日記

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山背大兄王と生駒山 聖徳太子と道鏡

2024年06月18日 | ブログ
また、別の調査にて、山背大兄王が、蘇我入鹿らによる画策での襲撃によって斑鳩宮から逃げた際、生駒山麓で隠れられたのが、まさに生駒西麓で、今の上四条のあたりであった可能性も。

それが、隠れた先が、父、聖徳太子ゆかりの寺であり、当麻寺の前身とされている万法蔵院で、そこに逃げられていたという説も。

ならば、やはり天王堂が芝に、聖徳太子の勧めにて当麻皇子の建てられたお寺があった可能性が高まるわけです。

山背大兄王は、結局、斑鳩寺に戻り、一族、皆、自害されるに及ぶのであります…

ただ、子の弓削王一族は、河内八尾、若江に逃れて土着し、勢力を維持、その後に、道鏡が出世するわけであります。

道鏡は歴史上、かなり貶められて語られていますが、相当な学僧の智者でありました。

道鏡が天皇となるべくの宣託が、しかるべきにあったのは、やはり聖徳太子の子孫であったからかもしれません。

本当に天皇となってもおかしくない血筋であったわけです。


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