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アメフト観戦記や読書日記を綴っていましたが、最近は古墳(コフ)ニストとして覚醒中!横穴式石室をもつ古墳にハマっています。

畝傍山周辺の御陵② ~綏靖天皇桃花鳥田丘上(つきたおかのうえ)陵~

2017-12-02 16:17:04 | 史跡を歩く
 神武天皇陵を出て、同じ国道を北へ少し行くと、2代天皇と言われる綏靖天皇陵がひっそりとある。神武天皇の物々しさと打って変わった静かな雰囲気である。
 
 

 拝所へ行く参道では、親子で楽しそうにドングリを拾っていた。なんでかね、子どもってドングリ好きだよなあと思う。
 2代天皇、綏靖天皇って、ほとんどの人は知らないだろうと思う。古事記や日本書紀にもほとんど事績が載っていない欠史八代と呼ばれる天皇の一人であり、以降、9代天皇開化天皇まで、実在を否定されている天皇である。昔、葛城王朝という仮説を唱えた人もいましたね。

 

 現在、綏靖天皇陵として、治定されている場所については、神武天皇の箇所でも書いたが、神武天皇陵の候補地の一つであった塚山と呼ばれていた古墳であった。綏靖天皇陵としては、畝傍山の西側にあるスイセン塚古墳が綏靖天皇陵とされていた。
 それが、神武田の「ミサンザイ」が神武天皇陵となり、塚山が綏靖天皇陵と治定されるに至っている。なお、塚山については、純然たる古墳であるらしいが、詳細はわからない。ただ、この辺りは、四条古墳群と呼ばれる古墳時代中期後半から後期前半にかけて造成された古墳群があり、塚山についても、四条古墳群を構成する古墳の一つと考えられそうである。
 
 

 ちなみに四条古墳群については、藤原京を作るときに、周濠を埋め、墳丘は削平されているらしく、この塚山だけがなぜ残ったかというのはいろいろと想いをめぐらせるところがある。
 例えば、日本書紀の壬申の乱の記述で、大海人皇子についていた高市県主許梅という人物が、神がかりの状態になり、「神日本磐余彦天皇の陵に馬と種々の兵具を奉れ」との言葉を告げ、その通りに皇子側がしたとの記述がある。もしかしたら、その時に神日本磐余彦天皇=神武天皇の陵と」して、認識されていたのが、この塚山であったのかもしれない。そう思うと、この古墳だけ削平されなかったという説明をつきそうではある。

 

 ちょうど、綏靖天皇陵を訪れた時、南側の道路では、藤原京の発掘調査が行われていた。
 
 

 藤原京五条六坊・七坊の発掘調査ということで、何か出てきたのかなあ。あれから新聞発表とかないところを見ると余りめぼしい成果はなかったのかもしれない。

 

 調査区も小さそうだし、しかたないか。

 ここまできたので、せっかくの機会ではあるので畝傍山の西側にあるスイセン塚古墳も訪ねてみることにした。なんと綏靖天皇陵をだたあたりから、午前中あれほど天気が良かったのが、にわかに掻き曇り、小雨が降るようになってきた。この機会に行っておかないと、こののち行く機会もあんまりないだろうと思い、雨の中を突き進むことにした。

 綏靖天皇陵からは、だだっ広い平野を歩く、途中、曽我川に出ると、川沿いに植えられた木々が見事に紅葉していたので、一枚撮ったのがこの写真。

 

 そこから、しばらくして畝傍山の西北側の集落を歩くと、ため池の横に曹洞宗慈明寺と書かれた石碑があり、そこから奥へ入っていくことになる。

 

 この辺りは、もともと奈良県の何か施設があったような様相を感じつつ、しばらく歩くと左手に古墳らしき森が見える。

 

 ただ、残念なことに立ち入り禁止という札がかかっており近づいての観察ができない。そう少し上がったところの墓地の入り口にスイセン塚古墳の説明があった。

 

 文字が少し消えかかっている。スイセン塚古墳については、全長55mの前方後円墳であり、前方部が狭長で、後円部が上面平坦で高い前期古墳の特徴を示しているといわれる。ただし、調査など行われていないため詳細はわからないようだ。
 ただ、残念ながら、外側からの観察ではよく墳丘の形状は塚がある程度しかわからなかった。

 

 せっかくの機会、何とかわからないかと墓地の中に入ってみたが、無理だった。

 

 かつて、綏靖天皇陵とされたことで何か言い伝えらしきものはあるのかといえば、橿原市教育委員会の説明では特に言い伝えなどなく、語呂合わせに近いものらしい。

 

 このあたりは、畝傍山の東側と違い旧村の面影を残した静かな環境を維持しているところである。

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