ヒーメロス通信


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「夕暮の坂道」 小林稔詩集『白蛇』より

2016年01月07日 | 小林稔第3詩集『白蛇』

小林稔第三詩集『白蛇』(旧天使舎)以心社1998年11月刊行より

夕暮れの坂道
小林稔

      夕暮れの坂道を歩いていた。呼び止められたように思い 

     振り返ると、白い発光体が 私のこめかみを掠めていくとこ

     ろだった。
    
      私は危ういところで とっさによけた。それは一直線に、

     光の跡を残しながら 地面に吸い込まれるように 消えてい

     った。
 
      記憶を奪い去られたように感じて、知らずに後退りをして

     いた。ゆるやかな坂道なのに 眼前のくぼんだ地面を 恐怖

     で見つめていた。磁力線に背中が引っ張られるように 私の

     脚の動きが速くなり、宙に舞い上がっているのか うしろに

     走っているのか 解らなくなった。
 
      しばらくして足の裏に重力を感じた。私は確かに立ってい

     た。視線を周囲に投げると、二階建ての家々が、道の両側に
  
     並んでいるのが見える。見覚えのある景色だ。あの家と家の

     間の 雑草の生えている路地は かつて通ったことがある道

     だ。突き当たりに どんと立っている木造の建物は町役場だ

     ろうか。そこを左に曲がると、確か 天ぷらを売る店、その

     店の角を入って 細い道を行けば 垣根越しに 盲のおじい

     さんとあばあさんがいるのが見えるだろう。あんまを商売に

     しているんだ。
 
      氷が水に溶けるように 記憶の糸をたぐり寄せながら歩い

     た。大通りにでた。通りの向こうに一軒の駄菓子屋があった。

     店の奥で 時折、人影がよぎった。明るく照らされた店先で、

     男の子が、ビニールの西瓜の形をした 大きなボールを抱え

     ていた。
 
      私は通りを横切って 男の子の前に立った。男の子が私に

     気づき、何げなく視線を私の方に向け、私と視線を交わした。
 
      私は驚きで 心臓の鼓動が止まってしまうかに思われた。

     懐かしさが喉元まで込み上げてきて 男の子の名を呼んだ。
 
     なんということだ。男の子は逃げ腰になったが 身動き出

     来ず、引きつった顔のまま 泣き出さんばかりであった。私

     は至極がっかりして うろたえたが、男の子が あまりにも

     気の毒でならず、急いで離れようと 通りを横切った。



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