ヒーメロス通信


詩のプライベートレーベル「以心社」・詩人小林稔の部屋にようこそ。

改編『砂漠のカナリア』(抄)小林稔 詩誌「ヒーメロス」35号より

2017年03月14日 | ヒーメロス作品

詩誌「ヒーメロス」35号

  改編「砂漠のカナリア」(抄)

改編「砂漠のカナリア」(抄)スペイン、ポルトガル、モロッコ紀行散文詩

小林稔

 

   一

 

人はいかにして自己の面前に、自己と同じほど強いものとして、

軽蔑あるいは憎悪すべき者を置くことができるだろうか。しかし

そのとき、創造者は彼の人物たちの罪の重みをみずから背負うで

あろう。聖性は、わたしがそれと混同する美―詩(ポエジー)―と同様、唯

一独自のものなのだ。しかし、わたしは何よりもこの「聖性」と

いう語が人間の最も高い精神的態度を指しているからこそ、聖者

となることを願うのであり、それに到達するには、わたしは何事

をも辞さないだろう。ジャン・ジュネ『泥棒日記』より

 

 太陽が照りつける青空の下、男は輝かしい青春の栄光を全身に鼓舞して群衆に笑みを投

げた。男は命を決して闘いに挑むのだ。地面に落とした影は、彼にまとわりついた死の、

群衆をさらに惹きつける衣裳、そしてもう一つの影は、マタドールと呼ばれるこの男の、

肉体に突進する牛だ。

 円形劇場ならぬ闘技場で繰りひろげられる、このシナリオのない一幕に血を沸かせる群

衆は、そこに人生のドラマを見る。真夏の死こそ、男のノスタルジーを駆り立てるものだ。

マドリードの闘牛場で費やした私の青春の一日が旅の思い出とともに甦り、過ぎ去った時

間の靴音で振り返る。彼らの熱狂は、物憂く気だるいスペインの午後とは表裏一体をなす、

彼らの心性なのだろう。ヨーロッパと一線を画す風土を肌で感じ取っていた私に、放浪の

旅の途上で人生への郷愁を感じさせ、生きることの悲惨と歓喜が、スペイン語の響きとと

もに、暗闇から立ち上がってくるのだった。

 

闇そのものの具現である牛が躍り出た。観衆の声の嵐に牛は一瞬立ち止まる。この役割

を忘れた演者を、マタドールのひろげた赤い布が挑発する。低く首を垂れて走る牛から身

体を交わし、膝を地面に突き、砂ぼこりに直立し、次々にポーズを決めると、拍手が風に

なびく草のように青空に舞った。

 たび重なる歓声にとどめを刺したのは、牛の首を貫通する剣、男の垂直に降ろした剣で

あった。血が鼻の穴から吹き出て、膝を折り倒れるかと思われたが、急所を外したのか牛

はびくともせず血の波線を地面に描いてマタドール目がけて突進した。牛の角が男の腿を

突き上げた。一筋の血が男のタイツの裂け目から流れた。男は闘牛場の隅に駆け込んだ。

壁に磔にされたように身体から両腕は左右にひろげられた。牛の黒い背は血で染まり、牛

は男を睨んだ。群衆の罵声が男に浴びせられた。もうろうとしたまま、互いの役割を呼び

戻した男と牛は、宿命の距離を測っている。

 岩のように立ちふさがる牛の前に、男は一歩を踏んだ。歓声が起こった。左手に布、右

手に剣を持ったマタドールは牛をけし立てる、すると牛は男の身体に転がり落ちた。再び

牛の首に剣を突き刺す。男は力を出し切ってよろけた。血が止めどなく牛の瞼を流れ落ち

る。牛は暗幕のように垂れた胴の皮を前後に揺すって男に尾を向け、闘牛場の真ん中にゆ

っくりと踏み出した。

 トランペットのファンファーレが鳴った。騎手を乗せた二頭の馬が走り出て、方向を見

失った牛を声と鞭で導きながら退場した。一人残されたマタドールは、血で染まった砂地

に立ち、拍手と罵声を身体に浴びて、取り逃がした栄光を惜しむように、闘牛場のゲート

の闇に消えた。

 

 

   二

 

あたりの静けさの中で、毀れた窓ガラスのかわりに張ってあった、

黄色く褪せた古新聞がかすかな神秘的な音をたてていた。「なんて

微妙なんだろう」とわたしは思った。いったい、誰が―あるいは

なにが―この貧しい者の部屋の中で、このようにひそかに自己の

存在を告げているのだろう?「あれはスペインの新聞だ」と、わ

たしはさらに思うのだった、「わからないのは当たり前だ」

ジャン・ジュネ「泥棒日記」より

 

 石畳を踏みしめ、建物の一つひとつの窓を見上げながら歩いた。ランブラス大通りと

いう幹から伸びた枝分かれした道を辿っていくと、路地の両側に立つ建物の窓から窓に

道を越えてロープが張られ、色とりどりの洗濯物が万国旗のように吊ってあった。その

一角にピカソ美術館があった。十代のころに描いたという古典主義的手法の絵は、彼の

破壊的な形状の絵に見慣れていた私には一種の驚きだったが「狂人」と名づけられた小

さな線画の前でしばらく立ちつくした。

牧神のような風貌、毛髪の一本一本、宙に浮いた両手の指先まで神経が張りつめ、正

面から私を見つめている。どことなく精神が解放された心地になって、美術館を背にカ

テドラルのある道を目指して歩みを進めていくと、視界を白いものが過ったように思っ

た。振り向いたとき、同じように振り返り立ち止まる青年がいた。彼の視線から逸らす

ことができずに見つめ、沈黙の時間が流れた。

なんという優しい彼の視線なんだろう。鏡に映る自分を不意に覗いてしまったときの、

胸を刺すような痛みと驚きとためらいが彼と私にあった。彼には旅行者には見えない落

ち着きがあり、この街に慣れ親しんでいる住人のようだ。ショルダーバッグを左肩にか

け、幼い顔立ちを見せるが時折大人びた表情をも見せる。同じ年齢と感じさせる細身の

日本の青年であった。見えない糸に操られる人形のように、同時に視線をそらさずに頭

を下げるのだった。

カタルーニャ広場まで行きカフェに入った。彼が昔からの友人のように思われてなら

なかった。話しているうちに彼が私より二歳年下の留学生であることが分かった。私が

泊まっている宿に行こうということになり店を出て二人して石畳の道を歩く。どっしり

と構えたカテドラルが曲がりくねった道に立つ建物の向こうに見える。宿の前に来ると、

階段を上がって部屋に入った。

閉じた鎧戸の隙間から縞模様の光が寝台に落ちていた。私は寝台に座り、青年は洗面

台の前の椅子に座った。闇に慣れた私の視線は、微かに浮び上がる彼の唇と瞳と眉の消

えていくあたり、闇に覆われている耳のくぼみに向けられた。少年時代の彼の幻影が私

の脳裏に立ち上がっては闇に投げ出され、再び眼前に現れたように思われた。

 

私は明日ここを去り、スペインの他の街をさまようだろう。旅の意義はどこにあるの

か。雲のようにさすらうだけではないか。彼のいなくなった部屋でひとり胸の空白を埋

められずにいた。もう陽は落ちてしまったようだ。光の射し込まなくなった部屋を濃い

闇が満たしている。壁に架かった絵のマリアの頬に伝う、血のような紅い涙も今は闇に

消えて見えなかった。

 

 

   三

わたしは書くことによって、わたしが探し求めていたものを得た。

私にとって教訓になりつつ、私を導いてくれるであろうものは、

わたしが経験したことではなく、わたしがそれを物語る調子なの

だ。いろいろな挿話的事件ではなく、芸術作品なのである。わた

しの生涯ではなく、それについての解釈なのだ。

ジャン・ジュネ「泥棒日記」より

 

 樹木の枝が張り出している宮殿の裏手の傾斜した道を昇っている。神社の参道を思わ

せる。裁きの門と呼ばれる宮殿の入り口を抜け、いくつかの暗い部屋を過ぎ、真っ先に

視界に飛び込んできた光景。それは真昼時の、眩い光に照りつけられた青いプールであ

った。中庭いっぱいにしつらえた矩形の人工池であり、白いアーチと蒼穹にそびえ立つ

塔が水面に逆さまに相似の姿を写している。コマレス宮と名づけられ、ここで刺殺され

息を引き取ったグラナダ王、ユーフス一世の宮殿であった。

 こちらの岸から対岸に視線を投げれば、対岸からこちらに返される視線の気配がある。

ここは天人花、すなわちアラヤ―ネスと呼ばれた中庭なのだ。砂漠から砂漠を越え、つ

いに見出した泉の表象であろう。旧友に再会したような懐かしさを覚え、歩みを進める

たびに内省的になっていく私を知る。ヨーロッパの放射線状の美とは異質な、このシン

メトリーの構図は見る者は見られる者という鏡の世界に迷い込んだような錯覚に陥る。

足許に湧き出る泉、静かにあふれ出る泉は地下から湧き出るかのように満々と水を湛え

た池があり、微かな水の音でさえ、訪れる人の耳に伝える静寂がある。彼方からの呼び

かけがあり、その先に神がいる。見知らざる神への加担をつづけながら生きていこうと

する私たちとの距離を満たすものが沈黙ではないのか。沈黙をつづける精神の内部には、

泉のようにあふれるまでに留めた心がある。アラビア人の美意識が、旅をする私に呼び

かけてくるのは、距離の感覚に旅の概念が織り込まれているからではないだろうか。

 

 池の対岸、左に右に往きかう人々に阻まれ立ちつくす少年の姿がある。少年の眼差し

は人々の背に遮られ、私の眼差しも遮られ、探しあぐねて、ついに私の眼差しに真っ直

ぐに届くのであった。私の心の闇に陽が射してどこかで弦楽が奏でられた。

 少年の面(おもて)は、太陽の光線に輝き、喜びに満ちて限りなく優しい眼差しを私に送って

いる。胸に満ちる潮は琴線を弾き、曳いていく潮は惜別の想いに裂かれ、別々の歳月を

二つの影が歩んでいた二つの道はここで交差した。

 アラヤーネスの庭の水が、空を奪い水底深く沈めて、二つの影を逆さまに捉えた。

足許に湧き出る水が掘割を伝い池に注ぎ込む。時にからめとられ生きることは悲惨で

あった。もう離されることはないであろう、私は君で君は私なのだ。

 

 

 アルハンブラ狂詩1

 私は無知であった。雨に打たれ全身ずぶ濡れて泥だらけの道を転げ廻り、

犬のように歓喜の声を上げた。一番高い木に登り大声で叫んだ。

 私は孤独であった。心の絆を結ぶことに不器用で、太陽を手のひらに収

めるほど困難であるとは知らず、友情を恋と取り違え、胸を焦がした。

 私は絶望した。時が私を青春の岸辺に打ち上げたが、それは少年時から

の永訣であった。切断された片足を見つけるように少年の裸形を追い求

めた。橋から橋を渡り、路地から路地をさまよった。

今、想いは遠くへ誘われ、水音に眼差しを奪われ、衣服を脱ぎ捨てるよ

うに我を喪失していく。すると、私の眼差しは対岸から私に還された。

私は見つけた、私の少年を。放浪に身をやつした青春の一刻を顧みれば、

このコマレス宮で見出した少年の幻影こそ私自身であり、現世に生を授

かる前に私の魂が見た美の似姿であった。

 

 

私は少年をひきつれ、通路で結ぶライオンの宮に歩みを進めていった。

 

父ユーフス一世の遺産を継ぎ、十七歳で即位したマホメッド五世、彼の建築したラ

イオン宮に足を踏み入れると、ただならぬ気配を感じた。

 

大理石の列柱から中庭に視線を転じれば、十二頭のライオンの石像の背が支える水

盤があり、そこから昇る水のゆるやかな動きに陽光があふれている。

水盤に視線を据え、距離を保ちながらゆっくりと廻廊を巡った。

重なり合う大理石の林から一人の少年が垣間見えた。そして列柱の隙間に消えた。

歩みを止めることなく進んでいくと、林の向こうに少年が再び現れ私に視線を投げた、

と思うつかの間、林の背後には深い闇があった。

 

実弟イスマイルの襲撃を遁れたマホメッド五世は、アンダルシアの岸辺の町に身を

潜め、そこからアフリカのフェスの宮廷に亡命したという。イスマイルは姉の夫に暗

殺され、マホメッド五世がグラナダ奪還を果たしたのは二十五歳の時であった。憎し

みも友愛も歳月の流れに消え失せるだろうが、王の厭世が創りえた心の庭は、訪れる者

に感銘を与えずにはおかない。

 私たちは美の片鱗を覗き、美のヴェールを引き剥がしたならば、たちまちに血で塗ら

れた光景が見えるだろう。かつて水盤には、反逆者の生首が置かれ赤い血が噴き上げら

れていたと、後世に伝えられている。

 

 掘割を伝い流れ水が廻廊に立つ私の足許まで寄せている。こちらのアーチの作る闇が

中庭の水盤に注がれる光の世界を切っている。流れ出る水の音がいっそう静寂を誘い込

んでいるようであった。闇の向こうの窓からはアルバイシン地区の眩いばかりに陽光を

浴びた白壁の家々と、ジプシーの住むサクラモンテの丘がひろがっていた。

 

アルハンブラ狂詩2

現世を断った王の胸の入り江に、イスラムの終焉と血縁への怨念が立て

る流氷の軋む音を王は聞いたであろう。虫酸(むしず)が走るような冷血の庭で、

王は世界を裁いたのであろうか。だが、なんという平安で優しさに満ち

た水の低きから低きへ流れる必然……。廻廊の闇に身を隠して庭に視線

を投げると、光が滝のように雪崩(なだ)れ込んだ。

 

大理石の列柱に身体を囚(とら)われ、頬を柱に触れ、私を窺(うかが)う君。

衣服のほころびから私が旅人であることを君は知る。旅への想いが芽生

え始めたのだろうか。柱に凭れ親しい眼差しでわたしを見る。

水盤から噴き上げる水が落ち、ライオンの石像の口から吐き出され、四

方に走る直線状の掘割を伝い流れている。

水路に沿い庭の中央に歩み寄る君と私。

ためらい、恥じらい、喜び、引き寄せられ、触れる背と背。

左手は後ろ手に右手、右手は左手、指と指の間に指が絡め取られ

躰の向きを変え、腕と腕が互いの背を抱えると、君の頬が薄紅色に染ま

った。顎を上げ私を見つめる君の唇を私が奪ったつかの間に

君は輪郭を淡くして私の躰に重なり消えた。

 

 

   四

 

 創造者は、彼の創造したものたちが冒す危険をとことんまで自分自

身に引き受けるという恐ろしい冒険に身を投げ入れたのだ。創造者

は彼の人物たちの罪の重みをみずから背負うであろう。イエスは人

間と化(な)った。彼は贖罪する。神と同じく、彼は人間たちを創った後、

彼らをその罪から解放するのである。―彼は鞭打たれ、顔に唾(つば)され、

嘲弄され、釘づけにされる。ジャン・ジュネ「泥棒日記」より

 

 丘の上に煉瓦を積み重ねたような家々が密集し、教会の塔がそびえ立つ城壁が取り囲む

街が見えてきた。城壁の門を潜り抜け、アルカサールと呼ばれ、現在は戦争博物館になっ

ている建物の近くのソコドベール広場でバスを降りた。路地に逃げ込み、古い建物を見上

げながら歩いて行くと、いつの間にか人の姿が見えなくなった。佇いの静寂に私自身の空

虚な心がいっそう透明になっていくような気がする。ローマ、西ゴート族、そしてイスラ

ム教徒の侵攻があったことを歴史は伝えているが、宗教と権力の相克は今でも人々の血に

翳を落とし継承されているのかもしれない。

 トレドに来た目的の一つに、グレコの『オルガス伯の埋葬』と題された祭壇画を見るこ

とがあった。観客客がいなくなったのを見計らって中に入るとその絵はあった。

 二十五人の視線がそれぞれ違う方向に向けられ、彼らの俗なる世界、彼らの二十五通り

真理が浮き彫りになる。下部にはオスガス伯の鎧をつけた死体が二人の聖人に支えられて

いる。左手の聖人はユダヤ教徒から始めて迫害を受けたと言われるキリスト教徒ステファ

ヌス。右手の老人の聖パウロと対照をなす端正な面立ちの美しい青年であった。

 上部に視線を転じるとそこはまさに天上界である。天使の抱いたオスガス伯の霊魂は、

最上部のキリストのもとへ届けられるところだ。聖母マリア、洗礼者ヨハネの背後に無数

の聖者たちが押し寄せている。翼のある天使たちの首が散在して骸骨のようだ。この絵は

一五八六年から一五八八年の間に描かれているというから、一四九二年、イスラムから領

土奪還を終え、カトリックの異端審問の嵐が吹き荒れていたころである。

 私は教会を出て奥につづく細い石の道を歩いた。壊れかけた煉瓦造りの家の前で髪の黒

い老婆と娘らしき人が視線を道端に落としてじっとしている姿を見た。さらに行くとグレ

コの住んでいたという家に着いた。思いのほか小さな家であったが、心を憩わせるには程

よい大きさの庭があった。

 もう一幅の祭壇画を見に、カテドラルの方向に向かった。重厚な壁の建物である。内部

は暗く敬虔な気持ちにさせられる。祭壇の方に歩みを進めると、真っ赤な色彩が目に飛び

込んできた。『聖衣剥奪』と名づけられた絵である。

 その前に私は立った。ゴルゴタの丘へ行くときのイエスであり、まもなく衣を奪われ十

字架に釘づけされる時の光景であろう。

 

―わが神、わが神、どうして私をお見捨てになったのですか。(マタイ伝)

 

取りまく役人たち苦悩に満ちた暗い顔があり、深い哀しみに、法悦さえ感じられるイエ

スの表情が対称的である。

 

―あなたは今日、私と一緒にパラダイスにいるであろう。(ルカ伝)

 

見上げるイエスの眼差しはそう語っているように思われた。イエスを連行する男たちは

ユダヤ教徒たちであったが、レコンキスタでユダヤ人たちを死に追いやったキリスト教徒

たちの姿がそこに陰画のように映し出された。そういえば、グレコの家の近くの道端であ

った老婆と二人の娘は、キリスト教に改宗したユダヤ教徒マラーノの末裔だったのではな

いだろうか。

 

   五

 

 漁師の町ナザレを離れ、鉄道駅までの数キロメートルを歩いた。バスの便はあったが発

車まで何時間も待たなければならなかった。バスターミナルで居合わせた美術大学の教授

という六十代の日本人男性の誘いで歩くことになった。

 途中、川で洗濯している女たちがいた。教授はスケッチブックを取り出し、三人の女た

ちが陽気に声を張り上げ衣類をもんでいる姿をすばやいタッチで素描していた。また歩き

出し、しばらく田園風景がつづいたが、少しずつ家々が見えてきた。駅への道を知らせる

掲示板を見つけたときは、灰色の建物が不揃いに並んでいる石畳の道が眼前にあり、私た

ちを招き入れようと待っているように思えた。

 その道を歩いて行くと、きつい日差しを建物がさえぎり、道に黝(あおぐろ)い影を落としている。

どうしたことか人影がない。時間が止まってしまったような道の佇まいである。リスボン

で見たセピア色のはがきの写真に類似している。夢の中を歩いているような心地に襲われ

た。駅に辿り着くまで、随分と時間を経たような気がした。

 駅前にバスは止まっていた。私の次の目的地はコインブラである。教授はリスボンに戻

る予定である。コインブラ行きのバスがきて私は乗車し教授に別れを告げた。

 発車したときに乗っていた数人の乗客が一人また一人降り、私一人が残された。樹々の

密集する細い道にバスは突然入って空地を抜け停車した。運転手は立ち上がった。ここは

コインブラなのかと尋ねると、彼はミラとはっきり答えた。ここでバスを乗り換えるのか

を聞いたが、私との言葉のやり取りにうんざりした様子で運転手は素早く降りて姿を消した。

私もバスから降りて辺りを見渡した。何の変哲もない田舎の風景。新建材で建てられた小さ

な民家が、うっそうと茂る樹木の間にところどころに姿を見せていた。日本では見慣れた風

景であるが、ヨーロッパではかえって目新しいものであった。

 途方に暮れたが、とにかく歩いてみるしかない。少し広い道に出た。道の先には明るい陽

光の射す海があった。真っ白い波しぶきを上げている。砂浜に足を入れた。白いペンキの剥

げたホテルがあった。硝子窓から内部を覗いたが誰もいない。人は引き上げてしまっている

ようだ。

 どこかで犬の鳴き声が聞こえた。人のいない浜辺を離れ道を引き返す。波の音が止んで黄

色い声が聞こえてくる。見廻したが誰もいない。発信する声のありかに引きずられるように、

海を背にして歩き始めた。フェンスに囲まれた砂地で少年たちがサッカーボールを蹴り走っ

ている姿があった。救われた気持ちになった。ネット越しに見ているとリーダーらしい背の

高い少年が大声で叫んでいたが、彼の視線が私を捕えたらしく動きを止めた。他の少年たち

も静止して私に視線を浴びせた。彼らは皆笑いながら両手で股間を抑えた。少年たちの示す

暗号が何を意味するのかを解明できずにいると、(おそらく私は眼を輝かしていたであろう)

リーダーが微笑みながら近づいてきた。昨日テレビで見たブルースリーの映画の一シーンで

あると言った。それから彼らはまたサッカーを始めた。リュックを道端において茫然として

いる私の足許に一台の小型車が止まった

青年が顔を出し、町の中心部に連れていくというのだ。私を乗せた車が賑やかな通りに着

くと私は降りてホテルを探した。歴史の匂いのしない新興の町の佇まいであった。

 ホテルの部屋にリュックを置き、スーパーマーケットに入り、レジで会計を済ませると、

私にどこからか投げられている視線を感じた。私が投げ返した視線の先に、学校帰りと思

われる女子高校生らしき二人が立ち止まっていた。視線が合うとすぐに近づいてきて、日

本人を初めて見た、と言い微笑んだ。彼女たちは一人ずつ私の左右の耳元の辺りに唇をそ

っとつけた。ためらっている私に、これはポルトガルの習慣だと言った。私も彼女たちに

同じようなキスを返した。

 何も知らずに迷い込んだミラという名の町。偶然にもてあそばれた旅の一日、そこで出

逢った人たち、そこで見たありふれた事物と風景。これらもまた旅の愉楽に違いなく記憶

の襞に刻み込まれ、これからの私の人生とともに運ばれ、ふとしたときに蘇生されようと

待ち望んでいることもあるだろうと思った。

 

翌朝、鉄道でコインブラに向った。ミラとは一転して、そこここに歴史を感じさせる街

である。歳月の経過に黒ずんでいる建物群。いつものようにホテル探しが始まる。通りは

車が後を絶たず、騒音を撒き散らして走り抜ける。空地にローマ時代の教会の正面の壁だ

けが残され立っている。

 私は重い荷物を背負い、よろけながら崩れかけた石段を踏みしめながら昇った。視線が、

車輪の行き交う道路の高さにまで達したとき、砂ぼこりが舞い上がった。石段を昇り終え

て立つ。するとそのとき、突然にアコーデオンの音が鳴り響き、その旋律が私の身体を吹

き抜けたかに思われた。一瞬遅れて哀しみが走った。胸を締めつけられるような感情を抑

え、かろうじて立つことに耐えた。

 私は何に感じ入っていたのだろう。古びた建物や道端に取り残された瓦礫が、アコー

デオンの旋律で哀しみの様相が一層深く帯びたように思われた。

 視線を横に落としたとき、盲目の老人の姿があった。老人の胸で生き物のように呼吸

するアコーデオンの横腹の襞が空気を吐き出していた。胸を激しくえぐり取る旋律。通

りを往来する人々の陰鬱な面立ちがその旋律に打ち顫(ふる)えているように見えた。憎悪、歓

喜、悔恨、そして怖れと不安が、消え去らずに残された歴史の闇から立ち昇る旋律とな

ってあふれ出し、老人の「存在」の悲哀がそれらを呼び寄せているかのように感じられ

た。

 翌日、さらに列車で北上し、ポルトという街に着いた。駅の待合室で荷物を床に降ろ

し木の長椅子に身を沈めていると、真向いの人の顔面が引きつり、視線を左右に乱す。

駅の構内にいたいく人かの人々が通りに出て走った。ただならぬ気配を感じた私は通り

に出た。道路の両側に密集して不揃いに並ぶ建物がつづき、その谷間になった空隙を群

衆が埋めつくしている。その先から灰色の煙が立ち上がった。やがて黒い煙に変わり空

を覆い始めた。テロリストだ、という言葉が人々の口から叫ばれた。その日の夕方には、

私はリスボン行きの特急列車に乗っていた。

 

――――――――――――――

 

モーツアルトの幻想曲ニ短調。その前奏の後の沈黙を破って静かに始まる旋律を、指

で鍵盤を連打した次の瞬間、記憶の音階を激しく逆流し、二十数年前のあのとき聴いた

老人の奏でるアコーデオンの旋律に結ばれた。それは存在の持つ底知れぬ哀しみの表出で

はなかったのだろうか。

 コインブラという街の名をひそかに口にすると、その名の響きとともに、青春時、道端

で私を襲った故知らぬ哀しみが、今もはっきりと胸に込み上げてくる。あのとき見たコイ

ンブラの空は、私の記憶の裡でますます澄み渡っていく。

 

 

   六

 

わたしは心の中でタンジェールを思い描いていた。それがすぐ近くに

あることと、いわば裏切り者の巣窟ともいうべきこの市の名声とに、

わたしはすっかり心を奪われていたのだった。わたしはわたしの惨め

な境遇から抜け出るために、最も大胆な祖国への裏切り行為をいくつ

も考えだし、それを冷静に遂行するところを想像した。

ジャン・ジュネ「泥棒日記」より

 

 桟橋から見るタンジェールの街は、スペインの白い家を見慣れた私には、瓦礫を積んだ

だけの、あるいは崩れて瓦礫のようになった建物が白いがひどく汚れて、不器用に並んで

いるという印象であった。

 カサブランカ行きのバスを見つけるために視線を辺りに向けていると、視線を遮ったも

のがあった。私に向けている視線があった。細い体躯によれた上着をつけ黒ずんだ顔をし

た青年であった。バスはどこから来るのか、と問うと、ないと答える。驚いている私に、

とにかく両替をしに行こう、と私を煽り立てる。モロッコの貨幣がなければ何も始まらな

い、そうしようと思った。語りかける青年の暗い表情が気にかかる。

工事現場のように掘り起こされた窪みをいくつか越え、石段を昇ると大きな通りに出た。

銀行では青年は私から離れずに、受付で行員に話しかけ、両替の手続きを見守った。再び

通りに出で裏手のバザールのある場所を案内した。興味をひかれた私を見て、青年はタン

ジェールに今日は泊って、明日のバスにのったらどうかとたどたどしい英語で言った。私

の目的はマラケシュに行くことであり、途中カサブランカに寄って一泊しなければ難しい

だろうと考えていた。青年に事情を説明すると、暗い顔が一層暗くなった。

青年は初めに会った海沿いの道に私を連れ出した。そこには乗り合いタクシーが止まっ

ていた。青年に別れの挨拶をしようとすると近づくと、青年は上着のポケットに手を入れ、

手帳を取り出して私に見せた。彼の写真が貼られたインフォメーションの身分証明書であ

った。案内料を請求しているらしい。そんなことだったのかと、私に怒りが込み上げてき

た。最初に手帳を見せるべきだったのではないか。私を見て青年は視線を地面に落とした

まま頭を垂れている。仕方なく両替したばかりの紙幣と小銭を払った。痛い出費だ。モロ

ッコに着くなりこれだ。この先どうなるだろうという不安に駆られた。

 タクシーはスピードを上げた。視界から建物が少なくなり、右手の椰子の木の向こうの

窪地の、さらに向こうに、真っ青な海が見えた。大西洋だと思った。

 土を固めて作ったような四角い家がいくつも見えてきた。上半身裸の男たちが細い路地

を行き来している。駱駝に乗った子どもがこちらを振り向いた。大木の下で白い布を頭に

巻いた老人が寝転んでいる。井戸で水を汲んでいる男がいる。

 しばらくすると、家も人も見られなくなった。空が暗くなり始めたころ、また家や店の

並ぶ町にタクシーは入って行った。肉屋の店先に羊の首が突き立ててあった。ジェラバを

着た髭の男が二人、道を横断した。よく見ると二人の手はしっかり握られていた。タクシ

ーに相乗りしたモロッコ人は彼らを指さし、キセルをくわえながら目と唇をひきつらせて

笑った。タクシーは町並みを抜けたらしく、変りばえのしない荒れた土地を走っていた。

 夜も更けて、乗客は疲れ果てていたが、タクシーはますますスピードを上げて闇に突入

している。私は眠気に襲われ、浅い眠りの岸辺を彷徨っていた。

 

 いく日も砂漠を歩きつづける青年がいた。ほころびたシャツ、膝がむき出し、脛の辺り

がぼろぼろのズボンが長旅の疲れを物語っていた。砂漠の地平から太陽が昇り、砂の隆起

が影を曳いていた。一羽のカナリアがどこからか飛んできて、青年の足許に力つきて落下

し身を横たえ息絶えた。

 ……夢であった。いつの間にか眠ってしまったようだ。タクシーは相変わらず走ってい

た。やがて灯りが見えてきた。城壁がつづいている。城壁の門の前でタクシーは止まった。

 ここはカサブランカですか、と問う私に、運転手は表情を変えずに、ラバトと答え顔を

そむけた。鉄道駅はどこにあるのだろう。このような深夜にホテルは見つかるのか。仕方

なくタクシーを降りて、初めに決めた料金を支払った。ホテルのある場所を運転手に尋ね

たが、相乗りしたモロッコ人は料金のことで運転手と口争いになり、私など眼中になかっ

た。私は諦めてその場を離れるしかなかった。

 見るとホテルの看板の灯りがあった。ドアを開けるとすぐ右手に小さなフロントがあり、

年老いた男が立っていた。シャワー付きの部屋に案内された。宿泊場所を確保して落着い

た気持ちになると、力が躰の隅々から甦ってきた。昨日までののんびりしたスペインの旅

とはずいぶん違ったものになるだろう。おそらくヨーロッパ人よりは深くアラブ人と私の

血は繋がっているのではないだろうか。

アラビア文化圏の西の果てに来たのだ。ヨーロッパとは決定的に違う何ものかに唆され

窮地に追い込まれた私の不幸を想像した。身が引き締まる想いで寝台に身を横たえた。

 

 制服を脱ぎ捨てるように、少年は父母を顧みることなく旅立つ。内なる少年に別れを告

げる時であり、旅の途上で次々に変貌する。パゾリーニのフィルム『千一夜物語』の一場

面が脳裏に浮かんだ。故郷を離れ旅をつづける青年の話である。

 海辺に辿り着いたとき、青年は岩場で少年と父親らしい男がいるのを見かけた。父親は

息子を殺しに来るという予言を受け、地下に息子を隠しに来たのだ。岩の陰から覗き込ん

でいた青年は、少年が悪者の男に閉じ込められたと思い込み、男が帰った後、少年を救い

出そうと地下に入っていく。少年は青年を見て、自分を殺しに来た人だと恐怖に脅える。

青年は少年から事の次第を聞き、君を助けに来たのだ。ぼくは予言の殺人者ではない。君

を守ってあげようと誓うと、少年の顔に笑みがもれた。二人はすっかり打ち解け合い、楽

しい兄弟の交わりを持つのであった。夜も更けて二人は眠りに就く。

 青年がふと眠りから覚めると、隣でうつ伏せに眠る少年の背に突き刺さった短刀がある。

その柄を握る自分の手を見て驚愕する。何が起こったのか分からずうろたえた。青年はさ

らに旅をつづけるが、次々と不幸に見舞われるのであった。

 青年が乗船した船が偶然にも難破し、故郷の浜辺に打ち上げられ帰郷するが、懐かし喜

ぶ父を見て青年は他者の視線を向けては、道端の老人と衣服を脱ぎ、交換して着服した。

それから再び故郷を去ったのである。

 

この現実の世界が夢ではないと断言できようか。どこかにある実在する世界のメタファ

ーであると言えないだろうか。ゆえに現実の物象はしっかり見とどけなければならない。

想いは蝶のように暗闇を彷徨い、私はいつしか眠りに就いた。

 

 

   七

 

                わたしは、その手段の厳粛さによって、彼が人間たちに近づくため

に用いた材料の壮麗さによって、詩人がどれだけ人間たちから遠く

離れていたかを測る。わたしの汚醜の深さが、わたしの裡なる詩人

に、この徒刑囚の苦役のごとき仕事をば強制したのであった。

ジャン・ジュネ「泥棒日記」より

 

 未明、カラブランカの鉄道駅に近くからマラケッシュ行きのバスが出るというので出向く

と、男女二組の日本人のグループに出会った。写真機の機材を入れた四個のアルミ製の箱

を車内に持ち込んだところ、バスの屋根の上に積めと言われが、盗難を怖れて彼らは拒否

した。しばらく運転手と言い争いをしたが彼らは譲らず、座席の下に置いて腰を降ろし顔

を逸らすのだった。乗客のモロッコ人たちが運転手に何か声をかけていた。彼ら四人の日

本人たちは私とさほど年も違わなかったが、モロッコ人を警戒しているようだった。彼ら

は一人で旅している私に感服していた。

 長いものには巻かれろ、すべてはアラーの思(おぼ)し召し、という気持ちになると、モロッコ

人のきつく見えた視線にも優しさが感じられる。その土地に身を置いて、自分が何を感じ

何を考えるかが私に大事であり、旅の目的の一つであったのだ。人生に喩えられる旅の途

上で思考し自己を変貌させること。私は事象の一つひとつに詩を発見しようとしていたの

である。

 おそらく私は日本に帰ることできるであろう。だがほんとうの旅はそこから始まるのか

もしれない。死者が異界に旅立つとき、白装束を着せ、草鞋(わらじ)を履かせる風習が私たちにあ

るのは、人生は旅であるという想いの反映であろうか。旅を回想するとき、人はどこか死

者の眼差しを向け、過ぎ去った時を懐かしんでいるようだ。

モロッコの紙幣を取り出して見た。印刷された国王の顔が手垢で汚れ、かろうじて見分

けがついた。人から人へ長い時を経て旅をしたのであろう紙幣を両手で持ちしばらく眺め

ていた。バスが突然揺れたとき、紙幣は真ん中の折り目から離れ、左右の手の指に片方ず

つが挟まれていた。隣の席にいた老人が、二つにキレた紙幣を私から取り、彼の財布から

紙幣を取り出し、無言で私に差し出した。

 道の両側に盛り上がったように赤い土がつづいている。しばらくしてバスは山腹を登り

出し、西洋風な家々が見えてきた下りの道をバスが辿るところに夕日が落ちようとしてい

た。バスは町に入って行った。人の姿が多く見られるようになり、ついには黒い塊になっ

た。その外側を、駐車した車が取り巻いている。ここがフナと呼ばれるマラケシュの広場

であった。バスを降りてホテルを探し、すぐに広場に出た。

 広場を包囲する車と車の隙間を縫うようにして歩き、群衆の壁をすり抜け人だかりに紛

れ込むと、笑いと歓声が上がった。蛇使いと思われる老婆と、蛇を追って走る少女がいた。

戯れる少女はまるで猿のようだ。老婆の吹く縦笛に合わせ蛇は身をくねらせる。

 アラーへの祈りの声がスピーカーから蒼い空に響き渡り、広場の喧騒に流れ込んで上空

に消えて行く。これから辿るであろう私のアジアの旅に想いを寄せた。トルコ、イラン、

アフガニスタン、パキスタン、さらに広大なインド、ネパールとつづく日本までの道があ

る。不可視な人生の闇を辿ろうとしているように、若い私は文化の歴史の痕跡を引き寄せ

られるままに身を置こうとしていたのかも知れない。

 ここは毎日がお祭りであるという。太鼓の響きが、埃と吐き出された痰の臭いのする群

衆の血を煮えたぎらせているのか。別の人だかりに紛れ覗くと、高く掲げた棒の上でアク

ロバットに興じている男がいる。この国のいたるところから大道芸人がやって来るのだと

いう。視線を至近距離に向けたとき、小銭を貰い歩いている子どもと乞食らしい人がいる

ことに気がついた。

 十歳にはなろうと思われる男の子が私の手をいきなり握り、バザールへ連れ出そうとす

る。誘われるままに後を追うと、天井から光の射す細い道の入り口に来た。両側にびっし

りと色鮮やかな品物がある店がつづいている。少年は私の手を握りしめたまま、店の奥に

どっしりと腰を据えた店の主人に何か呼びかけている。天井まで積んだ敷物、真鍮の壺や

銅製の首の長いポット、陶器の皿と花瓶が並んでいる。バザールの光景に私は子どものよ

うに心を躍らせるのであった。旅の途上にいる私がこれらの物を買えるわけがない。

 少年はさらに奥に連れていこうと手を引く。欲しい物が浮んだ。青年が着ているフード

の付いたジェラバである。折り返したフードの縁から鋭い視線を覗かせているのを度々見

ていたのだ。ジェラバが欲しいと少年に告げると、何かを思いついたらしく、バザールの

さらに奥へと強く手を引くのであった。右に左に進むうちに店はまばらになっていた。そ

して踏み込んだところはバザールの道が真っ暗闇に消えていくところであった。

 工房の灯りに電球が天井に一つ吊ってある小屋が片隅にあった。灰色のジェラバに身を

包んだ中年の髭の男が少年の掛け声を聞いてゆっくり立ち上がった。腹を突き出し私をし

ばらく見つめると、棚に積んだ布を二、三引き出し、四角い木製の作業台にひろげた。

 白と茶色のジェラバであった。私は白い方を指さし、いくらかと聞く。百ドラハムだと

男は答える。両替したときのドルから円に頭の中で換算すると私には大変な高額であった。

私が無言で立ちつくしていると、男は九十でどうだという。私は思い切って、十なら買お

うと切り出した。男はとたんに笑い出し、お前は頭がおかしい、と言いたげに私の顔を覗

き込んで、自分の頭を指で突いた。この高慢ちきな男の表情にどこか親しみを感じた私は、

値引き交渉が愉快になり、私は男の示した値を落とそうと勢い込んだ。十五でどうだ、と

言う私に、男の眉が少し震え上がったようだった。八十、と男はきっぱりと言った。

 私は帰るふりをして、少年を見ると、悔しそうな表情で私を見上げた。男に背を向け一

歩を踏み出したとき、六十、という男の声が上がった。私は少し立ち止まってみせたが、

また歩き出した。少年が遅れて私を追ってきた。私の手を強く握って男のところへ引いて

行った。男は十六で売ろうと言う。私は買おうと言うと、男は私の肩を抱きかかえ両手を

握り笑みを見せた。私は再び少年に連れられて走り、バザールの入り口で、一ドラハム硬

貨を少年の手に握らせると、少年は笑顔を投げ、走って人ごみに消えた。

 

 夜が更け、夕方の賑わいは消えた。人ひとりいない静まり返った広場の闇の中に、屋台

の灯りがあった。近づいて行くと、皿のような平たい帽子を頭に乗せた男と、椅子に並ん

で座っている三人の男の子たちが見えた。男のすぐ隣に一人だけ金髪の男の子がいた。骨

の付いた鶏のから揚げが皿に積んであった。注文して噛みつくと骨が歯にあたる。肉がな

くほとんどが骨だけであった。諦め立ち上がり、反対方向にあるホテルの灯りを目印に歩

き出した。五、六歩進んだとき、背後で子どもたちの甲高い声がした。振り向くと、私の

残した鶏の骨を奪い合っていたのだ。私は一瞬立ち止まったが、闇の広場を横断しようと

歩みを進めて行った。

 

             註・ジャン・ジュネ『泥棒日記』からの引用はすべて朝吹三吉訳による。

エピローグ

   

 

水が足首に触れ流れてゆく。わたしは立ちつくして時間を遡る。

足底にまといつく疲労が泉に溺れた視線を探して。

 

いくつも重ねられた帳の奥に

見知らぬ者の瞳の閃光。

 

旅はいつまでつづくのか。おそらく命あるかぎりとはいえそれほどの長い刻(とき)ではなく、

われらの瞬きの間(ま)に間(ま)に跳ぶ矢の一投のように。

 

それをアランブラーの裁きの内庭に喚起しようと、イスファアンの王の聳え立つ円蓋の

青にこころを塗られつくそうと、あふれんばかりの光に照らされ称えられてある

誕(はじま)りの喩ではないのか。

 

泉よ、わたしをさらにわたしの暗処に曳きずり込む水の竪琴よ。

巻貝の螺旋を辿るように、いくえにも広がる波動のゆくえをわたしは追っている。

いく度も行く度によみがえり再生する魂は、滅びゆく身体から剥離することを切望し、

羽化する瞬時を狙っている。

いかなる宿命の生に記憶されたのか、僧侶の想いの伽藍の奥に、

あなたの限りある命の音が瀧のように煙っている。

                    註・アランブラー・アルハンブラのスペイン語読みで赤い城壁のこと。

 

copyright2017以心社 無断転載禁じます。

 


詩誌「ヒーメロス35号」発行なる

2017年03月14日 | お知らせ

詩誌「ヒーメロス」35号が3月12日発行されました。

詩篇」

  ヴァージニア・ウルフのいる風景

              向井千代子

  素朴な時代

              河江伊久

  ブランコは揺れて

              田中美千代

  二人して叫びながら

              原 葵

  森

              高橋紀子

  邂逅

              朝倉宏哉

  改編「砂漠のカナリア」(抄)スペイン・ポルトガル・モロッコ紀行散文詩

              小林 稔 

 

  編集後記

 発行所 342-0056

    埼玉県吉川市平沼226-1

        以心社  小林稔          


朔太郎を読む(5)小林稔

2016年12月19日 | 萩原朔太郎研究

萩原朔太郎を読む(5)小林稔

地面の底の病気の顔     萩原朔太郎

 

地面の底に顔があらはれ、

さみしい病人の顔があらはれ。

 

地面の底のくらやみに、

うらうら草の茎が萌えそめ、

鼠の巣が萌えそめ、

巣にこんがらがってゐる、

かずしれぬ髪の毛がふるえ出し、

冬至のころの、

さびしい病気の地面から、

ほそい青竹の根が生えそめ、

生えそめ、

それがじつにあはれふかくみえ、

けぶれるごとくに視え、

じつに、じつに、あはれふかく視え。

 

地面の底のくらやみに、

さみしい病人の顔があらわれ。

      「地面の底の病気の顔」

 

詩集「月の吠える」の詩篇から、一気に疾患(病気)が詩作の動機になっていきます。実存の根底にまといつく精神疾患は朔太郎には振り払えないものであるが、むしろすべての人間に宿る不安や怖れの感情を浮き上がらせる方法論として積極的に向かい合うことで、「無の深淵」に降りて行こうとしたようです。


萩原朔太郎を読む(4)小林稔

2016年12月18日 | 萩原朔太郎研究

萩原朔太郎の詩を読む(4)小林稔

 

静物    萩原朔太郎

 

静物のこころは怒り

そのうはべは哀しむ

この器物の白き瞳にうつる

窓ぎはのみどりはつめたし。

          「静物」

 

再会    萩原朔太郎

 

皿にはをどる肉さかな

春夏すぎて

きみが手に銀のふほをくはおもからむ。

ああ秋ふかみ

なめいしにこほろぎ鳴き

ええてるは玻璃をやぶれど

再会のくちづけかたく凍りて

ふんすゐはみ空のすみにかすかなり。

みよあめつちにみづがねながれ

しめやかに皿はすべりて

み手にやさしく腕輪はづされしが

真珠ちりこぼれ

ともしび風にぬれて

このにほふ舗石(しきいし)はしろがねのうれひにめざめむ

                   「再会」

 

朔太郎の初期詩篇「愛憐詩篇」は、北原白秋や室生犀星の影響を受けながらも、彼らの「抒情的表白」における文語体から少しずつ変貌をとげ、より簡素になり始めるのであった。抒情的肯定からそこで満たされない現実への剥離が反抗へと駆り立てられる心情の兆しが見えてくる。直接心情を語るのではなく物に語らせる、後のイマジスチック・ヴィジョンに向かう事態が生まれているのである。

             「


萩原朔太郎を読む(3)小林稔

2016年12月17日 | 萩原朔太郎研究

萩原朔太郎を読む(3)小林稔

こころ

    萩原朔太郎

 

こころをばなににたとえん

こころはあぢさゐの花

ももいろに咲く日はあれど

うすむらさきの思い出ばかりはせんなくて。

 

こころはまた夕闇の園生のふきあげ

音なき音のあゆむひびきに

こころはひとつによりて悲しめども

かなしめどもあるかひなしや

ああこのこころをばなににたとへん。

 

こころは二人の旅びと

されど道づれのたえて物言ふことなければ

わがこころはいつもかくさびしきなり。

              「こころ」

 

こころは「あぢさゐの花」のように色を変えてゆく。ももいろに咲く日はこころは晴れるが、うすむらさきいろに咲く日は過ぎ去り日を思い起こしせつない気分に包まれ憂鬱に沈んでしまう。

このわたしのこころは、たとえれば旅人の二人といえよう。もうひとりのわたしはいつも無言でわたしの影のようについて回る。したがってわたしはいつも孤独とともに日々を過ぎていくのである。

朔太郎は自分の性格を次のように分析する時があった。「厭人的情操や病鬱的精神は学校という小社会的環境によって育まれた人物」がいる。性格そのものが社会的環境と調和できなかったのである。学校は貴族組(優等組)と平民組(劣等組)に二分されていたが、内気な朔太郎はどちらにも属さず理由なく迫害されたという。学校というところは苦しめる牢獄のように思えた。成人になり文学世界に入ると、彼の作る抒情詩は思想的には憂鬱で、言語感覚や気分では明るく健康的であったという。高踏的でありかつ野蛮と自己分析をする。「社会における地位は学校時代と少しも変わらず。永遠の敵と孤独のなかに生かしめよ!」と、一九二五年「非論理的性格の悲哀」というエセーで記している。