんな財産になっている。

 でも平井さんには借りだらけ。 

 私が満足のいく通訳をできなかった時にも、平井さんは私を責めるようなことは一度もなかった。少し落ち込む私に「気にするな。大丈夫よ。」と声をかけてくれた。
赤提灯会のこと、水琴窟プロジェクトも私のアレンジが悪く、いつも平井さんに心配をかけているが、そのことについても一度も叱られたことはない。

 辛抱強く待っててくれている。

 でもいつまでも甘えてはいられない。もうそういう時期だと感じている。甘えるのはよそう。

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