あおしろみどりくろ

楽園ニュージーランドで見た空の青、雪の白、森の緑、闇の黒の話である。

過去を振り返る。

2015-04-25 | 日記
自分が生まれ育った場所、清水で時を過ごした。
九年ぶりの里帰り、そりゃ思うところはたくさんあるさ。
母親の墓参り、そして先祖代々の墓参り。
変わるのは自分。
今までならやらなかったであろう、お墓の掃除などをしてご先祖様に報告。
自分はこんなことをやっています。
人の道に反したことはしていません。
自分ができることをやっているつもりです。
これからもお守りください。
そんなようなことをきっちりと伝えた。
これは僕の考えなのだが、ご先祖様というのは守護神でもあると思う。
すでに死んでしまった親、祖父母、さらにその上といったご先祖様がいて、今の自分がいる。
当たり前の話だが、先祖のいない人は存在しない。
そしてその先祖である守護神様は僕がニュージーランドにいようと守ってくれる。
たまに帰って来た時ぐらい、きっちりとお墓参りをするのが人の道だろう。
お墓自体には霊はいないかもしれないが、それは生きている人の気持ち。
決して強制されてやるものではなく、自ら進んでやること。
だから気が向かない人はやらなければいい。
だからといってばちが当たるというものでもなし。
ご先祖様はそんなケチ臭いことは言わないと思うな。

今回の里帰りの目的の一つは、実家での片付け。
若い時に撮った写真でニュージーランドに持って帰りたいものを選ぶのだが、その数ざっと数千枚。
当然ながらアルバムに保存なんてしていない。
若い頃にバカをやった写真、スキー場で働いていた頃の写真、南米や南太平洋の島々を旅した写真、昔付き合っていた彼女の写真もあれば今の女房と付き合い始めた頃の写真もある。
とても全部など持っていけないので、選んでいき要らないものは片っ端から捨てていく。
捨てていくのだが数がハンパでないし、思い入れもある。
そうやって写真を整理していたら、今度は手紙の束が出てきた。
昔の彼女からの手紙が圧倒的に多い。
本当なら焚き火でもして、ノスタルジックな想いに身を焦がしながら一つ一つ燃やしていきたいところだが、とてもじゃないがそんなヒマはない。
一応ざっと開いて、全て燃えるごみ。
手紙と写真を整理するだけで丸一日使ってしまった。
手紙も写真も2000年以降のものは全くないのは、その頃にパソコンとデジカメを買ったからなのだな。
女房からの結婚する前にもらったラブレターがでてきたので、それを本人にメールで伝えたら、それは私ではありません、という返事が来た。
何枚かニュージーランドに持ち帰って娘に見せてあげようか。

さて以前のブログにも書いたが、今回は人に会うのが一番の目的である。
母親は20年前に他界して、その時の話はすでに書いた。
父親はまもなく八十になろうかという歳で以前から、「俺が死んでも帰ってくるな」と豪語していた。
僕は僕で「そりゃ、助かるな。是非ともポックリ死んでくれ」と頼んでいた。
「この馬鹿野郎、俺が死んであわてて帰ってくるなら、生きているうちに会いに来い。」というのは九年も顔を見せない息子への本音であろう。
死んだら全ては無になる、と本人が言うのだから死んだあとにブログのネタにしてやろうと思っているのだが、これがなかなかポックリいかない。
「今だったら死んだ時にわざわざニュージーランドから帰ってこなくていいからチャンスなんだけれどな」などと言ったら、この馬鹿野郎め!という顔をしていた。
それでも今までは話せなかった深い話もして、自分のやっていることも理解してくれた。
今回の日本ツアーで唄うマオリの歌も聴かせてあげられたので、最大の目的は果たせたと言えよう。
今でも父にいう言葉は「長生きしてくれ」ではなく「ポックリ死んでくれ」である。

実家でゆっくりできるかと思っていたが、あっという間に時間が過ぎ、旅に出る時が来た。
過去を振り返るのはよいが過去に縛られてはいけない。
日本のあちこちで僕を待っている人達がいる。
前に向かって進め。
ジャパンツアーが始まった。
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