WATERCOLORS ~非哲学的断章~

ジャズ・ロック・時評・追憶

クリムゾンキングの宮殿

2006年08月10日 | 今日の一枚(K-L)

●今日の一枚 28●

King Crimson   

In The Court Of Crimson King

Scan10007_6  私の書斎のCD棚に、プログレッシブ・ロックの名盤、King CrimsonIn The Court Of Crimson King (クリムゾンキングの宮殿)が飾ってあったのだが、妻や子どもが気持ち悪いので飾るのをやめて欲しいと訴えてきた。なるほど、そういうものかと改めて納得した。好むと好まざるとにかかわらず、衝撃的なジャケットなのであろう。衝撃的なのはジャケットだけではない。内容はさらに衝撃的だ。しかも、この作品がリリースされたのは、1969年のことなのだ。私がこの作品をはじめて聴いたのは、それから10年も後のことだが、同時代の人たちの驚きは相当のものだったにちがいない。そのことを裏づけるかのように、1970年1月にはビートルズの『アビーロード』を抜いて、チャートのトップに立つのである。

 このアルバムについては、渋谷陽一の「否定性の彼方へ向うもの」(渋谷陽一ロックミュージック進化論』所収)という評論文が正当な評価を行っているように思う。すなわち、それまでのロックが古い価値の破壊、既存の論理と権威の否定を叫んだのに対して、その否定性の根拠すらも否定しようとした批評的ロックだというのだ。渋谷陽一は次のようにいう

【プログレッシブ・ロックあるいはキング・クリムゾンは、ハードロックに対し、破壊の後には何もないとはっきりいっている。破壊の根拠さえも否定しているのだ。また、ロックそのものに対しても「偉大なる詐欺師」といった表現で批判している。まさに手あたりしだいの批判である。そして、そうした批判の根拠となったのが、「混乱こそが我が墓名碑」という認識だ。何もわかっていないのに、軽々とわかった振りをして、いいかげんな事をやるなというわけだ。】

 このように考えた時、このアルバムの一曲目「21世紀の精神異常者」のタイトルもうまく理解できるのだ。しかし、批評的であるとは懐疑的であるということなのであり、すべてのものにひたすら批判を繰り返すことになる。何かの展望があるわけではないのだ。展望がないという意味では、これまでのロックと同じでり、何か新しい道を示すことができたわけではないのだ。結局、キング・クリムゾンは新しい道を見出すことができずに、1974年に解散し、ロバート・フィリップは牧師養成機関に入って神秘主義に接近していった。彼が接近したのはグルジェフという神秘主義らしい。

 とはいっても、そのサウンドは、決して小難しいものではなく、むしろ心が落ち着く音だ。当時としては斬新であったろうが、私はこの作品を聴くたび、穏やかな気持ちになる。癒されるといってもいい。例えば、④ Moonchild などは本当に穏やかな心になり、自分自身と向き合うことができる曲だ。

 私がプログレに出会ったのは、高校生のガキの頃だが、プログレの本当の面白さや良さを理解できたのは最近のことだ、と今は思う。


ビル・エヴァンスのユー・マスト・ビリーブ・イン・スプリング

2006年08月10日 | 今日の一枚(A-B)

●今日の一枚 27●

Bill Evans   

You Must Believe In Spring

Scan10004_5  多くの日本のジャスファンがそうであるように、私も Bill Evans が好きである。20数年間のジャズ聴きの歴史の中で、おそらくは一番多く私がターンテーブルにあるいはトレイにのせたエヴァンスの作品がこのアルバムだ。ところが、1977年録音のこの作品はいわゆるジャズ入門書の類で紹介されることは少なく、エヴァンスをちゃんと聴いているファン以外には有名であるとはいえない。それもそのはず、この作品はエヴァンス没後に追悼盤として発売されたものであり、エヴァンスの意志で発表されたものではない。それに加え、ベーシスト、エディ・ゴメスとの活動も11年目に入り、マンネリといわれた時期の作品なのだ。

 にもかかわらず、私はこの作品を名盤であると確信している。トリオのインタープレイの緊張感では、リバーサイド四部作に一歩譲るが、絶妙なタッチとリリシズムに支えられた極上のセンチメンタリズムに満ち溢れた作品である。普段饒舌なゴメスのベースも抑制の効いたものとなっており、何より演奏全体の響きが深いと思う。

 全7曲どの演奏も素晴らしく、まったく聴き飽きしない。ピアノもベースもドラムも音数を少なくおさえて、音の間を聴かせる。カラフルではないという意味でまさに「墨絵のような世界」だ。

 ジャズ本などではあまり取り上げられない作品だが、数年前、友人のJ氏もこの作品をたいへん気に入っていると聞いて、やはりそうだったかと確信を深めた次第である。なお、その後この作品を高く評価している批評家も結構いるということを知り、さらに自信を深めたのだった。