ヒーメロス通信


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小林稔「インドを去る」詩誌『ヒーメロス』4号2001年8月発行。

2013年02月02日 | お知らせ

詩誌『ヒーメロス』四号2001年8月発行

 

インドを去る

小林 稔

   一

 

 ヴァラナシ(ベナレス)からの列車がパトナの鉄道駅に着いた頃には、夜の

帳(とばり)がすっかり降りて、停電にでもあったように町の建物が暗闇に佇

んでいた。窓のところどころに明かりがひっそりと灯っている。

 通りにはいくつもの人影が往来している。友人と私はリクシャを駆って、ガ

ンジス河の船着場へと急いでいる。その岸辺に降り、人の声のする方向に歩い

ていくと、すでに停泊している船に乗客が乗り込んでいた。

 銅鑼(どら)を叩く音が舞い上がった。ランタンが一つ、甲板に釣り下がっ

ている。船はゆっくりと動き出した。水しぶきを上げて大きな車輪が廻ってい

る。船底に座り込んだ布を被った男たちの眼があちらこちらで光っている。自

分に降りかかった宿命を船の横揺れで測っているような静かな眼差しであった。

 ヴァラナシで吸ったハッシシの幻覚から醒めない友人を気づかい、一旦イン

ドを離れなければならなかった。一か月ほどの滞在なのに、この闇がなぜか私

を離れがたいものにした。一時間ほどで船は対岸の町に着いた。

 下船した乗客は一同に鉄道駅に向かった。すでに列車はホームに着いていた。

乗り込むと予想外に乗客の数が少ない。ここからムザファプールまで行き、駅

の構内の食堂で遅い夕食にカレーを右手の指でつまんで食べた。さらに列車で

北上し、ネパールとの国境の町ラクソールへと向かう。夜が深まり眠気に襲わ

れたが途中の停車駅で強盗が乗ってくるかもしれないという恐怖があった。空

いた列車が危ない、と旅行案内書に記されてあったことを思い出した。

 私はさっきから腹痛がしている。駅の食堂で食べた卵カレーがいけなかった

のか。友人は野菜カレーを食べたので腹痛が起きていない。パスポートと旅費

を包んだ腹巻を探りし、網棚に載せたリュックを見上げた。

 

 目覚めると朝だった。列車が停車している。少年の澄んだ瞳が、車窓の縁を

滑って行った。視線が合うと少年は乗り込んできた。ヤカンと籠を持っている。

お茶を買わないか、という。籠から素焼きの器を取り出して注ぎ友人と私に手

渡した。ミルクティーであった。飲むんでいるうちに、ざらざらとした感触が

舌に感じられた。砂かもしれないと思った。それにしてもおいしい。少年の笑

顔に友人も私の心が晴れた。久しぶりに友人の顔に笑いが戻った。二十分、三

十分経っても列車は一向に走らない。さっきの少年がまたやってきてお茶を買

わないかと言った。しばらくして列車は走った。一時間ほどでラクソールに着い

た。ここからはリクシャを拾い、一気にヒマラヤの山麓の斜面を登らなければな

らない。国境を越えるとリクシャを待たせ、ヴァラナシで取得したネパールのビ

ザを小屋にいる男に見せた。細い山道を抜けてビルガンディーという村でリクシ

ャを降りた。子供たちが私たちを取り囲んだ。一人の男の子を先頭に安宿まで連

れていかれた。部屋に入ると私の腹痛がひどくなった。夜中から朝方まで目覚め

ては便意をもよおし、トイレとベッドを何度も往復するのだった。そんなせわし

なく動く私を見て、先ほどまで不安に脅えていた友人が思わず笑った。翌朝、カ

トマンズ行きのバスに乗るため安宿を出ると、辺りは薄暗かった。バスは激しく

揺れ、衰弱していた私が眠りで意識をなくしたとき、窓ガラスに頭を打ちつけた。

友人は大声を出し私の顔を叩くが、感覚が麻痺しているらしい。痛みはなく、遠

くで叫んでいる友人の声を聞いているようでもあり、霞んで見える車内が夢の光

景のようでもあり、眠りの底深く意識は沈んで失われた。

 

 どのくらいの時がたったのであろう、眠りの淵から浮上して我を取り戻したと

き山の斜面に作られた棚田が窓越しに見えた。友人はそこに視線を向けていた。

私が目覚めたことに気がついていない。一人残されたようで心細かったに違いな

い。車窓から見える、どことなく日本の田舎を想起させるこの景色を、友人もま

た懐かしい気持ちで見ているのだろうか。やがてバスは家々の立つ通りに入って

いった。ついにカトマンズだ、と私は心の中でつぶやくと、胸に熱い一筋の流れ

が零れ落ちたように感じた。

 

 

   二

 

商店が軒を並べている大通りに人々が溢れ往来している。彼らの優しい眼差し

とその温厚な顔立ちを眺めていると、イスタンブールから東へ東へ歩んできた私

たちの旅も終わりに血被いていると実感させられた。緊張が緩んだのも有人と同

じであった。十二月ともなれば寒いのも当然だろう。衣料品店に入り、ヤクとい

う動物の毛で織った布を買い求め、彼らのように首から胸を包んで歩いた。土地

の若者富み間違えられそうなほどに、私たちの服装はよれよれになっていたし、

視線は帰るべき場所をなくして虚ろであった。そんな私たちが彼らとの血の近し

さを感じたのである。インドでならともかく、この地では西洋の貧乏旅行者は不

似合いである。ハヌマン・ドーガという宮殿があった。猿の神様の彫刻が入り口

で私たちを睨んでいる。通りを挟んで、生き神として選ばれた女の子が住んでい

るというクマリ・デヴィ寺院がある。ヒンズー教の寺院であろうが、インドのそ

れとはなんという違いだ。黒の木彫りの窓枠が日本の民芸品を思い起こさせるが、

渇いた土の匂いのする雑多な美学はこの国独自のものであろう。インド人の視線

は、彼岸へ注がれているのに、この国の人々の視線はすでに彼岸にたどり着いて

いる人の穏やかな視線であるように思われ、そしてそれが彼らの造った真鍮の、

うつむいた仏の像に表象されているように思われた。友人は幻覚がまだ続いてい

るという。精神安定剤を買いに薬屋に入ったが、私たちの用件が伝わらないのか、

店の主人は恐れて奥に隠れてしまった。バスに乗って近くのパタンという町に着

くと、細い路地を抜け出たところに石を敷いた広場があり、囲むようにして二重

の塔、三重の塔がつつましやかに姿を見せた。法隆寺や興福寺の塔を小さくした

ようなこれらの寺院を友人と私は一つ一つ廻って歩いた。私と友人との旅の終わ

りになんと似つかわしい光景だろうか。放浪し続けた私たちの身体をもろ手を上

げて迎え入れ、その大きな胸に抱え込んでしまうような存在を感じて、結んでい

た紐の尾を緩めてしまいそうでいっそう胸が締めつけられた。友人はこらえ切れ

ずに涙で頬を濡らしている。喜びと哀しみが同時に襲ってきたような感動が私た

ちにあった。異文化でありながらも私たちと彼方の闇で結ばれている。その厖大

な時間と距離を、見るものを通して瞬時に言葉が走り抜けたような経験であった。

 

 ここからさらにバスを乗り継いで、パドカオンという町に足を伸ばした。王宮

の茜色の土壁に、たくさんの黒い木製の窓が嵌め込まれていて、私たちの心を奪

った。かつて王宮であったこの建物は、現在、博物館になっていて、曼荼羅が展

示されていた。王宮広場を囲む煉瓦造りの建物、立ちはだかる寺院、それらを通

り抜ける交差する道の佇まいに、私の放浪のすべてが具現化されているような気

がした。カトマンズに着いたときすでに感じたことであったが、見えるものが私

の旅の思考に強烈な内省を強いているようであった。日本で見た事物を想起し

て郷愁にとらわれているのではない。この土地でしか感じられないものに私の心

が動かされているのだ。この人生は旅の途中であるという想い、輪廻を体得して

いる人の一期一会という想いが、見つめる彼らの眼差しから感じられた。おそら

く風土が彼らの宗教心をを育み、町の外観を造り、彼らの表情を変えたのだ。中

国人とも日本人とも違う彼らの慈愛の眼差しは、旅人のこの世を見つめる眼差し

なのだと思った。友人の目に映るこれらの光景はどのようなものであろうか。日

本に帰りたいと、しきりに願っているようであった。私の旅に寄せる想いなど少

しも関知していなかったのであろうか。かつて私の旅立ちをひとり見送った友人

の想いと、私の身を危惧して追ってきた友人の想いとを、私は深く考えてみるこ

とがなかったのではないか。その友人がヴァナラシ(ベナレス)の一夜で自分を

喪失したと嘆いているのだ。『自分が何を見、何を感じ、どのように変貌するの

か見届けよう』と、ある日、私は旅の日記に書いた。旅において旅を思考すると

いうのは、思考する自分を観察するもう一つの眼差しを持ち続けることではない

だろうか。旅で出遭う事物の深みに想いの錘(おもり)を降ろすことである。私

が旅から帰還しても、私の旅は変わらないだろう、とこの時に思った。人生が旅

である限り、生きている私を見つめるもう一つの眼差しは絶えず存在し、事物の

意味を解き明かそうとするだろう。水のように流れ行く時間の中で自然と出逢い、

人と出逢い、事物と出逢う。その表層が見せる美こそ存在の本質ではないだろう

か。それゆえ世界は生きるに値するし、旅人の事物に投げる眼差しには別れの哀

しみがある。存在の本質は問いを孕んでいて、想いをさすらわせなければならな

い。そしてついに存在の深みで私たちは虚無に出逢うのだ。

 

 カトマンズから、土地の人々がそう呼んでいるスイスバスに乗って、山の麓の

歩からという村に向かった。途中、チベット難民の住む集落を通過し、十時間を

越えてやっと到着する。アンナプルナ、ダウラギリ、マナスルなど八千メートル

の山々が夕陽に照らされ、白い稜線を赤く染め、眼前に迫っていた。客のいない

レストランで働いている三人の子供がいた。ビートルズのアルバム『アビーロー

ド』の楽曲がはちきれんばかりに鳴り響き、そこから離れて山々に見入っている

私と友人のいる小道にまで届いた。それが不思議なほど風景に調和しているのだ。

山道を分け入ったところに湖があり安宿が軒を並べていた。紐を額で留め背中に

荷物袋を積んだいく人かの女の人に会っただけで、旅行者には出会わなかった。

 翌朝、飛行場を見に行った。空き地には滑走路があるだけの小さなものだった。

入り口近くに小屋があった。果物を並べた店の奥の暗闇で少年の光っている瞳に

出逢った。私はなぜか胸に傷を負ったような痛みを感じた。この地上の約束事の

鎖を解き放ってしまったような、斜に構えた少年の眼差しであった。互いの宿命

といえる場所と時間を飛び越えて祝福すべき交わりの予感があった。たとえそれ

が生きることの意味であったとしても、人がほんとうに人と出逢えることの難し

さを身にしみて感じていたのではなかったのか。私は夢を見ているのだ、と肩を

落として底を離れたが、少年の眼差しは脳裏から去らない。これからの人生で私

の見つめる眼差しにいつも呼び戻され、所有されることになるだろうと思った。

 友人の精神状態は安定していた。私とは逆に、自分を変えずに保ちたいという

願望が友人にあったのだ。変貌を恐れたのか。ここに来るまで見知らぬ国を私と

いくつも辿り歩いた友人の心持ちを慮った。ここでの三日間のゆっくりとした滞

在を終え、カトマンズに帰るが、再びインドに降りていかなければならない。パ

トナまで飛行機に乗り、そこからカルカッタまでは夜行列車で行くだろう。ヴァ

ラナシで別れたカメラマン志望の青年が、市街の想像を超えた悪夢のような光景

に、一日中泣いていたというカルカッタに不安を抱いて、翌朝、私と友人はカト

マンズの空港に向かった。

 

   三

 

 ハウラ橋を渡ると、眼下に見えたのは河岸に仰向けになった男たちだった。泥

を塗りたくった肉体が光を帯びている。うわさに聞いた肉体訓練場であった。雨

季には水が氾濫して街が襲われるという。鉄錆色の建物が続く大通りを歩き、左

にそれて安宿の周辺を歩き廻ったがどこも気に入らず、やがてサルベーションア

ーミーと呼ばれる西洋風ホテルに着いた。簡易ベッドが数個並べた部屋がいくつ

もあり、ロビーを取り囲んでいる。同室に、日本から今日着いたばかりの、カー

キ色軍服を着た二人組みの若者がいた。「税関での取調べがきつくてね」と得意

になって話しかけてきた。私の服装を見るなり「そのかっこいいね」と一人が言

った。私は、ヴァラナシで仕立てたインドシャツを着て、透けてしまうくらい薄

い綿のズボンをはき、ヒンズー文字がプリントされたマフラーを首に巻きつけて

いたのであった。私と友人を聞き役にして二人は冗談を言い、インドに来ている

ことを忘れそうになったが、ホテルを一歩踏み出すと、まぎれもなくインドの大

都会カルカッタであった。

 陽が落ちて噴煙の渦に立ち現われる人の群れ。街角に立って通りを見つめてい

る私の胸先にいつのまにか乞食たちの手が差し出された。私のような貧乏旅行者

にも布施を求めている。黒い血管の浮き出た、枯葉のような老婆の手。泥のつい

た子供の手。通りの向こうの暗闇から声が上がった。闇から浮かび上がったのは、

鉄のように痩せた三人の裸の男たちであった。カンテラを吊った人力車を、掛け声

を合わせ、押しながら走り去っていく。ホテルの部屋に戻ると、昼間話をした軍服の

二人が帰っていた。「おじいさんの連れてきたのが、まだ幼くてね。おじいさんが

遠くでおれたちを見ているんだ。途中で帰ってきたよ」、「おれのほうはガリガリ

の女でね、やる気がしなかったよ」。「メリークリスマス!」という子供たちの声

が声がどこからか部屋に入り込んできた。ロビーに出てみると、ホテルのエント

ランスの大きなドアが開け放たれていて、教会から来たらしい十歳前後の男の子

と女の子がずらっと予告並んで立っていた。その背後には白人の大人たちが五、

六人、見守るように立っていた。彼らの歌う聞き覚えのある聖歌が流れ、インド

で祝うクリスマスに私たちは言葉がなかった。

 次の日、インド博物館を訪れ、石に彫られた仏像を見た。英国軍が作ったとい

うウィリアム砦のある公園で昼寝をし、市街にある天上の高いコーヒーハウスに

入ってくつろいだ。イギリス統治下の建物や習慣が現存し、一方では貧困にあえ

ぐ民衆の暮らしがある。聖地ヴァナラシや近代化に遅れたネパールの町に魅せら

れ、旅することの意味を深く問わずに入られなかったが、古代と現代が融合した

カルカッタという都会の様相もまた、インドの底知れぬ魅力に違いない。翌日は

空路でタイに入国する。仏教の国では、私たちの血がどんな親しい感情を沸き立

たせるのかと胸を躍らせながら、インドの大地を離陸した。

 

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