日記

日記

晴れ

2010年05月03日 | 徒然日記・日々の記録
今日もとなり、かなり初夏の陽気となり、暑かったですね。

終日寺院勤務

寺務・法要・枯れた花抜き・ゴミ収集・草刈り・清掃などして過ごす。

今日もお参りは多かったです。かなり疲れましたね。

仏教最大の要諦「縁起」の理法・・増益(過剰肯定)と損減(過剰否定)を離れて、「縁起」のありようを理解することが仏教最大の一大事であります。これが非常に難しい・・特に「世俗諦」と「勝義諦」の「二諦」の解釈の難しさとも通じるところであります。とにかく、ツォンカパ論師の中観思想の学びを更に進めて参りたいと存じます。

山藤





誠に綺麗ですね。いよいよ満開へと向かいます。

迷いウサギ



あつ~

往生院民具供養館・開館20周年記念展の案内
5/5(祝)~15(土)10時~15時 職人の技・写真展
http://oujyouin.com/mingutokubetuten.html





・・

「ツォンカパ 中観哲学の研究4」・ケードゥプ・ゲルク・ペルサンポ著 深遠な空性の真実を明らかにする論書・幸いなる者の開眼(千薬大論)下を読み進め中。

集中的に再読していく論著

「チベット仏教哲学」松本史朗著・大蔵出版
「チャンドラキールティの中観思想」岸根敏幸著・大東出版社
「ツォンカパの中観思想―ことばによることばの否定」四津谷孝道著・大蔵出版
「ツォンカパ 中観哲学の研究1」
「ツォンカパ 中観哲学の研究2」
「ツォンカパ 中観哲学の研究3」
「ツォンカパ 中観哲学の研究4」
「ツォンカパ 中観哲学の研究5」
「般若経釈 現観荘厳論の研究」兵藤一夫著 文栄堂
「ダライ・ラマ 般若心経入門」ダライ・ラマ14世著、宮坂宥洪翻訳・春秋社
「ダライ・ラマの仏教哲学講義―苦しみから菩提へ」
 テンジンギャツォ著・TenzinGyatso原著・福田洋一翻訳・大東出版社
「チベット仏教成就者たちの聖典『道次第・解脱荘厳』解脱の宝飾」
 ガムポパ著・ツルティム・ケサン、藤仲 孝司共訳 UNIO
「心の迷妄を断つ智慧―チベット密教の真髄」
 チュギャム トゥルンパ著・宮坂宥洪訳
「チベット密教 修行の設計図」
 斎藤保高著・春秋社
「チベット密教 心の修行」
 ゲシェー・ソナム・ギャルツェン ゴンタ著、藤田省吾著 法蔵館
「チベット仏教 文殊菩薩(マンジュシュリ)の秘訣」
 ソナム・ギャルツェン・ゴンタ著 法蔵館

施本「仏教・縁起の理解から学ぶ」
http://oujyouin.com/enginorikai.html
施本・「仏教・空の理解から学ぶ」
http://oujyouin.com/topengi.htm
施本「仏教・空の理解」
http://oujyouin.com/sunyatop.htm
施本「仏教 ~ 一枚の紙から考える ~」
http://oujyouin.com/buddhism1p.html
施本「佛の道」
http://oujyouin.com/hotokenomichi.html

これから更に仏教の学びを進めるための文献・第三弾

これから更に仏教の学びを進めるための文献・第二弾

これから更に仏教の学びを進めるための文献・第一弾

往生院メールマガジン・NO.77
http://archive.mag2.com/0000098047/index.html

■ 十三仏・初七日導師「不動明王」様について

 前々号の往生院だより一月号の裏面にて、各回忌の御供養
の内容に関しての簡単な表を載せさせて頂きました。
 これから、シリーズにて十三仏につきまして私なりにまとめ
させて頂こうと考えております。今回は、まず初七日の導師で
ある不動明王様について扱わせて頂こうと存じております。
 不動明王様は、弘法大師空海が大陸より伝えたとされる密教
特有の尊格である明王の一つであります。
 密教の根本尊である大日如来の化身、あるいは、その内証・
内心の決意を表現したものと見なされています。密教では、
一つの「ほとけ」が、自性輪身・正法輪身・教令輪身という
三つの姿で現されているとし、自性輪身・如来は、宇宙の真理
・悟りの境地そのものを示し、正法輪身・菩薩は、仏説を説法
するお姿を示し、教令輪身・明王は、仏法に従わない者を教化
し、仏敵を退散させる実践的な働きを示し、不動明王様は大日
如来の教令輪身とされています。
 不動明王様は当山では、奥の院の更に山を分け入った奥の
岩瀧、境内御仏方における無縁塔のお隣と、十二支・酉年の
御守本尊の三体が祀られております。
 不動明王様は、よく子どもさんが「こわい」と言うように、
憤怒・鬼の恐ろしい形相をしています。これは、煩悩を抱え、
もっとも救いがたい私たち人間衆生を力づくでも救おうとして
いるためであります。
 「不動」とされるゆえんは、釈尊が悟りを開くために最後の
瞑想修行に入られた時、菩提樹の下に座して、「悟りを開く
までは、この場を立たず」と決心されて、数々の世界中の魔王
(煩悩)が釈尊を挫折させ、その場を動かさせようと押し寄せ
てきたものの、釈尊はついに負けず動かずに悟りを開かれた
ところにあるとされています。常に穏やかで慈しみに溢れた
表情をされている釈尊も、この時における魔王たち(煩悩)
と戦った時には、心の中は凄まじい憤怒・鬼の形相であった
ことがまさに不動明王様のお姿に現されていると言えます。
 不動明王様のお姿は、怒りによって逆巻く髪はまとめ上げ
られて弁髪となっており、法具は極力付けない軽装で、法衣は
片袖を破って結び、右手に降魔の三鈷剣(魔・煩悩を断ち切っ
て退散させる剣)、左手に羂索(悪を縛り上げ、煩悩から抜け
出せない衆生を救い上げるための投げ縄)を握りしめ、更に
火炎・迦楼羅焔(劫・見・煩悩・衆生・命の五濁のうち煩悩
から生じる人間の三毒である貪・瞋・癡を食らい尽くす伝説
の火の鳥の炎)を背負い、憤怒の形相で粗岩の上、「一切の
衆生を救うまではここを動かじ」と決意されている像容であり
ます。
 当山の境内無縁塔の隣におけるお不動さんの前には、八大
童子のうち「こんがら童子」「せいたか童子」の二体も祀ら
れています。
 お不動さんをお参りされる際には、五濁のうち特に煩悩から
生じる三毒である貪(むさぼり)・瞋(いかり)・癡(おろ
かさ)を反省することが誠に重要であります。また、亡くなら
れました方は初七日に、不動明王様から煩悩を滅するための
重要な教説を受けることとなります。そのため、しっかりと
御供養申し上げることが大切となるでしょう。

合掌。

不動明王慈救咒

のうまく さんまんだ ばさ(ざ)らだ(ん) せんだ(ん)
まかろしゃだ(や) そ(さ)はたや うんたらた かんまん