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アメフト観戦記や読書日記を綴っていましたが、最近は古墳(コフ)ニストとして覚醒中!横穴式石室をもつ古墳にハマっています。

高安山西麓の古墳群をあるく① ~愛宕塚古墳~

2023-10-18 06:09:48 | 古墳紀行

 大阪府の八尾市の東部、高安山の西麓には、高安千塚古墳群と呼ばれる日本でも有数の群集墳があるが、それとは別に、高安千塚古墳群よりも少し離れた、さらに北に上がったところに、愛宕塚古墳と呼ばれる独立墳がある。大阪府内でも有数の大きさの横穴式石室を持つことで知られている。

 

 愛宕山古墳へは、近鉄服部川駅を下車し、北へ、八尾市歴史民俗資料館の方をめざして歩いていくことになる。

 てくてくと山麓の景色を眺めながら、八尾市歴史民俗博物館の前を通り過ぎ、今度はしおんじやま古墳学習館をめざす。学習館の手前の高齢者住宅のある四つ角を東へ行く、途中二手に分かれる所があり、そこは右手の細い方の道を登っていく。途中で舗装した道がなくなり、地道のような道になるが、傍らに歴史の道の標識があり、それに従って歩いていくといい。

 途中で左手に曲がると、目の前に愛宕山古墳の横穴式石室がフェンスの向こうで大きな口を開けている。

 

 昔は、こんなフェンスなかったのだが、数年前の台風の後、安全対策でできたようだ。これは、入室できないのかと思いきや、鍵がかかっていないので、簡単に入れる。

 

 さて、フェンスの戸を開け、いよいよ横穴式石室の中に入るのだが、羨道部の巨大な天井石に圧倒される。ライトを片手に潜入、羨道部は長さ8.7m、幅2.1m、高さ2.1mもあり、暗い石室の中を入っていく、横穴式石室潜入の醍醐味を十分味わえる。しかもほぼ少し体をかがめるだけで入れるのがありがたい。

 

 基本、二段組みで造られた羨道を抜けると、そこは黄泉の国、玄室である。

 玄室の巨大さは、感動もの。河内地方では、おそらく最大であろう。

 

 奥壁は、二段になっており、上の石に大きな亀裂が入っている。完全ではないが、目地を通そうとしている感じである。左側は通っているが、右側がうまくいっていない感じ。

 床にも、石が残っていて、歩きにくくはあるが、素晴らしい。

 

 みあげ石も立派!両袖式である。

 

 天井石は、3石積み上げている。

 

 側壁が持ち送りになっているため、思ったよりも石が小さいような気がする。玄室の大きさは、長さ7m、幅3.1m、高さ4.2mとなっている。

 

 しかし、堂々とした石室の威容には圧倒される。

 愛宕塚古墳からは、須恵器や土師器などの土器類、馬具、太刀などの武具、ガラス玉など多数の副葬品が見つかっている。

 特に土器類は6世紀前半、6世紀中葉、6世紀後半、6世紀末~7世紀初頭と4つのグループに分けられ、追葬等の可能性も考えられるが、石室の形式が、6世紀末~7世紀初頭と考えられることから、被葬者は、一旦別の所で埋葬されたのちに、7世紀の初めごろになって改葬されたとも考えられそうである。

 この古墳は、天理市の杣之内にある塚穴山古墳と共通点が多くあると言われており、この辺りは物部氏の影響が強い所と考えられていることから、この古墳の被葬者を物部氏の中の有力な一族と考えられそうで、丁未の乱で物部氏の中心勢力が滅んだのが、587年なので、この時期に亡くなった被葬者は、物部氏の復権とともに、墓を作ることを認められ、かねてから勢力を持っていたこの地に改葬されたと考えるのはいかがであろうか。

 

 石室の奥から外を見ると、黄泉の国から現世を見ているような不思議な気持ちに陥る。

 

 一瞬、家形石棺の一部かとも思ったが違うらしい。

 

 墳丘の上にも登ることができる。八尾市内や大阪市内が良く見える。ちなみに古墳の形は22.5mの円墳、墳丘の外には周濠が巡っている可能性も示唆されている。

 愛宕塚古墳は、大阪府の史跡に指定されている。

 


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