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アメフト観戦記や読書日記を綴っていましたが、最近は古墳(コフ)ニストとして覚醒中!横穴式石室をもつ古墳にハマっています。

東山の天皇陵をあるく⑤ ~月輪陵・後月輪陵・泉涌寺~

2020-04-29 07:04:04 | 史跡を歩く

 孝明天皇陵からの帰り道、途中に泉涌寺の入り口があった。泉涌寺については、御寺と言われ菩提所として、近代まで皇室の崇拝を受けていた由緒ある寺院である。

 ただ、その創建はあまり確かではなく、鎌倉時代の僧、俊芿によって再興された。その俊芿の時に、後堀河天皇や四条天皇とのつながりが出来、その関係で皇室との結びつきができたもののようである。

 詰め所で拝観料を支払い、境内に入る。目の前に大きな二つの建物が目に入るが、これが、舎利殿と仏堂である。

 

 二つの建物が並んでいる姿は、一見、禅宗の寺院の様にも見える。これは、泉涌寺を再興した俊芿が、若い時に中国の宋に渡って、13年間の間、天台と律を学んでおり、その影響で中国風(=禅宗風)の伽藍になっていると考えられる。

 この舎利殿の奥に、御座所、霊明殿が建っている。

 

その霊明殿の左横の道路を登っていくと月輪陵、後月輪陵がある。

 

 月輪陵、後月輪陵には、鎌倉時代の四条天皇の他、江戸時代の後水尾天皇、後光明天皇など、25の御陵と9墓がある。

 

 拝所にある制札には、ずらっと天皇や皇后の名前が見える。

 

 拝所からは、陵墓の様子がわからない。どうしたものかと思っていたら、なんとGoogleマップの航空写真で見ると、中の様子がハッキリと写っている。便利な世の中になったもんだ。

 ずらっと並ぶ、歴代の天皇たちの9重石塔。どれがどの天皇のものなのかわからないが圧巻ではある。

 

 実は、後でわかったことなのだが、月輪陵の拝所の横の泉涌寺の開山堂へ向かう通路は、柵はされているものの、入っていいらしく、そこからだと同様の光景を目にすることができるらしい。

 

 しかし、鎌倉時代の四条天皇と江戸時代の天皇陵が同じ九重石塔であるというのも変な感じである。ちなみに四条天皇の後の室町、戦国時代の天皇は、泉涌寺で荼毘にふされたのち、深草の法華堂に埋葬されるのが通例となっていたが、江戸時代の前期、後光明天皇が没した後、この地で土葬されるようになった。正式な陵名としては、四条天皇から後桃園天皇までが、月輪陵で、光格天皇、仁孝天皇が後月輪陵とされている。

 

 月輪陵のことはこの辺りにして、御寺泉涌寺を拝観をする。舎利殿、仏殿の南に泉涌寺の寺名のもととなった井戸を覆う泉涌井屋形があり、その横には、清少納言の歌碑がある。歌碑には、百人一首に採録されている清少納言の和歌「夜をこめて 鳥のそら音は はかるとも よに逢坂の 関はゆるさじ」が刻まれている。ただ、かなり摩滅しているのか字がかなり読みにくい。

 

 この歌碑が立てられた理由については、もともと清少納言の父、清原元輔の別荘がこの地にあり、清少納言が仕えた定子の亡き後この地に隠棲したという伝承をもとに建てられたものである。一条天皇皇后藤原定子の墓所、鳥戸野陵は、ここからはそう遠くないところにある。(「東山の天皇陵をあるく② ~中尾陵・鳥戸野陵~」参照)

 歌碑の前には、舎利殿と仏殿が並んでいる。この様子などは、非常に禅宗の寺院のような雰囲気である。

 

 このうち仏殿は、中を拝観できる。本尊は過去、現在、未来を表す釈迦、阿弥陀、弥勒の三尊像である。中は土間になっており、禅宗寺院によくある形である。

 また、仏殿は、寛文年間、徳川家綱の寄進により再建をされたもので、国の重要文化財になっている。

 泉涌寺の境内では、この仏殿と舎利殿のある所が谷のようになっていて低くなっている。大門から入ると、視線の随分下の方に仏殿の建物があった。案外見慣れない光景のような気がする。

 

 この後、大門のすぐそばにある楊貴妃観音堂へ。

 

 楊貴妃観音とは、唐の時代、玄宗皇帝の寵愛を受けるも、安禄山の乱の原因となって、後に殺害された楊貴妃の姿を模したと伝わる観音菩薩立像がある。世界三大美女の一人とされる楊貴妃のお姿を写したにしては、ふっくらとしており、頭の中で想像していたものと少し違う。考えれば、楊貴妃が生きた時代の美女って、当然、判断基準が今と違う。そういった意味では違って当然といったところか。

 また、楊貴妃の姿を模したものと言われるが、古い記録には残っていないようだ。どうやら中興の祖俊芿の弟子、湛海がが中国から請来した仏像が、この楊貴妃観音像と言われる仏像であり、中国請来という話と楊貴妃が繋がったのであろう。

 

 泉涌寺大門、ここからみるとずいぶん視界の下の方に仏殿の建物が見える。結構壮観ではある。

 この後、泉涌寺の門前を通る京都一周トレイルにルートを戻して、仲恭天皇陵などを探すことにしようと思う。


コメント (2)    この記事についてブログを書く
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2 コメント

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修正しました (RYO)
2020-04-29 07:47:33
すみません。早速修正します。

京都大学ギャングスターズ、僕も好きです。
何といっても、95年の立命VS京大戦の死闘を見て、アメリカンフットボールファンになりました。
返信する
カテゴリーが (仙丈)
2020-04-29 07:33:32
突然のコメント失礼します。

カテゴリーがアメリカンフットボールになっていますよ。

ぼくもアメフトは好きなんですけど、実は京大ファンなんです・・・
返信する

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