日記

日記

2009年10月02日 | 徒然日記・日々の記録
今日はの一日となり、少し蒸し暑い日となりましたね。

午前寺院勤務

寺務・法要などして過ごす。

午後からやまなみプラザへ。

竹楊書道会・第143回目・書道修練。

いよいよ次回の昇段試験の課題に取り組んで参ります。前回は足踏みしてしまいましたので、今回は何とか昇段できればと存じます。

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画像専用のページ
http://ameblo.jp/hidetoshi-k

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これから更に仏教の学びを進めるための文献・第三弾

「現代仏教学を再生するためのホームページ」掲示板投稿内容。

「中観思想・基本的な議論の流れの復習」 2009年10月2日

・・中観思想について少し基本的な議論の流れを自分なりに改めましてまとめてみました。ご批正、ご意見、ご質問を賜りましたらと存じます・・

我(実体・アートマン・プトガラ)はある。・・実体論者

我(実体・アートマン・プトガラ)はない。・・空論者

「我がない」と主張する者は、「我がある」という前提において言えていることである。「我がない」と主張する者は、「我がある」ということを認めていることになってしまう(誤謬に陥る)。「我があるも我がないも、ない」・・中観論者

「我があるも我がないも、ない」と主張するものは、「我がないも我がないもない」ということを前提において言えていることである。「我があるも我がないも、ない」と主張している者は、「我がないも我がないもない」ということを認めていることとなってしまう(誤謬に陥る)。「我がないも我がないもないということもない」・・中観論者(離戯論・無執着)

一切には、我(実体・アートマン・プトガラ)がある。・・実体論者

一切には、我(実体・アートマン・プトガラ)がない。・・空論者

一切は、無我・無自性・空である。・・空論者

一切は無我・無自性・空というならば、その主張自体も一切に含まれるため、その主張も無我・無自性・空であるため、その主張は成り立たない。・・中観論者

「一切は空である」と主張する者は、不空(我・実体・アートマン・プトガラ)という前提において言えていることである。不空も一切に含まれるのであれば、不空なるものも空である。不空も空であるならば、一切は空であるという主張は成り立たない(誤謬に陥る)。「空も不空ということもない」・・中観論者

「空も不空もない」と主張する者は、「不空、不不空」という前提において言えていることである。「空も不空もない」と主張している者は、「不空、不不空」を認めていることとなってしまう(誤謬に陥る)。「不空、不不空ということもない」・・中観論者(離戯論・無執着)

中論・「観法品」(第十八・第六偈)『もろもろの仏は「我〔が有る〕」とも仮説し、「我が無い(無我である)」とも説き、「いかなる我も無く、無我も無い」とも説いている。』

中論・「観法品」(第十八・第五偈)『業と煩悩とが滅すれば、解脱が〔ある〕。業と煩悩とは、分析的思考(分別)から〔起こる〕。それら〔分析的思考〕は、戯論(想定された論議)から〔起こる〕。しかし、戯論は空性(空であること)において滅せられる。』、中論・「観法品」(第十八・第七偈)『心の作用領域(対象)が止滅するときには、言語の〔作用領域(対象)は〕止滅する。まさに、法性(真理)は、不生不滅であり、ニルヴァーナ(涅槃)のようである。』、中論・「観法品」(第十八・第九偈)『他に縁って〔知るの〕ではなく(みずからさとるのであり)、寂静であり、もろもろの戯論によって戯論されることがなく、分析的思考を離れ、多義(ものが異なっている)でないこと、これが、真実〔ということ〕の特質(相)である。』

「中論」の邦訳は、〔中論(上・中・下) 三枝充悳訳注 第三文明社・レグルス文庫〕からの引用。

・・ここまで。

「ブッダと龍樹の論理学―縁起と中道」を再読中。

石飛先生は、「縁起とは、因果関係ではなく相依相関を意味している」という解釈は誤解に基づくものであると考えておられます。現在の私の「縁起」の捉え方は、時間的縁起・空間的縁起・論理的縁起として、時空的縁起は因果関係を扱って説明するものですが、最終的には論理的縁起としての相依相関性の方を重視しております。石飛先生の説かれる「縁起」とは一体どういうものであるのか・・とにかくまだまだ考察して参りたい存じます。

石飛道子先生のインド論理学・インド哲学、龍樹論師・中観思想についての論考は実にいつも興味深いものがあります。目下注目の碩学でございます。
http://homepage1.nifty.com/manikana/

一つには、唯識思想における「依他起性の仮有」・「真如の実有」と、ツォンカパ・ラマの中観思想における「言説有」との相似・相違点の整理を自分なりにして参りたいと存じております。

ツォンカパ・ラマは、チベット仏教・ゲルク派(黄帽派)の開祖であります。現在のゲルク派の(観音菩薩様)化身ラマは、ダライ・ラマ14世でございます。ツォンカパ・ラマは中観帰謬論証派の論師でもあり、チベット仏教教学を大成しました。龍樹論師以来の中観思想・空の思想をどのように発展させていったのかを更に詳しく学んで参りたいと存じます。

▽「竜樹造「方便心論」の研究」
 石飛道子著・山喜房仏書林
▽「ブッダの優しい論理学―縁起で学ぶ上手なコミュニケーション法 」
 石飛道子著・サンガ
→○「ブッダと龍樹の論理学―縁起と中道」
 石飛道子著・サンガ
○○「ブッダ論理学五つの難問」
 石飛道子著・講談社
○「龍樹と、語れ!―『方便心論』の言語戦略」
 石飛道子著・大法輪閣
○○△「ツォンカパの中観思想―ことばによることばの否定」
 四津谷孝道著・大蔵出版
○○△「チャンドラキールティの中観思想」
 岸根敏幸著・大東出版社
△△○「中観と唯識」
 長尾雅人著・岩波書店
○「チベット仏教哲学」
 松本史朗著・大蔵出版
▽「中観と空1・梶山雄一著作集4」
 梶山雄一著・御牧克己編・春秋社
▽「空と中観」
 江島惠教著・春秋社

いつも、「現代仏教学を再生するためのホームページ」掲示板にて議論させて頂いておりますS・イマムラ先生が「C点による仏教論」を著されました。C点と仏教の真摯なるご論考でございますので、是非、皆様方もお読み頂けましたらと存じます。

「C点による仏教論」
http://www016.upp.so-net.ne.jp/jikuron/bukkyo/

施本「仏教・縁起の理解から学ぶ」
http://oujyouin.com/enginorikai.html
施本・「仏教・空の理解から学ぶ」
http://oujyouin.com/topengi.htm
施本「仏教・空の理解」
http://oujyouin.com/sunyatop.htm
施本「仏教 ~ 一枚の紙から考える ~」
http://oujyouin.com/buddhism1p.html
施本「佛の道」
http://oujyouin.com/hotokenomichi.html

これから更に仏教の学びを進めるための文献・第二弾

これから更に仏教の学びを進めるための文献・第一弾

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地震予知研究のページ
http://www.hide.vc/jishinyochi.html

南太平洋のサモア沖に続きまして、スマトラ沖・スマトラ島南部でも巨大地震が発生しました。被害に遭われました方々に心からお見舞い申し上げます。お亡くなりになられました方々の冥福を心からお祈り申し上げます。

関東方面(特に南部)は、もうしばらくの間、警戒継続と致します。

e-PISCO
http://www.e-pisco.jp/

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「09総選挙を振り返って」(長くなっていたため関連コメントをまとめました)
http://www.hide.vc/09sousenkyo.html

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