休日はデジカメ持ってぶらぶらと📷

アメフト観戦記や読書日記を綴っていましたが、最近は古墳(コフ)ニストとして覚醒中!横穴式石室をもつ古墳にハマっています。

岸和田の古墳を歩く③ ~風吹山古墳~

2022-01-08 23:59:30 | 史跡を歩く

 久米田公園内には、貝吹山古墳や無名塚古墳のほかに、もう1基、公園の西側に存在している。

 

 風吹山古墳と呼ばれる古墳がそれで、墳長71mの帆立貝型の古墳である。これまでの発掘調査の結果、当初築造されたときは造出し付きの円墳であったものが、前方部を作り足したと考えられている。また、今は埋まっていてないが、馬蹄型の周濠が周りを巡っていた。

 古墳を造っている途中で、家格が上がって、急遽作り直したのだろうか?

 この古墳も、墳丘の上に登ることができる。そして、後円部には、2つの埋葬施設があったとされる。

 

 古墳の埋葬施設は、第1主体部と第2主体部に分けられ、第1主体部については、粘土槨で、すでに盗掘を受けていたが、衝角付冑や短甲、刀剣などが出土しており、埋葬されたのは男性であると考えられている。

 また、第2主体部については、竪穴土坑で、こちらは未盗掘であったらしく、画文帯回向式神獣鏡や刀剣、刀子、管玉やガラス玉、ガラスの小玉など多くの副葬品が見つかっている。この埋葬施設には、女性2名が埋葬されていたらしい。確かに副葬品も女性らしい気がする。

 

 この古墳も4世紀の末に築造されている。ただし、この公園内の古墳では、一番最後に作られたものであるらしい。

 風吹山古墳の墳丘は、2段築造であると考えられており、テラスにぐるっと円筒埴輪など巡らせていたようである。前方部のテラスでは、円筒埴輪の列のほかに5か所ほど、柱穴が見つかっている。

 木製の埴輪か威儀具をこの柱穴に立てていたらしい。

 

 この風吹山古墳の墳長に登ると、眺望が効くね。あべののハルカスが見えたような気がした。久米田公園内にある3基の古墳はいずれも墳丘に上がることができる。公園に集う市民の方も多く、憩いの場になっているのであろう。その中で無名塚古墳と風吹山古墳については、築造時の姿に復原されている。僕の中でギリギリ許容範囲ですね。貝吹山古墳が復原されていないのは、中世に城郭として再利用されているためだろうか。

 古墳の南側、道路を挟んだ向かいの久米田中学校の校庭に女郎塚古墳と呼ばれる5世紀前半に築造された直径28mの円墳が見える。

 墳丘からチャレンジしてみたが、あんまりうまく撮れなかった。

 

 残念。時節柄、学校の校庭に直接、カメラを向けてたらどうみられるかわからないからね。

 

 女郎塚という名称は、一休禅師に仕えた女郎地獄大夫の墓と伝えられることから、こういう名になったらしい。地獄大夫というのは、室町時代にいたと伝えられる伝説の遊女で、堺を遊行していた一休と出会い、「門松は冥土の旅の一里塚めでたくもありめでたくもなし」との歌を贈り,一休を感動させたという話が伝わっている。

 ここいらの古墳は、いろんな人物や伝承とつながっていて面白い。

 これからの古墳を見学したのち、もとに引き返し、久米田寺に、向かうことにしよう。


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