私の長期連載エセー「自己への配慮と詩人像」の十九回目はボードレールでした。詩人像として二番目の詩人はランボーです。ランボーを書くには私はまず自分を書かなければならなくなります。詩作を始めたきっかけはランボーの「イリュミナシオン 」の詩句だったからです。そこからの私の苦難の道があり、海外放浪があり、四十五年の詩とともに歩んだ私の人生があります。今ランボーを分析するにあたり、私はこの年までの経験を積まなければわからなかったことがわかり始めています。十九歳で詩を放棄したランボーには詩が本当は何であったのかを聞くことができません。もちろん討議することも。ランボーの短い期間の詩作には詩とは何であるかという重要な鍵が含まれます。おそらくランボーは直感していたのですが解けなかったのです。ランボーの人生と刺し違えた情熱がありながら、詩を放棄せざるを得なかった原因はそこにあります。ランボーよ、おまえに触発された私だが、おまえの提出した問題が何だあったのかを明かしてみよう。そのまえにおまえの直感が導いた詩の鍵を開け披露するために、おまえの地獄のエクリチュールを解剖してみよう。まずはランボーの詩の原文からの日本語の移し替え、つまり私が物したランボーがどの程度であったかを判断していただきたい。それでは始めましょう。随時「地獄の季節」の全訳をしていくつもりです。
地獄の季節
アルチュール・ランボー作
小林稔訳
《昔のことだが、おれの思い出が確かなら、おれの生活は饗宴だった、そこで人々はすべてこころを開き、あらゆる酒が流れていた。
ある晩、おれは膝の上に「美」を座らせた。―そいつは苦々しい奴だとおれは思った。―だからおれは罵倒した。
おれは正義に対して武装した。
おれは逃亡した。おお 魔女たちよ、貧窮よ、憎しみよ、おまえたちにだ、おれの宝をゆだねたのは!
おれは精神から、人間的な希望などことごとく消し去ることに成功した。すべての歓びの線上で、そいつらの息の根を止めるため、獰猛な獣になって音もなくはねたのだ。
おれは死刑執行人を呼んだ、おれは命がけで奴らの鉄砲の銃床に噛みつくために。おれは疫病神を呼んだ、砂と血で息をつまらせるためにだ。不幸がおれの神だった。おれは泥のなかに身を投げ伸ばした。おれは罪の風に身をさらし干からびた。そしておれは熱烈にひどいことを一通りやってのけた。
やがて春が白痴の身の毛もよだつ笑いをおれのところへ連れてきた。さて、最近、最後のぎゃっという息の根を
あげそうになったとき、昔の饗宴の鍵を探そうと思いついた、そうなれば食欲がわくかも知れぬ。
愛徳がその鍵だ。ーこんなことを閃いているようでは、おれが夢を見ていたという証だ!
《君はハイエナかなんかだろうね。》たいそうかわいいけしの花でおれの頭を冠で飾った悪魔が叫びをあげる。
《君のあらゆる欲望とエゴイズムとあらゆる大罪でもって、死を勝ちとるがいい。》
ああ!そんなものうんざりするほど手に入れたよ。だけど、ねえサタン、おれはあなたに懇願する、イラついた眼差しは止めてよ、それから遅ればせながら、ちょっと卑屈な代物をお見せするまえに、作家に描写の才や教化の才のないのを愛するあなたに、地獄落ちのおれの手帳から、忌まわしいいくつかの断片を引きちぎってお見せしましょう。
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