秋田市は情報が少ない。
秋田県の観光ガイドブックでも、秋田市は角館や十和田八幡平のページよりもはるかに少ない。
司馬遼太郎も「秋田県散歩」では象潟や大館の街についてはページを割いているが、秋田市内の記述は少ない。
「秋田市のホテルで朝を迎えた」とあるから、秋田市内に宿泊していたことは確かである。
海沿いにある菅江真澄の墓を見に行ったのと、市内で地元の作家と会食したという記述があるだけで、市街地のことにはまったく触れていない。
ホテルの窓から見下ろす久保田城址の千秋公園の新緑が萌えている。
西側に目を移すと、市の中心を流れる旭川が西日に照らされている。
ここは市内で一番古いホテルのなので、司馬遼太郎もこの景色をみていたかもしれない。
どうせお城の残っていない公園だし、そもそも久保田城は天守閣のない平城だったと聞く。この街の夏祭りの竿灯だって、提灯行列を縦にしたようなもので、東北3大祭りのひとつとはいえ、わが青森県のねぶた・ねぷたとは、迫力スケールにおいて比ぶべくもない。3学部しかない秋田大学と、旧制高校の流れを汲む弘前大学では、規模も歴史も全く違うのだ。私の故郷の隣の県庁所在地へのライバル心は健在だ。
5月の夕方5時はまだ明るい。
私はホテルを出て、風情よく柳の植えられている旭川の川端を歩いた。
小橋を渡ったところが、秋田市最大の歓楽街、川端ではなく川反である。
久保田城下からみて川の反対側で、川反と呼ばれている。
江戸時代は城下の武家屋敷に対して、川反は商人の街とされ、明治19年の大火の後に芸者置屋や飲食店が移転してきて、現在のような繁華街になったとのこと。
そんな来歴はさておき、
秋田県は日本酒生産量は全国で4位、一人当たりの消費量は新潟に次いで2位である。
その秋田県の、県庁所在地の、最大の歓楽街である。
ライバル心は休戦水入りにて、酒に入るとする。
秋田に頻繁に出張している友人から聞いていた「北州」という店を目指す。
土曜だし、予約をした方がいいと忠告されていたが、私は飲食店に予約をするというのが苦手である。
まずは調理し、接客しているさなかの店への電話は迷惑至極である。
また、予約をしてしまうと、店に行くことが義務になってしまう。
義務で酒は呑みたくない。
満席ならご縁がなかったとあきらめる、それにお店にとって満席はおめでたいことなのだ。
酒呑みに一番大切なのは、店へのおもいやりである。
ということで、6時の開店時間に、北州ののれんをくぐる。
果報なことに一番乗りで、カウンター席に座ることができた。
格子戸の外はまだ明るい。気分は上々である。
椅子は広くお座敷用の座布団がゆったりと敷いてある。カウンターもテーブルぐらいの奥行がある。
今夜は長丁場である。ビールでお腹を膨らますわけにはいかないので、
前置きなしで、本題に入る。
「飛良泉」、私の好きな山廃仕込みの純米である。
手間のかかる山廃の酒が少しずつ増えてきたのはうれしいことである。
カウンター越しに注文すると、仕込み中の店主が手を休め、黙って一升瓶の首を握って傾けグラスに注いで私の前に置く。
料理より先に、まず酒だけを注文した私に、店主はお通しより先に酒を出すという誠意で応えてくれた。
グラスを口に持って行きながら、口もグラスに近づいていく。好きあった者たちの接吻。
吸い込むように含むと、米の香りと、山廃の丸みのある酸が鼻に抜け、旨みが舌に絡まる。
十分に転がした後に呑み下すと、食道を押し広げるように駆け抜けていく。
酒から、焦らないで、ゆっくり・・・という声が聞こえる。
こういう時は、いったん冷静にならなくてはいけない。
「山廃仕込み」の日本酒とはどういうものなのかについて、酒席でこの解説を始めてしまうと人が離れていってしまうのだが、一人旅なので安心して独りごち熱弁してみる。
山廃とは山卸しを廃した、という意味で、山卸しとはお酒の元になる酒母を作る工程で、蒸した米を発酵が早く進むようにすり潰す作業のことである。米の山を細かくするという意味で、山卸しと呼んだのだとおもうが、大量の蒸米を櫂といわれる棒ですり潰す作業はそれだけの重労働で、明治の終わりになって山卸しをしてもしなくても酒の成分に違いがないことがわかり、山卸しを廃止するのが一般的になった。
しかし、山卸しを廃して仕込んだから山廃仕込み、ではない。
ほとんどの日本酒は山卸しを行っていないので、すべて山廃になってしまう。
酒母には「生もと系酒母」と「速醸系酒母」があって、生もと系は発酵の過程で自然界から乳酸菌を取り込む方法、それに対して速醸系は醸造用の乳酸を添加する方法で、明治の末に開発された手法である。乳酸がないと雑菌が繁殖してしまうので酒母造りには乳酸が必須だが、これを自然に取り込むか、人工的に加えるかの違いである。当然人工的に加えるほうが醸造は短時間で、酒質も安定するため現在の日本酒の90%以上は速醸系である。
生もととは何かというと、乳酸を加えない生もと系酒母による、山卸しを行って作った日本酒のことであり、生もとから山卸しを廃して作られた日本酒のことを「山廃仕込み」と呼ぶのである。
山卸しがほとんど行われていない現代では、醸造用乳酸を加えていないということが「山廃仕込み」のポイントなのだが、醸造用乳酸廃仕込みでは、呑む気はおこらない。
御託を唱えてるうちに、飛良泉は杯からいなくなっていた。
秋田県の観光ガイドブックでも、秋田市は角館や十和田八幡平のページよりもはるかに少ない。
司馬遼太郎も「秋田県散歩」では象潟や大館の街についてはページを割いているが、秋田市内の記述は少ない。
「秋田市のホテルで朝を迎えた」とあるから、秋田市内に宿泊していたことは確かである。
海沿いにある菅江真澄の墓を見に行ったのと、市内で地元の作家と会食したという記述があるだけで、市街地のことにはまったく触れていない。
ホテルの窓から見下ろす久保田城址の千秋公園の新緑が萌えている。
西側に目を移すと、市の中心を流れる旭川が西日に照らされている。
ここは市内で一番古いホテルのなので、司馬遼太郎もこの景色をみていたかもしれない。
どうせお城の残っていない公園だし、そもそも久保田城は天守閣のない平城だったと聞く。この街の夏祭りの竿灯だって、提灯行列を縦にしたようなもので、東北3大祭りのひとつとはいえ、わが青森県のねぶた・ねぷたとは、迫力スケールにおいて比ぶべくもない。3学部しかない秋田大学と、旧制高校の流れを汲む弘前大学では、規模も歴史も全く違うのだ。私の故郷の隣の県庁所在地へのライバル心は健在だ。
5月の夕方5時はまだ明るい。
私はホテルを出て、風情よく柳の植えられている旭川の川端を歩いた。
小橋を渡ったところが、秋田市最大の歓楽街、川端ではなく川反である。
久保田城下からみて川の反対側で、川反と呼ばれている。
江戸時代は城下の武家屋敷に対して、川反は商人の街とされ、明治19年の大火の後に芸者置屋や飲食店が移転してきて、現在のような繁華街になったとのこと。
そんな来歴はさておき、
秋田県は日本酒生産量は全国で4位、一人当たりの消費量は新潟に次いで2位である。
その秋田県の、県庁所在地の、最大の歓楽街である。
ライバル心は休戦水入りにて、酒に入るとする。
秋田に頻繁に出張している友人から聞いていた「北州」という店を目指す。
土曜だし、予約をした方がいいと忠告されていたが、私は飲食店に予約をするというのが苦手である。
まずは調理し、接客しているさなかの店への電話は迷惑至極である。
また、予約をしてしまうと、店に行くことが義務になってしまう。
義務で酒は呑みたくない。
満席ならご縁がなかったとあきらめる、それにお店にとって満席はおめでたいことなのだ。
酒呑みに一番大切なのは、店へのおもいやりである。
ということで、6時の開店時間に、北州ののれんをくぐる。
果報なことに一番乗りで、カウンター席に座ることができた。
格子戸の外はまだ明るい。気分は上々である。
椅子は広くお座敷用の座布団がゆったりと敷いてある。カウンターもテーブルぐらいの奥行がある。
今夜は長丁場である。ビールでお腹を膨らますわけにはいかないので、
前置きなしで、本題に入る。
「飛良泉」、私の好きな山廃仕込みの純米である。
手間のかかる山廃の酒が少しずつ増えてきたのはうれしいことである。
カウンター越しに注文すると、仕込み中の店主が手を休め、黙って一升瓶の首を握って傾けグラスに注いで私の前に置く。
料理より先に、まず酒だけを注文した私に、店主はお通しより先に酒を出すという誠意で応えてくれた。
グラスを口に持って行きながら、口もグラスに近づいていく。好きあった者たちの接吻。
吸い込むように含むと、米の香りと、山廃の丸みのある酸が鼻に抜け、旨みが舌に絡まる。
十分に転がした後に呑み下すと、食道を押し広げるように駆け抜けていく。
酒から、焦らないで、ゆっくり・・・という声が聞こえる。
こういう時は、いったん冷静にならなくてはいけない。
「山廃仕込み」の日本酒とはどういうものなのかについて、酒席でこの解説を始めてしまうと人が離れていってしまうのだが、一人旅なので安心して独りごち熱弁してみる。
山廃とは山卸しを廃した、という意味で、山卸しとはお酒の元になる酒母を作る工程で、蒸した米を発酵が早く進むようにすり潰す作業のことである。米の山を細かくするという意味で、山卸しと呼んだのだとおもうが、大量の蒸米を櫂といわれる棒ですり潰す作業はそれだけの重労働で、明治の終わりになって山卸しをしてもしなくても酒の成分に違いがないことがわかり、山卸しを廃止するのが一般的になった。
しかし、山卸しを廃して仕込んだから山廃仕込み、ではない。
ほとんどの日本酒は山卸しを行っていないので、すべて山廃になってしまう。
酒母には「生もと系酒母」と「速醸系酒母」があって、生もと系は発酵の過程で自然界から乳酸菌を取り込む方法、それに対して速醸系は醸造用の乳酸を添加する方法で、明治の末に開発された手法である。乳酸がないと雑菌が繁殖してしまうので酒母造りには乳酸が必須だが、これを自然に取り込むか、人工的に加えるかの違いである。当然人工的に加えるほうが醸造は短時間で、酒質も安定するため現在の日本酒の90%以上は速醸系である。
生もととは何かというと、乳酸を加えない生もと系酒母による、山卸しを行って作った日本酒のことであり、生もとから山卸しを廃して作られた日本酒のことを「山廃仕込み」と呼ぶのである。
山卸しがほとんど行われていない現代では、醸造用乳酸を加えていないということが「山廃仕込み」のポイントなのだが、醸造用乳酸廃仕込みでは、呑む気はおこらない。
御託を唱えてるうちに、飛良泉は杯からいなくなっていた。