あおしろみどりくろ

楽園ニュージーランドで見た空の青、雪の白、森の緑、闇の黒の話である。

ガートルートサドル

2015-02-04 | 
この国で自分のやりたいことリストというものがある。
未だ自分が行ったことのない場所や登ったことのない山で、歩いてみたいなと常々思っているコースがある。
スチュワート島のトレッキング、マウンットクックのボールパス、ヒーフィートラック、ワンガヌイジャーニー、トンガリロクロッシング、数を挙げていったらきりがない。
果ては土星の輪の上をマウンテンバイクで走るとか、まったく光が届かない海底の居酒屋で黄桜のカッパの姉さんと酒を飲むとか。
そこまでぶっ飛んでしまうと現実味にかけるが、わりと手の届くところでやりたいことは色々ある。
そのうちの一つにガートルートサドルの上でキャンプをする、というものがあった。
ガートルートはミルフォードサウンドに行く途中にある谷で、仕事で何回も近くを通ったことはあるが歩いたことはない。
日帰りでもいけるが、天気のよい時にテントを持っていきキャンプすると良い、というのは友人トーマスの意見だ。
こういう話は素直に聞くべきだ。



正月の喧騒が一段落したころ、2日間の休みがあった。
天気は上々、タスマン海にどかっと高気圧が張りだした。
こうなると安定した天気が続き、どこに行っても良いのでどこに行こうか迷ってしまう。
泊で山へ行こうとするとそれなりに準備が必要で、正直な話、面倒くさい。
日帰りでどこかへ行き、家に帰って来て飯を食いベッドで寝る方が楽だ。
こうやって山が遠くなっていく。
それでも大きなザックに寝袋とテントを入れると気持ちも入れ替わり、必要な物も見えてくる。
こういう山行でいつも悩むのは何を食い何を飲むか。
今回は一泊だけだし、寒くないだろうから、ガスや食器は無し。
夕飯はサブウェイのサンドイッチでも持っていくか。
あとはドライフルーツとナッツなどの行動食でいいかな。
酒は?景色の良いところでビールをプハっといくのがいつものやり方だが、尾根の上でビールを冷やす所があるかどうか分からない。
よって今回はワイン。
頂き物の上物のピノ・ノワールをザックに入れて家を出た。



テアナウのトーマスの所に立ち寄り情報収集、そして街で必要な物を買い足し、車を走らせた。
クィーンズタウンから車で三時間ちょっと、ガートルートの谷間に着いた。
駐車場で支度を整えていると、若い旅行者が話しかけてきた。
「車のバッテリーがあがっちゃったみたいなんだけど、何か持っていませんか?」
「おお、ジャンパーケーブルがあるぞ。どれ、繋いでやるからボンネットを開けてバッテリーを出してみろ。」
ダメ元で声をかけてみたけどという顔から、頼れるオジサンを見る顔へ急展開。実に分りやすい。
「ありがとうございます!助かります。」
僕の車には常に牽引用のロープとジャンパーケーブルは積んである。
自分が助けてもらうかもしれないし、人を助けることもできる。
その場で繋いでエンジンをかけてあげると、彼らは丁寧にお礼を言いにこやかに去っていった。
自分に出来ることをするのである。




午後も遅い時間に歩き始めた。
日没が9時近くなので、夕方からでも行動できるのがこの国の山歩きのいいところだ。
日本では雷を伴った夕立が多いので、とにかく早い時間に山小屋へ着くのが一般的だ。
日本には日本の歩き方があり、ここにはここの歩き方がある。
大きなU字谷の底を歩く。
今は夏だからいいけど、こんなところ冬は雪崩の巣で恐ろしいだろうな。
真横の岩の壁から何とも言えない威圧感を感じる。
岩がもつエネルギーというものだろうか、自然というものは美しくもあり同時に恐ろしいものでもある。
人間はそこでは圧倒的に無力だ。
無力な存在であればこそ、感ずる何かがある。



平らな谷底をしばらく歩くと、U字谷のどん詰まりにたどり着き、そこから登り始める。
この日は天気も良く、わりと多くの人が登っているようだが、この時間に自分より後に登ってくる人はいないだろう。
携帯は繋がらず、頼れるものは自分のみ。
単独行の時に感じるピリピリした緊張感は嫌いではない。
このコースはさほど難しくはないが、どんな簡単なコースでも山では人が死ぬということは分かっているつもりだ。
こんなとき旧日本式の考えだと、何かあったらどうするの?などという事を言うヤツらがいる。
不安という怖れから来る感情に縛られ何もできない人達、子供や孫に何もさせない人達がこの国をどんなつまらないものにしてきたか、本人達は分かろうとしないし死ぬまで分からないだろう。
「危ないからやめなさい」ではなく「こういう危険があるし、痛い思いをするのは自分だ。それを承知の上でやりなさい」と娘には言って育ててきた。
そして同じ言葉は自分にも常に言っている。





滝に沿って登っていくと平らで大きな岩に出た。
コースはその岩の上を行く。
オレンジマーカーは無いが、所々にケルンがある。
滝の横を上り詰めると小さな湖に出た。
きれいな湖の周囲をぐるりと岩が囲む。
そのなかでも比較的なだらかな場所に鎖がある。
斜度は30度ぐらいか。
上から人が恐る恐る降りてくる。
確かに上からは怖いだろうな。
転げ落ちたら、痛いでは済まないだろう。





岩は乾いていて靴のグリップが効くのでわりと楽に登れる。
ただし濡れていたり、もしくは雪が少しでも積もっていたら別の次元の話だ。
ハードな歩きを想像してたのだが、わりとあっけなくサドルに着いた。
そして向こう側の景色を見て息を呑んだ。
足元からは数百メートルの絶壁で真下は見えない。
そこからU字谷がクネクネと伸びている。
その先にはミルフォードサウンドが見える。
と言ってもミルフォードサウンド自体曲がりくねったU字谷なので全体はみえないが、スターリングの滝に舳先を突っ込んでいる観光船もはっきり見える。
何回あの船に乗ったことか。
それをこの角度から僕は見ている。
この経験は僕だけの物であり、こういう事をするために僕はここにいる。





サドルの上にテントを張り、着替えをしてくつろぎの時間。
登り始めの時間が遅かったが、わりと早く着いてしまったので日もまだ高い。
絶景を見ながらワインを開けた。
今日は大地に、だな。
大自然の中で徹底的に遊ばせてもらった日に飲む酒の最初の一口を大地に垂らす。
20年も前に相棒が始めた儀式をぼくは今でも律儀にやっている。
そういえば今シーズン初の「大地に」だな。
上物のピノ・ノワールが腹に染みる。
絶景に旨い酒。
後は何が要るのだろうか。



夜になって風が出てきた。
峠を吹き抜ける風がゴワンゴワンとテントを揺らす。
高気圧におおわれていても夜は風が出て寒い。
街にいると感じられない自然の営みがある。



朝になり周りの山に日が射し始めても、深い谷間には日が届かない。
やっと日が照り、温かくなる頃、テントから出た。
相変わらずとんでもない景色の中に僕は存在する。
次にミルフォードサウンドに行く時には向こうからこっちを見てやろう。
その時の自分は何を思うのだろう。



日が高くなり人もボチボチと上がってきた。
そろそろ潮時か。
僕は荷物をまとめ、山に手を合わせ拝み、下り始めた。




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2 コメント

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Unknown (聖)
2015-02-04 16:04:30
3年くらい前に前によしさんと登りました。なるほど、テントを担いで上でキャンプとまでは考えませんでした。いつか美樹を連れてあの絶景を見せてあげたいと思います。
Unknown (かつみ)
2015-02-08 22:04:30
16年前に登りました。
始めの橋が水に沈んでいて、いきなりブーツが濡れてスタート。岩も濡れていて、下りが怖かった記憶が。
自分の体験と重なりました(*^_^*)

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