あおしろみどりくろ

楽園ニュージーランドで見た空の青、雪の白、森の緑、闇の黒の話である。

マニアではないけれど

2015-07-18 | 日記


鉄道が好きである。
若い頃に世界を旅していた時も、バスと列車の選択があれば鉄道の旅を選んだ。
荒野の中に真っ直ぐに伸びている二本のレールを見ると哀愁を感じる。
山すそを二本のレールが美しい弧を描いている所なぞ、それだけでいいなあなどと思ってしまう。
理想は単線、それも電柱がなく電化されていないもので、当然電車ではなく機関車に牽引された列車。
できることなら蒸気機関車が望ましい。
それを追い求めたらオタクになっちゃうんだろうな。
オタクになるほどではないが、鉄道にロマンを感じてしまうのだ。





今回の日本の旅ではJRパスを使い3週間の間、列車に乗りまくった。
東海道新幹線、長野北陸新幹線、東北新幹線、山陽新幹線といった日本を代表する新幹線から、L特急やワイドビューという特急、急行、快速、鈍行、そしてローカル線まで、これでもかというぐらいに乗った。
JRパスの大きな利点は普通車だが指定席に乗れる。
大体、指定席という物はそれだけで値段が高くなるものであり普通は乗らない。
ぼくも全席指定の時は別にして、わざわざお金を払って指定席に乗ったことがない。
世間一般の感覚でもそうなのだろう。
今回は数え切れないぐらい列車に乗ったが、隣に誰かが座ったのは一回だけだった。
列車に乗る前に緑の窓口でJRパスを見せて乗りたい列車を伝えればその場で指定席の券を出してくれる。
窓口が混んでいる時とか、乗り換えの時間が無い時などは、直接指定席の車両に行き車掌にJRパスを見せて目的地を告げると、それならどこの席なら空いていると教えてくれる。
外国人と海外に住んでいる日本人だけがこのパスを買えるのだが、ニュージーランドに住んでいてよかったなあ、などと違う意味で思ったりもした。





さてそのJRパスで電車、汽車に乗りまくったわけだが、結果から言うと新幹線は移動の手段であり旅情のかけらなぞありゃしない。
確かに速い。景色は飛ぶように過ぎ去り東京から青森だって3時間で着いてしまうし、新潟の上越は2時間、金沢だって3時間だ。
車内は快適で足元にはコンセントがありいつでも充電できるし、驚いた事にトイレはウォッシュレットだ。
だがトンネルに次ぐトンネルで、開けたと思っても線路の両側は防音壁で覆われて景色もよく見えない。
当然ながら新幹線には踏み切りもない。
踏み切りというものは線路と道路という異種の交通が交差する場所であり、安全の点を考えれば仕方がない。
踏切が無ければ踏切事故は起きないのだ。
ほとんどの場所は高架で両側は壁、景色は遠くに見えるが近くの物は見えない。
まるで隔離されたチューブの中を高速で移動しているようだ。
速いことは速いが何とも味気ない。







その点在来線は線路のすぐ脇が民家だったりして、生活が感じられる。
家庭菜園なんかを見ると何を育てているのか分かるし、きっちりと庭の手入れなぞしている家は見ていて気持ちが良い。
畑の中を走る時は踏み切りで農家のおじさんとおばさんが乗った軽トラが見える。
ラッシュアワーの踏み切りでは車の列も見えるし、ママチャリのおばさんが「今晩のおかずは何にしようか」などと考えながら列車の通過を待つ様子も見える。
生活臭プンプンである。





岡山から出雲へ行く特急やくもに乗ったのだが、この路線が中々よかった。
瀬戸内海に面した平野部から、山あいを縫って走る列車に揺られ谷を詰めて行く。
農村では田植えをしているおじさんおばさん。
谷間のてっぺんにはトンネルがあり分水嶺を越え、谷間を下り日本海側の平野部に出る。
途中の車内アナウンスでは大仙が見えると教えてもらい、「おお、あれが大仙か。そういえばニュージーランドの友達は大仙で滑ったって言ってたな」などと考えるうちに精進湖が見えてくる。
3時間の行程だが、旅というものを感じられる時間だった。





ローカル線というのも又よろしい。
糸魚川から白馬までの大糸線に乗った。
これまた風光明媚な路線で二両編成のディーゼルカーが谷間を走る。
なんと行っても音が良い。
カタンカタンというレールの響きは新幹線では味わえない良さだ。
友達のカズヤが白馬に住んでいるのだが、家の裏をこの列車が走っていて、雰囲気は『千と千尋の神隠し』に出てくる列車、まさにあれ。
鉄道のある風景っていいな。





JRではないが近江鉄道というローカル線にも乗った。
日野という街にひょんなことから行ったのだが、そこの鉄道がいかにもという日本の田舎の路線で、まさに僕の旅心をくすぐるひと時だった。
改札も自動改札でなく駅員が集める、切符もハサミでパチンと切り込みを入れるヤツだ。
そこに住んでいる人には何の変哲もないものだろうが、旅人の心を満たすようなローカル線の旅。
日本ってやっぱりいいな。





都市圏でももちろん電車に乗った。
大きな荷物を持っている僕はなるべく空いている前の方へ乗る。
一番前に乗って列車の運行や景色を眺めていると、やっぱり大都会というものはこれはこれですごいなあと感心してしまう。
自分の乗った電車が走っている線路の両側に向こうから同じタイミングで電車が来てはさまれたりすると、まるで現実ではなくゲームの世界のようだ。
娘がやっているゲームでこんなのがあったなあ。
線路の保線の仕事をしているおじさん達も運転席からだとよく見える。
おじさん、ありがとう、みなさんのおかげでこうやって電車が動いています。
自分のすぐ横の線路が離れて行ったかと思うとそこから弧を描いて上へ登って行き、陸橋で自分の線路を跨ぎ別の方向へ離れていく。
なるほどねえ、こういう形で線路は分岐するんだな。
こういう視点で都会を見るのもなかなか面白いものだ。
それも自分が旅人であるからである。





さてさて旅をするうえでどの列車に乗ってどこへ行こうかという事を決めるわけだが、今では便利なサイトがあって出発駅と到着駅と時間を入力すればどこそこで乗り継ぎで何時に着きます、というのを出してくれるものがある。
世の中便利になった物だが、これもネットが繋がっていればの話。
基本的な問題でネットが無ければそれも見れない。
そこでアナログな僕はやっぱり時刻表。
時刻表を一冊買って、それを旅の供とした。
もう時刻表の存在自体知らない人がいるだろうが、一冊の本で全てのJR路線と主だった私鉄の運行が乗っている本である。
最初の方のページは路線図、そこで何ページに出ているか調べてそこを開くとその路線の運行が表になっている。
そこで時間を調べメモしておき、乗り換えの場合はまた路線図に戻り乗り換え先のページを調べ時間を見るという具合である。
面倒くさいといえば面倒くさいが僕はこの作業がなかなか好きで、そうかこの駅で列車を1本遅らせれば途中下車でちょっとだけ散策できるな、とかこの乗り換えのタイミングだったら駅弁が買えるぞ、などと想いをめぐらせるのだ。
これぞ旅の醍醐味である。







楽しい話ばかりではない。
今回の旅であちこち廻ってやろうと目論んだ僕は、友達のミツグに連絡をした。
ヤツは昔ニュージーランドでガイドをやっていた男で、今は北海道の浦河という所で観光関係の仕事をしている。
僕も知らなかったのだが浦河とは襟裳岬のちょっと西側の辺りだ。
聞くとそこへ行く日高本線という路線が運休していると。
高波で線路が洗い流されてしまったらしい。
そうかあ、それならあきらめるかなと思ったのだが、その後山小屋と車で道東を巡る旅の途中で彼の地に寄りライブをした。
ご縁があったのだろうな。
ライブの後でその土地の人と酒を飲み話を聞くと、やっぱり鉄道が走っていないのは不便だと。そりゃそうだ。
街で見ても、人気のない駅舎と使われていないレールはなにか寂しそうだ。
この路線は赤字路線で、その復旧の為に巨額を投ずるというのはJR北海道という企業から見れば割が合わないのだろう。
完全復旧に57億円、必要最小限の修繕でも26億円かかるという。
それよりも北海道新幹線を早く開通させたいというのが本音ではなかろうか。
函館の辺りで高台の山に上がり景色を眺めた時に、新幹線の線路が畑の中を一直線に伸びているのが見えた。
北海道新幹線は函館には停まらない。
まあ地形を見ればそれも仕方はなかろうが、ここに新幹線が通っても函館に住む人にも函館に来る人にも不便だ。
いずれ札幌まで伸ばして東京と札幌を繋ぐという気持ちなのだろうが、東京の人が北海道に来るのなら飛行機で来るだろう。
誰が乗るのだ?JRパスを持っている人か?
そんなに必要か?新幹線。
新幹線を作るのに1兆5000億もかけるなら、その金のほんの一部、50億ぐらい日高本線に回してやればいいのに。
50億円って確かに大金だけど、1兆5000億円も1兆5050億円も大して変わらないじゃないか。
こういうところでも利権や金が中央に集まり、弱者、数の少ない者、地方というのがないがしろにされているのがよく見える。
社会の縮図だな。







北海道の路線で印象に残っているのが函館本線。
僕は黒松内から小樽方面へ乗ったのだが、まさに原野を汽車は走る。
本州から来たばかりというのもあったが、明らかに本州とは違う、まるで異国のような感じを受けた。
車の道が見えない川沿いの谷間を行く。
針葉樹の森に地表を覆っているのは熊笹だろう。
線路があるという事自体、人の手が何かしら入っているのだが、人間の営みが見えない。
本州で乗った生活臭プンプンのローカル線とはまたおもむきが違う。
地元の友達に勧められてこの路線に乗ったのだが、ううむ確かにすごいな。
ものすごい景色があるわけではない、あえていうなら何もない良さというのか。
この景色も地元の人にとってはつまらない物、汽車(電車ではない)の中の乗客も携帯をいじっている。
一回限りの旅人だから見えるものがあり、感じることがある。
山歩きでもそうなのだが、一人で旅をすると結局自分との対話、自分自身を見つめるという方向に行くような気がする。





小樽で電車を乗り換えしばらく走ると海沿いの線路になった。
日本海だ。
新潟、そして出雲で日本海を見たが、ずいぶん遠くまで来たものだと感慨にふける。
あっというまに汽車は大都会に呑まれ札幌に着いた。
札幌からは特急スーパーおおぞら、名前がすごいね。
新得という駅で乗り換えて富良野へ。
そして僕のJRパスの旅は北海道の美瑛町美馬牛駅で終わった。







そこからは移動の手段を車に変えて旅をしたのだ。
こうやってみると鉄道マニアではないけど鉄道ファンと呼んでいいだろう、つくづく汽車が好きなんだなあ。
何時の日か人類が宇宙へ旅立つ時が来たら、そりゃあ僕の交通手段は銀河鉄道だ。
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