WATERCOLORS ~非哲学的断章~

ジャズ・ロック・時評・追憶

IgA腎症と私 ③

2021年08月19日 | IgA腎症と私
(3)IgA腎症と治療方針
 
 腎生検結果の説明を受けたのは、術後7日目、退院の前日だった。入院すると担当医師が変わるしくみなのか、最初に診察してくれた外来の医師は姿を現さず、入院中回診に来ていたベテラン風の医師と若い医師が説明してくれた。説明書の署名欄にも2人の名が記されていた。後で聞いた話だが、腎生検の手術中、待機していた妻のところには、外来の時の先生も来てくれていたとのことだった。

 腎生検結果からの診断確定の根拠に関する説明はなかったが、IgA腎症と診断された。ちょっと意外だった。というのは、外来の時の医師に、血縁にIgA腎症の人がいるためその可能性を尋ねたところ、IgA腎症ならここまで腎機能が低下している場合、蛋白尿が出るはずだとつぶやいたのを憶えていたからだ。私の場合、尿潜血はあったが、何度検査しても蛋白尿は出なかったのだ。

 病棟のベテラン風医師は、IgA腎症について、分かりやすく丁寧に説明してくれた。説明をまとめるとこんな感じだった。
 IgA腎症はふつう、血尿(尿潜血)→蛋白尿→腎機能低下→腎不全と進むが、実際にはいろいろなパターンがある。私の場合は、腎機能低下の段階と見ていいという。このまま放置すれば、20年で30%, 30年で50%程度の確率で透析が必要となる。今59歳だから、おじいさんになってから透析になる可能性がある訳だ。
 腎臓は血液をろ過して老廃物を尿と一緒に捨て、必要なものは血液に戻す働きをしている。それを担うのが腎臓に100万個ある《糸球体》と呼ばれる毛細血管の束である。《糸球体》が壊れると、本来必要な血液やタンパクが血尿・蛋白尿として流出したり、老廃物であるクレアチニンが血液中に流入したりするのだという。この100万個ある《糸球体》が10万個程度にまで減少すると、透析が必要になる。私の場合、腎生検で29個の糸球体を採取したが、22個が正常、1個が半壊、6個が壊れてしまったものだったという。eGFR 32にしては意外に正常なものが多いのでびっくりしたが、正常なものも弱ってきているという説明だった。
 IgA腎症は、基本的には原因不明であるが、体内の免疫システムの異常が原因らしい。白血球は体内に侵入したバイ菌を感知し、そのタイプごとに攻撃する玉(免疫)を出すが、この玉(免疫)をIgAというのだそうだ。白血球は一度記憶した玉(免疫)のタイプは忘れないらしい。ところが、何らかの原因で異常なIgAが発生し、腎臓の糸球体を攻撃するのだという。攻撃された糸球体は炎症を起こし穴が開いてしまう。周りの糸球体は、攻撃されて壊れた糸球体の分まで働こうとするが、それもキャパシティーを超えると壊れてしまう。こうして悪循環が起こり、腎機能が低下していくという。この時、異常なIgAの生成に関わるのが扁桃腺らしいとのことだった。
 
 治療法については、①血液をサラサラにする薬、②血圧を下げる薬、③ステロイド剤、④扁桃摘出などの方法があるが、①と②については効果は弱い。この病院では、③と④の併用(扁桃摘出+ステロイドパルス療法)を行なっているという。扁桃摘出に10日程の入院、ステロイドパルス療法は点滴投与3日と服薬4日を3回繰り返すから3週間の入院が必要とのことだった。また、扁桃摘出とステロイドパルスは続けてもいいが、分離して行なってもいいとのことだった。
 この治療法は、この病院のOB医師が提唱したものであり、ここ10年来多くの大学病院等で効果が認められているが、否定的な意見をもつ医師もいる。その意味で、完全に確立し承認された治療法ではない。十分に納得できない場合は、セカンドオピニオンの道もある。その場合は、データを提供するとの説明だった。もちろん、私の場合、完治を目的とするのではなく、これ以上悪化して透析とならないことをめざす保存治療となる。

 私は、提示された治療の方針に了承した。このころには、ある程度、扁桃摘出+ステロイドパルス療法のことは調べていたからだ。合計すると1か月以上仕事を休まなければならないので、できるだけ夏休み中にやりたいと考えた。耳鼻科の先生にも相談して、一旦退院して次週に扁桃摘出のために入院し、職場の様子を見て10月か12月にステロイドパルス療法のために再び入院することにした。

 次は扁桃摘出手術について記そうと考えている。

●IgA腎症と私① →こちら
●IgA腎症と私② →こちら




IgA腎症と私 ②

2021年08月19日 | IgA腎症と私
(2)開放腎生検と全身麻酔
 
 腎生検とは、直接腎臓の組織を採取して顕微鏡等で観察する検査であるが、これによって病名を確定し、適切な治療法を選択できるのだという。私を診察し、腎生検の必要を説いた医師の説明によれば、腎生検には背中から針を刺して腎組織を採取する方法と、開腹手術して直接腎組織を採取する開放腎生検があるが、この病院では安全に行うために開放腎生検を推奨しているという。私は任せることにした。後日調べてみると、全国的に主流なのは背中から針を刺す方法であり、こちらの方が部分麻酔で行なうため患者への負担が少なく、入院日数も4,5日~1週間程度で経費も安く済むようだ。ただ、web記事や体験ブログを読むと、熟練していない医師の場合何度も失敗したり、うまく腎組織がとれなかったりすることがあるようだ。また、件数は少ないが死亡例もあるという。一方、開放腎生検は、全身麻酔で行ない、2週間程度の入院を要するが、腎臓を目で見て組織を摂取するため、確実に多くの組織を採取することができ、血の塊である腎臓の止血を確実に行うことができるのがメリットのようだ。私の場合、13日間入院したが、手術の日の次の日から数えると、8日間で退院できた。安全にできて、良かったと思っている。費用は188980円だったが、限度額適用認定証を申請すればかなり軽減できる。私は申請しなかったが、共済組合から後日同額の還付金があるはずだ。結構な額のはずである。また、検査とはいえ、医師の指示による入院手術ということで、私の場合、民間保険のうちの2つが該当し、合わせて74730円の保険金が下りるはずである。

 さて、開放腎生検である。ここでは初体験だった全身麻酔による開腹手術について記したい。
 私の場合、右脇腹を5センチ程切ったが、すごい、というのが感想である。人生の時間の一部が、きれいさっぱり消え去ってしまった気分だ。麻酔は点滴で入れた。手術台に寝て何か話しているうちに眠ってしまったようだ。いつどのように眠りに着いたかわからない。眠りに着く過程は全く記憶にない。名前を呼ばれて目を覚ますと、もうすべて終わったといわれた。この間、時間の感覚はまったくない。だから、眠っている時間については、0分という感覚だ。起きたらもうすべて終わっていたのだ。9:00から始まった手術だったが、別室で待機していた妻が、目覚めたので帰宅してよいといわれたのは、11:30過ぎだったらしい。

 起きた時の記憶は何となくある。誰かから声をかけられて目を開けたのだ。手術室のライトを見た記憶がある。その後記憶は途絶える。次の記憶は、天井が流れている映像だ。べッドで移動したらしい。記憶はまた途絶える。次に現れるのは病室の天井である。看護師が数人いたと思う。何か尋ねられ答えたと思う。それ以降はずっと記憶がある気がするが、本当のことはわからない。確信が持てないのだ。同じ病室という空間にいたことで、持続的な記憶があると誤解しているだけかもしれない。
 意識や記憶というものが不確かなものであることを実感した。その不確かな意識や記憶に立脚しているのが人間というものであり、世界なのだ。すべてをこれは夢かもしれないと懐疑したデカルトを思い出した。デカルトは《夢を見ている私》を疑いえないものとしたが、意識のなかった私は《意識のない私》を認識することはできなかった。全身麻酔という経験によって、時間や世界、現実というものが、記憶や意識によって成り立っている脆いものであることを改めて考えさせられた。

 もう一つ書き記しておきたいことがある。導尿のことである。手術の後、その日は一日中安静にしていなければならなかった。開腹した傷の痛みもさることながら、最も苦しかったのは導尿だった。尿道に管を差し込んで尿を出すのだ。痛い訳ではない。激しい尿意を感じるのだ。尿意を感じるのだが、出ないのだ。もちろん、勝手に尿は流れ出ているのだが、おしっこをした感じにならない。激しい尿意だけが続き、膀胱が爆発しそうだった。はっきりいって地獄だった。チューブは次の日の朝抜くというが、どう考えてもそんなにもつわけがない。精神は、ズタボロだった。
 2~3時間程のたうち回ったと思うが、ベッドを少し起こして水を飲めるようになるなると、不思議と激しい尿意がひいていった。水を飲めば飲むほど尿意はどんどん引いていった。おかげで何とか朝までしのぐことができたが、水を飲むと尿意がおさまることをなぜ誰も教えてくれなかったのだろう、と思った。翌日の朝、尿管は抜かれ、トイレまで歩いて行くことが許された。翌々日にはエレベーターを使って1階のコンビニまで買い物に行くことも解禁された。ただし、腎臓に衝撃を与える危険があるため、階段の歩行はしばらく禁止された。傷はまだ痛み咳をするのも辛かったが、日増しに痛みは軽くなっていった。
 
 次は腎生検後の診断確定と治療方針について記す。

●IgA腎症と私 ① →こちら