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アメフト観戦記や読書日記を綴っていましたが、最近は古墳(コフ)ニストとして覚醒中!横穴式石室をもつ古墳にハマっています。

宇陀地方の古墳巡検① ~丹切34号墳~

2023-11-16 23:31:08 | 古墳紀行

 今回、初めて宇陀地方の古墳を巡検することになった。奈良県の古墳も桜井市や天理市をはじめとして、葛城市、御所市などの古墳を巡って来たのだが、奈良の奥地というか桜井市より東に行くことが滅多になく、たまたま宇陀高校榛原分校内にある丹切34号墳を見学させてもらえるという機会があり、ついでに宇陀市内にある古墳をいくつか廻ってみることにした。ちなみに学校の中にある古墳を見学するのは、天理高校内にある塚穴山古墳に次いで2回目である。(ブログ書いてないですね。(笑))

 

 近鉄の榛原駅から宇陀高校榛原分校までは、歩いて10分程度だが、結構な上り坂を登っていくことになる。校門について、インターホンで来意を告げると、事務室へ直接来てほしいとのことなので、校門を堂々とくぐり、事務室へ向かう。

 県立宇陀高校榛原分校は、もともと県立榛原高校と室生高校が統合され、榛生昇陽高校となり、さらに2022年大宇陀高校と統合され、宇陀高校榛原分校となったようだ。自転車競技部が強いようである。

 

 事務室に行くと、事務員の方から入校許可証と古墳についての資料をいただき、校内を通って丹切34号墳まで案内していただいた。

 

 丹切34号墳まで案内してもらうと後は、自由に鍵を開けて入室してOKとのこと。

 いよいよ丹切34号墳に突入である。

 

 丹切古墳群は、県立榛原高校の移転に伴い、昭和43年に数次に渡って発掘調査を行われている。その結果、5世紀の後半から7世紀前半までの間に築造された宇陀地方最大の群集墳であることがわかった。

 ただ、学校の敷地にある古墳については、34号墳を覗いてほとんどの古墳が消滅してしまっている。

 

 丹切34号墳は、両袖式の横穴式石室を持っており、中には組合せ式の箱型石棺が残っている。

 石室は草に覆われてわかりにくいが、両側に小さな袖部が確認できる。

 

 組合せ式の箱型石棺については、長さ1.85m、幅0.65mを測るが、実際見てみるとかなり小さく感じる。雑草等に覆われているからかもしれない。

 

 石棺の位置が中心から少し右に寄っているが、空いている左側の部分では鉄くぎが十数本見つかっており、おそらく石棺とは別に、木棺が一つ置かれていたのであろうと考えられている。

 

 玄室は、長さ4.66m、幅1.55m、高さ2.2mとなっており、表面を平らに加工したような石を使っている。奥壁の方は比較的細長い石材を使っており、宇陀地方で見られる磚積石室を意識しているような気もする。

 築造されたのは7世紀の初めと考えられている。

 

 丹切34号墳については、一見独立した円墳のように見えるが、どうも違うらしく、古墳の右側にある山の尾根と本来は一続きになっており、石室は、横穴のように尾根に穴を掘って石室を築いたものであるとのことである。本来は墳丘もなかったのだという。

 ただ、後に高校の用地を整備するにあたり、古墳と続いている尾根を切断し、土を取り除いたため、結果的に円墳のような形で保存することになったようである。

 

 そういう視点で見ると、フェンスの向こうにある山の尾根と続いていたように見えるから不思議なものである。

 石室もよく観察すると上に行くほど狭くなるドーム状の形になっている。

 

 宇陀高校榛原分校には、この古墳を入れて周辺に3基古墳が保存されていると遺跡地図等ではなっており、一つはこの後にいく33号墳だと思うが、もう一つが確認できなかった。地図では36号墳と記載されている。

 ちょうどフェンスを出て、33号墳に向かう道の階段になっているところが外護列石みたいな石が露出しており、古墳っぽく見えるので、もしかしたらこれかもしれない。

 

 この後は、学校のフェンスの扉をあけて、33号墳に向かった。

 


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