休日はデジカメ持ってぶらぶらと📷

アメフト観戦記や読書日記を綴っていましたが、最近は古墳(コフ)ニストとして覚醒中!横穴式石室をもつ古墳にハマっています。

京都~大阪間、ママチャリの旅 ④

2023-04-05 23:32:50 | その他
 いよいよ大阪というところで、国道171号線が歩道がないということで、ちょっとだけ迂回ルートを取ることにした。阪急京都線の大山崎駅を越えたあたりで、離宮八幡宮という神社の前を通る。
 
 
 
 あれ、ちょっと聞いたことがあるなあと思って立ち寄ってみる。製油発祥の地という石碑を見て、なるほど離宮八幡宮は、大山崎油座という油売りの専売特許を持っていたのかあ。あっ、そういえば、司馬遼太郎の国盗り物語に、離宮八幡宮で油を売る若き斉藤道三の話が出てくるぞ。そうか、ここだったのかあという感じ。
 
 
 
 ちなみに離宮八幡宮とは、かつて平安時代の初期、嵯峨天皇の河陽離宮がこの地に営まれたことからつけられたもので、正式には石清水八幡宮というようだ。荏胡麻の販売権を独占していたことから中世はかなり栄えたようだが、江戸時代に入ると荏胡麻油から菜種油へ主流が移り変わり、次第に衰退していった。近代に入ると、東海道本線の建設などで社域がかなり削られてしまったそうだ。
 離宮八幡宮に立ち寄ったのち、再び国道171号線に戻る。すぐ横を東海道新幹線が走っている。向こうは時速250km、こっちは、20kmも出ていない。新幹線だとあっという間につく距離だけど、こうやってのんびり寄り道しながら行くのも悪くないか。のんびり行こうよ~ってCMもあったよな。狭い日本そんなに急いでどこへ行くというコピーもあったなあ。近頃の我々の生活、余裕がなさすぎだよね。
 いよいよ島本町。大阪だあ!ママチャリは絶好調!
 
 
 
 島本町でも、時間に余裕があったので、こういう機会でないと立ち寄らないと思われる水無瀬神宮に寄り道。鎌倉時代、承久の乱に敗れた後鳥羽上皇が隠岐の島に流される前に立ち寄ったところと言われる所である。もともとは、後鳥羽上皇の水無瀬離宮がこの地にあり、上皇の死後、この地に御影堂を建設し、その後、戦国時代に後土御門天皇が、後鳥羽上皇の霊をこの地の祀り、水無瀬宮と名付けた。神仏習合の一種ではある。
 水無瀬神宮となったのは、明治になってからで、神仏分離令により、水無瀬宮として神社となった。そして昭和14年に神宮号を賜り、水無瀬神宮と称することとなった。
 
 
 
 水無瀬神宮については、思ったより、小さい神社だった。水無瀬神宮という名称から言うと広大な敷地を持つ神社を想像したのだが、普通の神社よりも少し大きいぐらいかな。境内にある桜の木が花を咲かせていた。
 
 
 
 そして、神門の柱には、石川五右衛門のものと伝わる手形がある。金網越しに見ると手の形のようなものが見えるけど・・・。
 
 
 
 ここの水は、名水百選に選ばれており遠くから水を汲みに来られていた。
 
 
 
 そして高槻市、ここで国道171号線を離れて、南下一旦淀川の堤沿いを走るのだが、道路工事が多く、う回路を通っているうちに、あてにしていたGoogleマップのルート機能がおかしくなり、立ち入り禁止の農道やら産廃処分場やら変な道ばかり案内するようになったので、いったんgoogleマップを切り捨てて、新たに気持ちをリセットして東海道新幹線の高架下を走るようにした。おかげで少し時間をロスしてしまった。
 
 
 
 この後、芥川を越えて、次は茨木市へ、だんだん目標の大阪市の淡路に近づいてきた。頑張るぞ~!
 
 

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