
こうぜ1号墳の東石室を見学した後、今度は西石室へ向かう。
これも、竹藪の中の道なき道を進んでいくのだが、なんとなく道がカーブしているような気がする。ここもアスレチックばりに斃れた樹をまたぎ、樹の幹や枝をつかみながら進んでいくことになる。そうして、10分もかからないうちに西石室の前に出た。
周りは、草ぼうぼうだから、これも見逃しそうなところではある。正直、ひと一人通れるか通れないかというぐらいの開口部の状態。
ほふく前進のように体を滑り込ませると、羨道部を抜けて、玄室に辿りついた。
玄室の中は、思ったよりも広い。立ち上がっても天井に頭が付くことはない。
奥壁は3段かな。一番下の石は、流入した土砂に埋まっていた。先に見た東石室よりも使われている石が大きく、若干、石を加工しているような気もする。
東石室と比較すると、使われている石の大きさ、積み方などから、こちらの石室が、こうぜ1号墳の主石室ということになるのかな。この横穴式石室は、こうぞ1号墳の後円部に造られており、たぶんここが一番重要な人が埋葬されている施設であろう。東石室は、西石室に埋葬された人物の近親者と思われる人が埋葬されたのだろうか?
下から天井にかけては、持ち送りになっていた。ちなみに、西石室は、後円部の中心から南向きに造られている。
こうぞ1号墳は6世紀の後半から末に築造されたと考えられている。そして、東石室と西石室とを比較した時に、石の大きさや積み方などから東石室の方が古い様式を残している。ただ、築造する時に、最初にメインではない東石室を造るのかなあ。メインを造ってから、もう一つの方を築造するのが普通なんじゃないのかな。わざわざ、新しい石室を古い様式で造るのかなあ。
この辺の様式の違い等は謎である。
ここでも冬眠しているコウモリの姿を発見。突然の闖入者に驚いていることだろう。
西石室も、ほふく前進のようにして、石室内から出た。その後は、元来た道を引き返すのだが、かなりの傾斜もあるので、降りるときに、樹の枝や幹に体を預けるようにして降りていかないといけない。
樹や竹の幹や枝をつかんで、なんとか下に降り、そして竹藪から下界に出た。外に出てみると、何となく不思議な達成感を感じることができる古墳であった。
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