帰宅途中にふらり立ち寄ったファミマ、おつまみでも買って帰ろうかな。
夜中だし太らなそうなものがいいですねとぬか漬けセット(税込189円)を購入しました。
せっかくだからお皿に盛って、焼酎のお湯割りを準備しよう。
うん、美味しい。
しっとり深みのある酸味に複雑な香りがからみぬか漬けらしい美味しさ。
芋焼酎がくいくい進みます。
やっぱりぬか漬けと焼酎の相性は抜群ですね。
さてさて、ぬか漬けの歴史は意外と新しく、一般に食べられるようになったのは江戸時代になってからだと言われてます。
江戸では白米を食べる文化がひろがり、それとともに「江戸患い」と呼ばれる奇病が流行しました。
江戸に住んでしばらくすると病気になっちゃう、そして江戸から離れると元気になる。
今では「江戸患い」はビタミンBの不足による脚気であることが分かっています。
米ぬかにはビタミンBが豊富に含まれていますが、白米部分にはほとんど含まれていません。
江戸へ暮らして白米を食べるようになるとビタミンBが不足して脚気になり、地方に戻るとビタミンBの豊富な玄米や雑穀を食べるようになるため治ると。
しかし時代が進むと、江戸患いにかかる人が減少していきます。
それに寄与したのが「ぬか漬け」の普及です。
米ぬかにたっぷり含まれたビタミンBは、漬けこまれた野菜に沁みこみぬか漬けとなります。
これを食べることで、ある程度のビタミンBが摂取できるという訳です。
江戸患いは原因の分からぬまま、一風土病として次第に忘れられていきました。
しかしこのことが、後の日露戦争で悲劇を生みます。
日露戦争当時、大日本帝国陸軍では白米を糧食の基本に置いていました。
農村から出てきた兵隊では、軍隊に入って初めて白米を食べた者も多かったと言います。
故郷では夢にまで見た白米が毎日食べられるなんて夢のよう、兵隊たちは白米が腹いっぱい食べられる食事に喜びます。
しかし大陸での戦闘が長引くと、脚気を患う兵隊が続出。25万人もの脚気患者を出し、うち3万人が亡くなる大惨事となりました。
明治が終わりを迎えるころ、東北大学の農学者鈴木梅太郎博士が米ぬかからオリザニン(ビタミンB)を発見し、不治の病とも恐れられた脚気は遂に克服可能な病気となります。
明治日本の最先端医学をしても脚気に苦しめられ続けた大日本帝国陸軍と、それと知らずぬか漬けで予防していた江戸庶民、食文化って不思議だなあなんて晩酌タイムでした!