日記

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南木会趣意書の意義は大きい

2024年02月10日 | ブログ
江戸時代の往生院の歴史で、幕府からではなくて、松平信平の個人からの朱印拝領が明らかになったのは本当に大きい。

また、大きな銅製の仏像があったことは初めて知った。

江戸時代の往生院の歴史は、檀家総代であった池島村の庄屋、富家家の古文書に詳しくあったはずながら、明治期の寺院をめぐる混乱で散逸、滅却したようである。だから、江戸期の歴史も断片を他の資料から知るだけで、詳しくは分からないのである。

地租改正による上知令での寺領没収に、神道国教化に伴う神仏分離令による廃仏毀釈、これらにより往生院も寺院放棄の波が押し寄せたのであろう…

本尊など木製の仏像や仏具などの売却は免れたが、金属製の仏像や仏具は、ことごとく売り払われたことが記されてある。
大きな銅の仏像の全容も謎である。

しかし、なんとも罰当たりなことではあるが、そのような風潮の時代にあったのだろう。

廃仏毀釈で廃寺になった寺院も多い。往生院も廃寺寸前になりかけていたわけである。

そして、明治期最後の政譽住職の努力も実らず、ついに無住となってしまうのである。

この南木会趣意書は、結局、頓挫したとはいえ、明治政府に正式に提出した公文書で有り難い資料であった。

松平信平を通じて、後南朝とも繋がったのは大きい。

美作後南朝の抹殺された歴史を供養の意で見直さねばならない。


葬儀での引導法語について

2024年02月10日 | ブログ
随分前に聞かれたことに、引導法語について、どう組み立てるのか、であるが、その一定のあり方、形式は決まったものがあるわけではないとは思う。

当然に宗派によっても異なるし、日蓮宗さんや真言宗さんは長文丁寧であると感心することがある。

一方、臨済、曹洞は、漢文調を好み、簡素と言えば簡素である。

特に僧侶の葬儀では、法語を七言絶句のみを調える場合がある。

平仄式(ひょうそくしき)で、平字、仄字、平仄外字とルールがあり、また、起承結では七文字目を韻で踏まないといけない。

在家でも正式な葬儀法語となると、偈頌、法名、腹句、一字関、落句となるが、最近ではそこまで調えられることはあまり無くなってしまっているように思う。

わかりやすく、書き下しで、現代語で、簡潔に、となりつつあるだろう。

もちろん、一から全てを調えるのは、並大抵ではない。ある一定の例から引いてきて調えるのである。

それは、画像のように2月なら、2月らしい句(梅)を幾つも引いてきたり、人柄や来歴を鑑みてそれに合わせて引いてきて文言を代えて調えたりとするのである。

もちろん、平仄式で漢文を独自で書いていくのが良いのであろうが、なかなか難しい方が多いのではないだろうか、、拙生もそこまでは無理である…