WATERCOLORS ~非哲学的断章~

ジャズ・ロック・時評・追憶

コーリング・ユー

2007年07月15日 | 今日の一枚(G-H)

●今日の一枚 182●

Holly Cole Trio

Blame It On My Youth

Watercolors0002_12  台風4号が接近しているようで、私の住む東北地方太平洋側も荒れ模様だ。雨風が強いという程ではないにしろ、できればずっと家にこもりたい一日だったが、午後からバスケットボールの練習ゲームがあったため、HCとしての任務を果たさなければならなかった。高校の女子チームである。実はきのうもS高校と練習ゲームをしたのだが、1試合目はディフェンスが機能して、現状では格上と思われるチームに1ゴール差で勝つことができた。2試合目には相手のゾーンディフェンスを攻めきれず完敗だったが、一年生中心の我々のチーム(2年生は1人のみ)としては良くがんばったと思う。

 我々のチームの選手の多くは、中学時代いわゆる"弱いチーム"の出身で、きちんとしたスキルを学んでおらず、補欠で試合にほとんどでることがなかった者も約半数を占める。けれども、素直で他者の話に耳を傾け、教わったスキルを一生懸命実行しようとする人間性にはとても好感が持てる。私は、素直さやひたむきさというものも、身体能力や身長と同様重要な資質であり、才能なのだと考えている。部員はたった8人しかいないので、今は技術的に劣る選手も含めて負けることを覚悟で全員にプレータイムを与えている。

 今日の練習ゲームも強豪J高校には完敗したものの、格上かと思われたN高校には何とか、同点引き分けに持ち込むことができた。N高校とのゲームは、残り6分で8点リードしていたが、あえて補欠選手を2人投入したのだ。補欠選手には緊迫した場面で出場機会を与えることに重要な意味があると考えたからだ。運動能力とスキルは高くはないが、その前向きな姿に私は賭けているわけだ。

 さて、今日の一枚である。ホリー・コール・トリオの1992年作品『コーリング・ユー』だ。ヒット作だ。久々に聴いたのだが、やはりよくできたアルバムだと思う。ホリー・コールその人の歌唱もさることながら、このアルバムはやはり "トリオ" の作品なのだと思う。ピアノ、ベース、ボーカルの組み合わせが、他に置き換えられないような独特のサウンドを生み出している。本当に趣味のいいサウンドだ。特に、サウンド全体を支える深く柔らかなベースの響きが素晴らしい。秀逸な演奏である。あまり話題にされることはないようだが、私は⑧ On The Street Where You Live (君住む街角)に魅了される。ホリー・コールの七色のボイスが余すところなく表出されていると同時に、トリオのサウンドとしても大変優れたものだと思う。

 うがった見方であることを承知でいうのであるが、ホリー・コール・トリオの"トリオ演奏"は、かつてのビル・エヴァンス・トリオに比肩しうる部分があるのではないかと思うほどだ。ボーカルを特権的な地位から解放し、トリオとしてのトータル・サウンドを追究しているように思うのだ。それは、とりもなおさず、ボーカルを楽器のひとつと考えることであり、実際ホリー・コールのボーカルは楽器的である。

 残念ながら、日本のジャズ業界においては、ホリー・コールの評価は今ひとつ高くはないように思える。このアルバムがヒットしてしまったからだろうか。しかし少なくとも、ホリー・コール・"トリオ"としてのサウンドは、もっと評価されてもいい、と私は思うのだがいかがだろうか。


461オーシャン・ブールヴァード

2007年07月15日 | 今日の一枚(E-F)

●今日の一枚 181●

Eric Clapton

461 Ocean Boulevard

Watercolors0012_2  久々にロックだ。エリック・クラプトンの1974年作品『461 オーシャン・ブールヴァード』。名作である。『レイラ』発表後、ヘロイン中毒でロックシーンから姿を消していたクラプトンが、再起を期して発表したアルバムであり、例えば渋谷陽一はこのアルバムについて、

《 堕ちるところまで堕ちた人間がつかみとった救い、というある種ゴスペル的でスピリチュアルな感じのアルバム…… 》

などという過大とも思える評価を与えている。ちょっといいすぎであると思う反面、このアルバムとそれに続く『安息の地を求めて』『ノーリーズン・トゥ・クライ』が、人生の苦杯をなめた男の、肩の力を抜いた安息の境地を感じさせるのは確かだ。

 ギターの神様などといわれたクラプトンが、クリーム時代のような長大でひけらかすギターソロをとることもなく、あるいはむしろそれを封印して、歌を歌い、音楽を演奏するという行為に専念しているところが好ましい。ギターソロが極端に少ないということに不満を感じつつも、この作品の持つ何かに魅了され、高校三年生の夏休み、私は数十回もこのレコードをターンテーブルにのせたものだ。

 最近、押入れの古いダンボール箱の中から、クラプトンにまつわる「完全コピー譜」やギター教本を発見した。ギター少年の私は、どちらかというと、ジェフ・ベック派を自認していたのだが、クラプトンからも多くを学んでいたのかも知れない。しかし、『461 オーシャン・ブールヴァード』以降のクラプトンはギターの神様であることをやめ、普通の洋楽ミュージシャンになってしまったようにも思える。ギター少年だった私にとっては、聴くミュージシャンではあっても、学ぶミュージシャンではなくなってしまったと思われたものだ。そう考えると、『461 オーシャン・ブールヴァード』に魅了されつつも、何か複雑な心境だ。

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