ヒーメロス通信


詩のプライベートレーベル「以心社」・詩人小林稔の部屋にようこそ。

萩原朔太郎の詩を読もう(2)小林稔

2016年12月15日 | 萩原朔太郎研究

萩原朔太郎の詩を読もう(2)

小林稔

 

浜辺    萩原朔太郎

 

若ければその瞳も悲しげに

ひとりはなれて砂丘を降りてゆく

傾斜をすべるわが足の指に

くづれし砂はしんしんと落ちきたる。

なにゆゑの若さぞや

この身の影に咲きいづる時無草もうちふるへ

若き日の嘆きは貝殻をもてすくふよしもなし。

ひるすぎてそらはさあをにすみわたり

海はなみだにしめりたり

しめりたる浪のうちかへす

かの遠き渚に光るはなにの魚ならむ。

若ければひとり浜辺にうち出でて

音もたてず洋紙を切りてもてあそぶ

このやるせなき日のたはむれに

かもめどり涯なき地平をすぎ行けり。

            「浜辺」

第一詩集『月に吠える』出版前の、朔太郎初期詩篇である。短歌的な表白を残しながら、次のイマジスチック・ヴジョンに向かう実存的心情が見える。河村政敏氏は「悔恨人の抒情」という論考で、この詩の中間部「なにゆゑの若さぞや」以下三行に、「異常なほど深く突きつめられた孤独な自意識」を読み取り、「時間の重みを感じる最初の経験ではなかろうか」という。「わが身の悲哀が、その影に見つめられていることに注意すべき」と指摘する。「見つめられた生の孤独感が、「外部世界からの疎隔の意識」「自己乖離した自意識」「被虐的な自意識」となって、遠い遥かな世界に対する浪漫的なあこがれを誘っていた」と解釈しています。

 


萩原朔太郎の詩を読もう(1)

2016年12月14日 | 萩原朔太郎研究

萩原朔太郎の詩を読もう(1)小林稔

見知らぬ犬  萩原朔太郎

 

この見知らぬ犬が私のあとをついてくる、

みすぼらしい、後ろ足でびつこをひいてゐる不具(かたわ)の犬のかげだ。

ああ、わたしはどこへ行くのか知らない、

わたしのゆく道路の方角では、

長屋の家根がべらべらと風に吹かれてゐる、

道ばたの陰気な空地では、

ひからびた草の葉つぱがしなしなとほそくうごいて居る。

ああ、わたしはどこへ行くのか知らない、

おほきないきもののような月が、ぼんやりと行手に浮かんでゐる、

さうして背後(うしろ)のさびしい往来では、

犬のほそながい尻尾の先が地べたの上をひきづつて居る。

 

ああ、どこまでも、どこまでも、

この見知らぬ犬が私のあとをついてくる、

きたならしい地べたを這いまはつて、

私の背後(うしろ)で後足をひきづつてゐる病気の犬だ、

とほく、ながく、かなしげにおびえながら、

さびしい空の月に向つて遠白く吠えるふしあわせの犬のかげだ。

                  「見知らぬ犬」

 

 

私を追ってくる犬の影とは、朔太郎の他者としての自己と言ってよいでしょう。彼の心に住みついたもう一人の自分が私から視線を外そうとしない。「私は私自身の陰鬱な影を、月夜の地上に釘づけにしてしまいたい。影が、永久に私のあとを追ってこないように」と後の序文に記しています。

 

朔太郎はこの詩集『月に吠える』の序文で次のようにも書いています。

「詩の本来の目的は寧ろそれらのもの(情調、幻覚、思想)を通じて、人心の内部に顫動する所の感情そのものの本質を凝視し、かつ感情をさかんに流露させることである。

詩とは感情の神経を掴んだものである。生きて働く心理学である……」と。

 


夏の径庭/小林稔・詩誌「ヒーメロス」34号より

2016年09月24日 | ヒーメロス作品

夏の径庭

小林稔

 

 

室内を通過した一陣の風が

食器棚の古傷を嘗めつつ旋回し

両開きの窓を押し遁走した

 

けだるい夏の午後

ここではないどこか

連打するピアノはカンパネラの音を偽装し

遠くさらに遠くへと想いを風に転がす

天幕をなびかせ、捉えられ

さらに駆け抜け、もがき

うしろに視線を向けて

記憶の堆積を確かめるよう

風が傍らをすばやく通り抜け

昔吸い込んだ覚えのある香りが私を呼び止めた

石畳に屹立する建物を一直線に敷衍する街角

水に揺れる尖塔とファサードの縁飾り

奔走する足裏がこころを路上に残し

褪色する遠景を呼び寄せる〈時〉の軋轢

 

セイレーンの歌声に狂わんばかり

身を帆柱に縛り絶え通過したオデュッセウスのように

長くも短い人生の径庭に足をすくわれ

記憶の綱渡りを果敢にもやり過ごす

ためらい、こころもつれ

決然と、そして足踏み、思考停止……

 

今こそ言葉に新しい命を吹き込もう

海水が私の歩くコンクリートの道の足許に寄せていた 

榛(はしばみ)の繁みで記憶から解かれる瞬間を待っている物象たち

あなたに夢見られた生を私が生きようとし

私が夢見る生をあなたが生きようとしていたことだってあるだろう

人生という一場の影の幕引きが明日どこでとも知れずに

 

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朔太郎論「宗教の始まりと抒情詩の隆盛」小林稔

2016年09月23日 | 萩原朔太郎研究

宗教の始まりと抒情詩の隆盛

 私は、本来、宗教の発生と詩や哲学の発生の場を同じくすると先述した。そのことを説明してみよう。仏教哲学者、井筒俊彦氏は「およそ存在する者はすべて無を契機として含んでおり、あらゆる存在者の根底には必ず無をひそんでいる」(『神秘哲学』)という。我われの経験世界で絶対的に有と言えるものはなく、無の絶壁上に懸けられた危うく脆い存在である。存在者の有は本質的に相対的存在であるということを「無の深淵」の不安として実存的に捉えられる。井筒氏は、「存在の無とは自己のうちなる無であるとともに、他者に対する無」でもあり、「すなわち全ての存在者は他者を否定することなしには自らの存在を確保できない罪深いものなのである」と指摘する。西暦紀元前七世紀から五世紀にまたがる「宇宙的痙攣」(ロマン・ロラン)の三百年は、文明が隆興と壊滅を繰り返す「万物流転」の時代であり、ギリシア民族の生活を根底からくつがえしたと言われる。ホメロス・ヘシオドスによる、光溢れるオリュンポスの芸術的神々の世界は、このような動乱の時代には、「なぜにこの世はかくまで不幸に充満し、重い軛を背負わなければならないのか」という切実な問題に神話が答えなければならず、人々の信頼に応えることができなくなった。「イオニア的考えによれば存在そのものがすでに「不義」なのだ」という。「他を否定し、他を限定し、また他によって否定され、限定され、かくて相互に罪を犯しつつ存在する」と井筒氏は解釈する。「一切のものは無に顚落し、その同じ瞬間にまた有に向って突き上げられながら、永遠にそれを自覚することなく永遠の交換(ヘラクレイトス)を繰り返す」が、人は忽然とその実相が開示される瞬間がきて、絶望の叫喚を発するとともに、落下する自己と万物を受け留める不思議な「愛の腕」(一者)に気がつく。すなわちこれが宗教の始まりであると井筒氏はいう。「宗教的懊悩とは相対的存在者が自己の相対性を自覚した結果、これを超脱しようとし、しかも流転の世界を越えることのできない苦悩であり、宗教的憧憬とは、それでもなお霊魂が永遠の世界を瞻望し、絶対者を尋求してこれに帰一しようとする切ない願いにほかならない」と井筒氏は説く。この「愛の腕」(一なるもの)とは、生命の源泉、あらゆる存在の太源、「存在」そのもの、宇宙的愛の主体としての「存在」あろうという。

 紀元前六世紀にイオニアに、「我の自覚」とともに抒情詩が生み出されたが、哲学者もまた「存在界の生滅成壊を主題として思索していた」。そこでは詩人も自然学者も区別はなかったし、宗教と哲学は同一であったと井筒氏は指摘する。先述したように、「存在の根源的悪」、絶対者に対する悪ではなく、個別相互間の「罪」であり「不義」に対する哀傷は、前六世紀のイオニアの精神的空気である。井筒氏は、抒情詩の時代から自然哲学に移行する中間地帯に「自然神秘主義」体験を置き、後のギリシア哲学の頂点を成したプラトンの哲学の深奥に横たわる神秘哲学と、そこから発展するアリストテレス、プロティノスの神秘哲学を、ソクラテス以前の自然神秘主義に求めようとするのであるが、その論考は別の章を必要とする。ここでは朔太郎の宗教に通底する罪の意識と詩作の根源とが一元的に抵触する場において、時代や場所を問わず、あるいは朔太郎がどれほど深く思索したか否かにかかわらず、生の儚さに向き合う時の普遍的な感情を解き明かしてみようとしただけに留める。

 朔太郎が、このような、人々の普遍的な感慨にどの程度抵触しえたのかは定かではないが、日本の来たるべき詩を、ミューズの故郷から西洋の詩に引き継がれたものと、我われの詩歌の源泉から引き継がれたものとの融合と考えられるのであるなら、粟津則雄氏が「詩語の問題」で言う、「実人生での「罪」と、想像力がはらむ「罪」とによって激しく動かされた朔太郎」という指摘が説得力をもって迫って来るのである。      次回(二)につづく。


防波堤/小林稔・詩誌「へにあすま」51号より

2016年09月20日 | 詩誌『へにあすま』に載せた作品

防波堤

             小林 稔

 

 

 

この西洋のいちばんはずれの土地で、わたしは突然、近東の総合を見たのだ。そして生まれて初めて、わたしは物象のために生きた人間をなおざりにした。わたしはスティリターノを忘れた。太陽はわたしの神になったのだ。太陽は、私の胎内で昇り、孤を描き、そして沈んでいった。

 

 

  1

海岸線に立った

きらきら輝くカディスの海に向って断崖が

人差し指を水平に突き出している

アルへシラスからジブラルタル海峡を南下すれば

アラブ世界が広がっているだろう

船は後ろ髪を引く重い存在から断ち切るように

私の身体を前方へ運んでいく

想いは船の後ろを追い群れる海鳥のようにやかましく羽搏いている

 

水しぶきを上げる真っ青な海の向こう

霞んだ琥珀色の断崖が見える

まぎれもなくアフリカ大陸の北端、タンジェールであると自らに言い聞かせる

瓦礫のように積み重なった薄汚れた白い建物

カサブランカ行きのバスはなく相乗りタクシーに乗り込んだ

すぐに年下のスーツ姿の黒人青年も乗り込む

仕事でラバトに行くのだという

車窓に視線を向けると

ガラスに少年たちの顔が貼りついている

黒人にヤジを飛ばしているようだ

少年たちの姿がみるみる増えタクシーを囲む

一人ひとりの表情を注視しているうちに

歓迎とも中傷とも読み取れる彼らの

無邪気で明るい眼差しに引き寄せられ

私の心は車外に跳び出して彼らに溶け合った

しばらくして運転手が乗り込み

ガタガタガタガタと言う爆音を立て走り出した

一瞬にして少年たちの姿が砂埃に包まれた

 

  2

イオニアの岸の古代都市をめぐり

エフェソスの遺跡から見る港湾は土壌で塞がれていた

イズミールからバスに揺られアナトリアの地に入る

機関車が長蛇の車両を率いて直線を描き平原を横切って行った

塩の湖に夕日が落ちて次第に辺りは闇に包まれる

中央のカイセリへはコンヤでバスを乗り換えなければならなかった

待合室にいた私の周りにいつの間にか人だかりができ

通訳を買って出た大学生の青年が英語で話し始める

ここに来るまでどこを旅していたのか

ここからどこへ行くのか、いつ帰路に就くのか

真夜中を過ぎ、バスが来るたびに若者たちが消えた

ようやくカイセリ行きのバスが着くと

乗降口で私を抱擁し、別れを告げた青年は闇に残された

 

車内に青年兵たちの乱雑に投げ出された肢体があった

訓練の帰りであろう、彼らの土の息が充満している

私に気づいた青年が体を横にして隙間を作った

沈み込むように私は体を滑り込ませる

アジアの西と東の外れでいつか土塊になる私たち

再び逢うことのない私たちの共有するこの瞬間

彼らの国を旅する私の幻想であろうと

彼らの寝息の満ちた車内で

彼らの一人に成り変われたという喜びに浸りながら

私は眠気と疲労で、彼らの上にくずおれた

 

*エピグラフは、ジャン・ジュネ『泥棒日記』(朝吹三吉訳)より引用。