司馬遼太郎の「竜馬がゆく」を1巻から8巻
まで完読しました。
今まで読んだ小説の中では一番の長編大作だった
けれど、寝る間を惜しみ読むほど夢中になれま
した。
■日本初の海運貿易会社「亀山社中」のちの「海援隊」
の設立
■仲が悪い薩摩藩と長州藩の同盟を結ばせた「薩長同盟」
■勝海舟と日本初の海軍学校の設立。
■坂本竜馬が新政府の政治について書いた「船中八策」
を参考にし明治の「五箇条の御誓文」が作られた。
■江戸幕府の幕を閉じさせる為に、幕府に働きかけた。
坂本竜馬を幕末の革命児、風雲児と見るだけでは無く
魅力的な人間である事を知っていただきたいです。
坂本竜馬は32歳で刺客から暗殺されましたが、志し
半ばの死だけに惜しいです。坂本竜馬は300年続いた
江戸時代を終わらせ、武家時代の幕を閉じさせた功労者
だったので、明治以降も生きていたら日本はまだまだ
変わっていたのかもしれません。
坂本竜馬は、とてつもなく大きな夢を追い、それを
現実化させ続けた。でも、さすがの竜馬でも1人では
偉業を成し遂げる事は出来なかった。竜馬は人に好か
れる人柄で、沢山の人に信頼を得ていたから、竜馬の
助けになってくれたり、仲間らが動いてくれた。
そんな人柄だから泥棒稼業の者まで竜馬の弟子になった。
坂本竜馬は揺らぎ無き信念を持っていて、自分のやり方
を信じて貫いた。周囲の意見で考えを左右されたり、
周囲の反対で行動を変えているようなら,竜馬について
来る者はいなかっただろう。新撰組や幕府から命を狙わ
れても「日本をよくする。日本を変える」という一途で
頑固だったから多くの仲間に恵まれた。
でも他人の意見に耳を傾けなかったのではない。
ジョン万次朗や勝海舟など、日本よりも発展している
海外を見てきた人の所には連日通い、外交の必要性を
学んでいた。
坂本竜馬とも交流があった岩崎弥太郎は竜馬の意志を
引き継ぎ、「三菱」を創設した。岩崎が商売の事を
学んだのは服役中の牢獄で相部屋だった男からだった。
日本が大きく変わったのは「大政奉還」のおかげです。
第15代将軍、徳川慶喜が政権を捨て、幕府を消滅さ
せてくれたから武家社会は消滅しました。将軍自らが
先祖伝来の地位を手放すとは凄い勇気です。坂本竜馬
の「日本のために・・・」というのに共感したからこ
そ、大改革が起こったのです。
坂本竜馬は、土佐藩を脱藩後は浪人の身でありながら、
有力者との関係を深め、日本を変えました。
坂本竜馬の言葉に
「事をなすにあたっては、人の真似をしちゃいかん」
というのがあります。誰も思いつきもしない新しい
発想とは世の中の批判や、反感を買うものですが、
常識,流儀、習慣にとらわれていたら新たな物は生
まれないと痛感させられました。
また、夢に向って思い切りチャレンジする素晴らし
さも感じ、完読後はとても清々しい気分になれました。
PS
時代を遡り、江戸時代を築いた徳川家康の事を茶化し
「織田信長が餅をつき、豊臣秀吉が餅をこね、徳川家康
が餅を食べた」と言う。戦国期の合戦では、大逆転勝利
をした今川義元 対 織田信長の桶狭間の合戦が印象的
です。15000人の今川軍に対し、1000人の織田軍
がダミー陣地、奇襲攻撃という作戦勝ちをしました。
戦力では遥かに不利でも、知恵により勝てる教訓を得まし
た。また、桶狭間の合戦の時は今川軍にいた徳川家康が
敗戦後はあっさりと織田軍との同盟を結びました。
徳川家康とは「長いものには巻かれる」タイプみたい
です。
まで完読しました。
今まで読んだ小説の中では一番の長編大作だった
けれど、寝る間を惜しみ読むほど夢中になれま
した。
■日本初の海運貿易会社「亀山社中」のちの「海援隊」
の設立
■仲が悪い薩摩藩と長州藩の同盟を結ばせた「薩長同盟」
■勝海舟と日本初の海軍学校の設立。
■坂本竜馬が新政府の政治について書いた「船中八策」
を参考にし明治の「五箇条の御誓文」が作られた。
■江戸幕府の幕を閉じさせる為に、幕府に働きかけた。
坂本竜馬を幕末の革命児、風雲児と見るだけでは無く
魅力的な人間である事を知っていただきたいです。
坂本竜馬は32歳で刺客から暗殺されましたが、志し
半ばの死だけに惜しいです。坂本竜馬は300年続いた
江戸時代を終わらせ、武家時代の幕を閉じさせた功労者
だったので、明治以降も生きていたら日本はまだまだ
変わっていたのかもしれません。
坂本竜馬は、とてつもなく大きな夢を追い、それを
現実化させ続けた。でも、さすがの竜馬でも1人では
偉業を成し遂げる事は出来なかった。竜馬は人に好か
れる人柄で、沢山の人に信頼を得ていたから、竜馬の
助けになってくれたり、仲間らが動いてくれた。
そんな人柄だから泥棒稼業の者まで竜馬の弟子になった。
坂本竜馬は揺らぎ無き信念を持っていて、自分のやり方
を信じて貫いた。周囲の意見で考えを左右されたり、
周囲の反対で行動を変えているようなら,竜馬について
来る者はいなかっただろう。新撰組や幕府から命を狙わ
れても「日本をよくする。日本を変える」という一途で
頑固だったから多くの仲間に恵まれた。
でも他人の意見に耳を傾けなかったのではない。
ジョン万次朗や勝海舟など、日本よりも発展している
海外を見てきた人の所には連日通い、外交の必要性を
学んでいた。
坂本竜馬とも交流があった岩崎弥太郎は竜馬の意志を
引き継ぎ、「三菱」を創設した。岩崎が商売の事を
学んだのは服役中の牢獄で相部屋だった男からだった。
日本が大きく変わったのは「大政奉還」のおかげです。
第15代将軍、徳川慶喜が政権を捨て、幕府を消滅さ
せてくれたから武家社会は消滅しました。将軍自らが
先祖伝来の地位を手放すとは凄い勇気です。坂本竜馬
の「日本のために・・・」というのに共感したからこ
そ、大改革が起こったのです。
坂本竜馬は、土佐藩を脱藩後は浪人の身でありながら、
有力者との関係を深め、日本を変えました。
坂本竜馬の言葉に
「事をなすにあたっては、人の真似をしちゃいかん」
というのがあります。誰も思いつきもしない新しい
発想とは世の中の批判や、反感を買うものですが、
常識,流儀、習慣にとらわれていたら新たな物は生
まれないと痛感させられました。
また、夢に向って思い切りチャレンジする素晴らし
さも感じ、完読後はとても清々しい気分になれました。
PS
時代を遡り、江戸時代を築いた徳川家康の事を茶化し
「織田信長が餅をつき、豊臣秀吉が餅をこね、徳川家康
が餅を食べた」と言う。戦国期の合戦では、大逆転勝利
をした今川義元 対 織田信長の桶狭間の合戦が印象的
です。15000人の今川軍に対し、1000人の織田軍
がダミー陣地、奇襲攻撃という作戦勝ちをしました。
戦力では遥かに不利でも、知恵により勝てる教訓を得まし
た。また、桶狭間の合戦の時は今川軍にいた徳川家康が
敗戦後はあっさりと織田軍との同盟を結びました。
徳川家康とは「長いものには巻かれる」タイプみたい
です。