チャレンジ

楽しく、自然体で生活しながら、チャレンジし、感じ続ける記録です。

アカデミックな世界

2009-09-29 19:30:47 | 身近な出来事
日本から大学教授が2人り来られ日本とドイツの働き方や生産性についてインタビューを受ける。

下準備として事前にいただいた質問表の答えを準備したあと、インタビューに来られる先生の情報をインターネットで調べた。すぐに、先生の過去の論文のタイトルや、講演のパワーポイントスライドなども見つかった。

久しぶりにアカデミックな雰囲気に浸るが、そこに書かれている内容がアカデミック過ぎてなかなかピンと来ない。特に統計手法についての知識が不足している性で、データーから結論に結びつけるところが理解できず、狐につままれたような感覚を覚えた。

アカデミックな世界は論理的な世界。論理のトレーニングをするのにはたまにこのような資料を目にするのも悪くない。そしてそれと同時にまたアカデミックな世界に足をつっこみたい思いも沸いてきた。

日本にかえってからやることがまた増えそうだ。

豚はじまる

2009-09-27 20:17:40 | 身近な出来事
先週は精神的に落ち着かないことがあり、また少し怪我をしたこともあってジムに一度もいかなかった。また精神的なものから来たのか、体に疲れを感じ、食事をとるとすぐ眠ることが多かった。

食事をとってすぐ眠るパターンは体によくない。胃がもたれるし、まさに豚のもと。

先週の締めくくりは金曜の歓送迎会。イタリアンレストランで脂っこいものをたくさん食べて、ビールとワインをたらふく飲んだ。二次会に行ったカラオケでもそれは続き、結局夕方7時から夜中の3時まで食べ、飲み放題。

先々週まで順調に減らしてきた体重が一気に金利もついて帰ってきたように感じる。豚はじまる。情けない。

でも、カラオケは楽しかった。かなり酔っ払いだったので、何を話したのか何曲歌ったのかはよく覚えていない。それまで抱えていた精神的な負担も歓送迎会までには解消し、怪我からも回復してきたこともあったのか、とてもリラックスして楽しんだ。
気の置けない仲間と飲んでいたのも良かったし、カラオケのお店の女の子も雰囲気を盛り上げてくれ、他のテーブルのお客さんとも一緒になって騒ぎ、ダンスをした。夜中の3時にあっという間になった。

昨日土曜そして今日日曜はダンスがあるので、少しは体は絞られるが、またいい体に向けて一から出直しという感じ。

豚という言葉について、日本ではこの言葉にあまりいい響きがない。カラスとかコウモリとか、狐とか蛇もそうかもしれないが、豚に比べれば、そこには賢そうだったり、魔性的なニュートラルか人判断する人によってはいくらかポジティブなイメージがあるように感じる。

豚にはそれがない。

人に大して「豚!」みたいに悪口をいうことは日本語だけでなく、英語、ドイツ語、フランス語にもある。

豚ってかわいそう。

自分自身の棚卸し

2009-09-27 19:46:39 | 身近な出来事
定期的に自分自身の棚卸をすることにしている。

最も手っ取り早くて、次につながる何かをえられそうなことになるかもしれないので、求人サイトに登録し、そこに載せる履歴書を過去の履歴書を見直しながら最新版にした。

履歴書だからアピールすることが重要。うそは一切書かないが、自分自身の過去の経歴や能力を最もポジティブな視点から抽出し、簡潔に纏め上げた。

「それなりにこれまで努力をしてきている」と、自分自身のことをよく思えたし、加えてもう少し伸ばしたい能力にも気がつく。

会社人間にはなりたくない、いつでも会社を辞めれるようにしておきたいというのは学校を卒業して今の会社に入った時からずっと思ってきた。これまで転職をしていないのは結果的にそうなっただけで、転職しないと決めていたことはこれまでなかった。

上司や、他のいろいろな環境に恵まれ会社に対しての不満がほとんどなかったことや、会社以外でいろいろとやりたいことがあって忙しかったことも原因だと思う。
転職活動をしたこともあるが、それも転職することを目的にして真剣に取り組んだものではなく、たまたま声がかかったところに話を聞きにいったレベルに過ぎない。自分自身の社会的な評価を確認したり、転職活動をすることで自分自身が会社に縛られないというスタンスを保とうとしたのだと思う。

また、結果的に最終オファーをうけられなかったことも転職していない大きな理由。でも、不思議なことにそれらの会社はその後全て業績が悪くなっている。当時は勢いのある会社で個人的には将来性がある会社だと感じていたのに、ことごとく経営危機に直面している。

何が良いことなのかは、とらえかた次第だからなんともいえないと思うものの、恐らく今の状態は転職さいたよりも結果的には良い状態のように思う。

「私は他力本願で、私のほうから動くのではなく周囲からやってくることを待っている傾向が強い」ということをあるかたに話した時に次のようなお返事をいただいた。

「自分が考えて、意思決定してやっているように思っても、それは必ず自分の外にある環境にスペースを与えられてやっているわけで、自分がやったのか、自分以外のものがやったのかわからないことがある。他力本願と自力本願、突き詰めると、結局はつきつめるとつながるように思います。また待つというのは、ある意味、とても基本の自分で考える行動のように思います。待てないで、周りの環境、ヒトに動かされることもありますから。」

確かにその通りのような気もする。
まずは自分自身の棚卸をやぅった。あとは何かが起きるかもしれないことを待つようにする。

秋の一日

2009-09-24 08:53:56 | 身近な出来事
「秋になりました。夜の時間が長くなり、今日は昼間の時間が夜よりも8分長いだけです」

通勤途中の車のなかでラジオから聞こえてきた。

日に日に朝の日の出が遅くなっていくことを感じる。
あと一ヶ月すればドイツは冬時間になり、朝は一層暗くなる。
暗いうちに会社にでかけ、暗くなってから家に帰ってくる生活になる。

秋も、そして冬も好きな季節。それは夜が長いこととも関係があるように思う。
明るいうちは何かしなければという気持ちから、昼間が長いと頑張りすぎてしまうのかもしれない。

自分に戻る、自分らしい場所に帰っていくのには夜がいい。

今日は少し変な日だった。
何が変かと問われれば一つ一つは些細なこと。
例えば、オフィスの椅子に座った時に、何か落ち着かない感覚があり、探してしまった。

シートベルトを。でもそこにはあるわけがない。

車の運転をしていて、信号の無い交差点に入るために左右を確認しようとした。でも寝違えて首が右側のほうに向かない。

体の向きを変えて右側を見たら、そこからは左側が見えなかった。

明日はいい日になるといい。


美人になる

2009-09-19 03:32:30 | 身近な出来事
最近気になることがある。それは感情が顔にでること。

嬉しい表情がでるのはよいとして、そうではない嫌な感情が顔に出ていることが気にかかっている。嫌な顔とは具体的にはあきれている顔やいらいらしている顔。

あきれることや、いらいらする感情も私の中ではよしとしていないところがある。だからそんな感情が表情にまででてくると、そんな私を情けなく感じる。

たぶん、いい格好をしたいのか、それとも本質的に高品質な人間になりたいと思っているのかのどちらか。いい格好が本質的な高品質か、その答えがはっきりとわからない、自分のことなのにわからないのも不思議。

わからないと思い込んでいる、または思い込もうとしている、もしくは答えを出すのを先延ばしにしているのか、考えるとどんどん深みにはまっていく。

誰かが答えを出してくれて、「あなたはこうしなさい!」と言われることを待っていて、そして言われたらすぐその通りするかもしれない。

なんなのだろう、わからないことがどんどん増えていく。

あ、でも今ふっとでてきたものがある。

それは「美」。美しいのがいい。美しいところに自分自身を近づけたい。そんな感情がふっとでてきた。
自然でいて美しい。そんなものにすごく惹かれる。

「美」の価値観は絶対的なものでないと思うから、私自身が美しいと思う「美」に私自身を近づけたいのだと思う。

美人になりたいんだな。今の私は。
いや、ただ美人が好きなだけかな。

今週月曜日にフランクフルトモーターショーのプレスデーに行った。海外のモーターショーは久しぶりだったこともあってわくわくどきどきする感情があったのも事実。さらに会場に行って、以前は見ることのなかったたくさんのコンパニオンにどきどきした。この国の、いやヨーロッパ中の美人を集めてきたようだった。

会場には自動車ジャーナリストだけでなく、そんな美人目当てもジャーナリストもいるようで、車そっちのけで美人ばかりにフォーカスして写真をとっている人もいた。
私もそうしてもよいなと思ったけれど、日本男児としてのほこりのようなものがそうはさせてくれない。美人の背景に少しでも車を入れる。「俺は車の写真をとるついでに、そこにいる女性をとっているんだ!」みたいに誰にも質問されないのに答えを準備している。
本当は車よりも美人に心を惹かれているのは隠しようのない事実。

家に帰り、どんな風に美人が撮れているのかワクワクしながら大きな画面で見てみた。

おやおや、あれあれ、こんなはずではなかったのに。

写真はしっかり撮れている。でも、どうもモーターショーの会場で見た時とは少し違う感じがする。

うん。「美人は旬のもの。華やかでいる時間はきっと短いんだ。」と自分自身を納得させる。