WATERCOLORS ~非哲学的断章~

ジャズ・ロック・時評・追憶

IgA腎症と私 ①

2021年08月18日 | IgA腎症と私
(1)人間ドックから病院へ

 私が入院しているのは、IgA腎症という病気のためである。今回の入院にあたってwebページや体験者のブログから多くのことを学び、勇気づけられた。私の失敗や拙い経験を公開することにも多少の意義があるかもしれないと考え、ここに記そうと考えた。不定期で連載する。

 IgA腎症は、一応、難病指定されている疾病であるが、慢性腎炎の中で最も高頻度に見られる病気らしく、腎生検(腎臓の組織をとって調べる検査)を受けた患者の30~40%がIgA腎症であるといわれる。また、透析にいたる患者数の最も多い病気としても知られ、腎生検から10年で20%、20年で40%の患者が透析にいたるという。IgA腎症という病気については、後日、まとめたいと思う。

 いま考えてみれば、腎臓について本当に何も知らなかった。馬鹿である。クレアチニンという言葉も、eGFRという指標が何を表すのかも知らなかった。人間ドック結果の裏の説明をちょっと読めばわかったはずだ。2017年の人間ドックでは、私のeGFRはすでに★印の58程になっていたが、肝臓と同じで酒を少し控えれば復活するぐらいにしか考えていなかった。eGFRが58とは、大雑把に言えば腎臓が58%しか機能していないということであり、一旦壊れた腎組織は多くの場合復活しないのだ。私の腎機能は2019年の人間ドックでは、eGFR 39 、2021年にはeGFR 32になってしまっていた。ちなみに人間ドックでは、eGFRは60以下に★マークがつく。

 2019年のときには、eGFR 39 に加え尿潜血もあったので、一応地元の掛かり付け医に相談したが、「今すぐというわけではないが、5年後、10年後に透析になる可能性もある」、「気になるなら詳しく検査した方がいい」と言われ、もし行くのであればと、現在私が入院している病院を紹介された。しかし私の中では、《今すぐというわけではない》や《可能性もある》《気になるなら》という言葉が響き、そのうち検査してみようと思いつつも、予定は未定の様相であった。そして何より自覚症状がないことが、それらを補強していた。

 ここ20数年来、人間ドックはすべて同じ病院で受けている。現在入院しているこの病院だ。大した理由はない。仙台の大きな病院ならいいんじゃないかと、何となく思っていただけだ。この病院が腎疾患とくにIgA腎症で有名なことなど全く知らなかった。地元の掛かり付け医から紹介されたときは、いつも人間ドックを受ける病院だったので驚いた程だ。

 さて、2021年の人間ドックである。もちろん、現在私が入院している病院で行った。ドックが早く終わったので、中間説明を希望した。どうしますかと聞かれ、時間もあるし、腎臓のことが多少気になっていたこともあり、何となくお願いしますといっただけだ。ところが、担当医師からeGFR 32とは腎臓が32%しか機能していないという意味だと告げられた。衝撃を受けた。32%という響きに、人生が半分終わったような気になった。担当医師は「詳しく検査した方がいい」「紹介状を書きます」といった。できればこの病院でお願いしたいと私が希望すると、その医師はしばし中座した後、その日の午後に予約してくれた。病院のある仙台までは遠い道のりである。ありがたいと思った。もちろん、この病院で詳しい検査をしようと思ったのは、地元の掛かり付け医の薦めで、腎臓で有名なところだと知ったからだ。

 午後の予約だったが、実際には午前中に呼ばれた。診察してくれた医師は、何となく信頼できそうな医師だった。彼が、その病院の腎内科の中心的な存在であることを知ったのは、ずっと後のことだ。午前中のドックの中間データを吟味し、もう一度採決・採尿・エコーを行なった。診察にもかなり時間をかけてくれた。問診の中で、親族にも腎臓の病気でこの病院に入院した人がいたことを思い出した。昔のデータを手間をかけて引っ張り出してくれ、IgA腎症だったことがわかった。私の場合、腎機能の低下と尿潜血は見られるが、蛋白尿はまったく見られなかった。教科書通りではなかったようだ。診察してくれた医師は、もう少し検査してみる必要があるが、直感的には腎生検をした方がいいと思う、と語った。腎生検とは、腎臓の組織を直接採取して調べる検査だ。それ以降3回、検査と診察を受けた。病院のある仙台までは、私の住む気仙沼から2時間程度だ。これでも、三陸道が開通して短縮されたのだ。結局、何度調べても、尿潜血と腎機能の低下は認められるが、蛋白尿はまったく見られない。3回目の診察で腎生検の決断を求められた。私は、その場で了承した。その場で了承したのは、この間、腎疾病の怖さとその治療、特にこの病院の治療方針について学んだからだ。ここに賭けるしかない、と思ったのだ。

 腎生検を決断した数日後、地元の掛かり付け医にそれらのことを告げたが、「私もそうしたいと思っていた」と語り、データ提供等の協力を最大限することを申し出てくれた。

 私が重い腰を上げ、現在の入院治療にいたったきっかけは、まったくの偶然の重なりである。長年人間ドックをしていた病院がたまたま腎臓病で有名なところだったこと。その病院を地元の掛かり付け医も推薦したこと。その病院でドックの中間説明を受けたすぐその午後に診察の予約を入れてくれたこと。診察した医師が信頼がおけそうな予感がしたこと。やや遅きに失した感があり、保存治療とならざるを得ないが、やらないよりはいい。あと何年生きるかわからないが、できれば透析は避けたい。