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アメフト観戦記や読書日記を綴っていましたが、最近は古墳(コフ)ニストとして覚醒中!横穴式石室をもつ古墳にハマっています。

百舌鳥古墳群を歩く ⑦ ~旗塚古墳とグワショウ坊古墳~

2017-01-15 00:52:57 | 史跡を歩く
 七観音古墳から少し公園内を東へ行くと、周囲を石垣で囲まれた古墳が出てくる。これが旗塚古墳と呼ばれる古墳で、前方部が少し短い帆立貝型の古墳である。墳丘の周囲を石垣で囲んで整備されているので、大体の形はわかるのだが、実際は、本来の形よりも一回り小さい形で整備されているとのこと。平成20年度に行われた調査では、墳丘長57.9m、後円部径41.5m、前方部幅24.7mの規模であり、周囲には、周濠がめぐらされている。

 

 最近になって、史跡旗塚古墳という石標が建てられたが、それまでは古墳を示す案内板等はなかった。七観古墳のところでも述べたが、公園の整備が、史跡公園として行われていなかったからであろうし、大仙公園が作られた当時は、古墳を整備、復元という概念もなかったんだろうと思う。

 

 旗塚古墳について、もう少し記述をすると、後円部は2段築造となっており、後円部の南側には作り出しがあった。作り出し部からは、円筒埴輪のほかに、朝顔形、衣蓋形埴輪や珍しいところでは石見盾型埴輪と呼ばれる埴輪が出土している。石見型埴輪については、近年は盾形とするよりも権威を象徴する「玉杖」との関連が指摘されており、5世紀の中期から後期にかけて西日本に築造された古墳から見つかっている。旗塚古墳については、石見型埴輪でも古い時期に制作されたものと考えられており、石見型埴輪やその他の埴輪から、5世紀の中ごろに築造されたと考えられている。

 

 古墳の周囲には周濠もあるのだが、水はなく、近づいていくことも可能なのだが、墳丘には立ち入ることはできなそうというか全く整備はなされていない感じである。

 

 なんとなく雑然とした感じが否めない古墳である。調べるともともとは大仙公園の都市緑化植物園として位置づけられていたため、森林推移実験樹木観察が行われていたため、墳丘上にヒノキやエノキ等が密生しているのだという。せっかく平成26年に史跡指定を受けたのだからきちんと古墳として整備してほしいものである。

 旗塚古墳の東に、隣接した形でグワショウ坊古墳がある。

 

 グワジョウ坊古墳については、周囲に周濠を持つ直径61mもある円墳である。百舌鳥古墳群では、大仙古墳の陪冢と考えられる大安寺山古墳(62m)に次ぐ規模の古墳である。

 

 2段築造にて作られており、葺石や円筒埴輪などが確認されている。埋葬施設等は確認がされていないが、円筒埴輪などから5世紀の後半の築造と考えられている。墳丘には「天地返し」とも呼ばれる鱗状層序による盛土を採用しているらしい。

 
 
 この古墳も、古墳についての案内板等はなく、むしろ植物の生態を説明する「古墳林のすがた」といった看板だけがある。そのためかせっかくの大仙公園の中にあるのに雑然としたイメージは否めない。ただ、大仙公園外の古墳の惨状を見ると、はるかにましな状態であると言えそうではある。世界遺産を構成する古墳の一部となるのだから、きっちりと保存をしていくことはもちろんのこと見せるということも考えないといけないのではないのかなと思う。ただ、旗塚古墳と同様に公園内にある分、「幸せな古墳」である。

 

 考えるともともと大仙公園の敷地は大阪府立大学の農学部の農地として使われていた様子なので、その名残なのかもしれない。

 ※ちなみにグワジョウ坊古墳については、夏ごろに行った時の写真も数枚混じっている。

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