平和エッセイ

スピリチュアルな視点から平和について考える

三島由紀夫と2・26事件(12)

2005年12月17日 | 三島由紀夫について
 「人間宣言」というのは、昭和21年1月1日に出された次のような詔勅です。(原文は片仮名ですが、読みやすくするために平仮名に直してあります。また、旧仮名遣いを新仮名に直し、難しい漢字を一部平仮名に直しています)

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年頭の詔書

ここに新年を迎う。顧みれば明治天皇明治の初め国是として五箇条の御誓文を下し給えり。曰く、

 一、広く会議を興し万機公論に決すべし
 一、上下心を一にして盛んに経綸を行うべし
 一、官武一途庶民に至る迄おのおのその志を遂げ 人心をして倦まざらしめんことを要す
 一、旧来の陋習を破り天地の公道に基くべし
 一、智識を世界に求め大いに皇基を振起すべし

叡旨公明正大、また何をか加えん。朕はここに誓を新たにして国運を開かんと欲す。すべからくこの御趣旨に則り、旧来の陋習を去り、民意を暢達し、官民挙げて平和主義に徹し、教養豊かに文化を築き、もって民生の向上を図り、新日本を建設すべし。

大小都市の蒙りたる戦禍、罹災者の艱苦、産業の停頓、食糧の不足、失業者増加の趨勢等は真に心を痛ましむるものあり。しかりといえども、我が国民が現在の試練に直面し、且徹頭徹尾文明を平和に求むるの決意固く、よくその結束を全うせば、独り我が国のみならず全人類の為に、輝かしき前途の展開せらるることを疑わず。

それ家を愛する心と国を愛する心とは我が国において特に熱烈なるを見る。今や実にこの心を拡充し、人類愛の完成に向い、献身的努力をいたすべきの秋(とき)なり。

おもうに長きにわたれる戦争の敗北に終わりたる結果、我が国民はややもすれば焦燥に流れ、失意の淵に沈綸せんとするの傾きあり。詭激の風ようやく長じて道義の念すこぶる衰え、為に思想混乱の兆あるはまことに深憂にたえず。

しかれども朕は爾(なんじ)等国民とともに在り、常に利害を同じうし休戚(きゅうせき=喜び悲しみ)を分たんと欲す。朕と爾等国民との間の紐帯は、終始相互の信頼と敬愛とによりて結ばれ、単なる神話と伝説とによりて生ぜるものに非ず。天皇をもって現御神(あきつみかみ)とし、且日本国民をもって他の民族に優越せる民族にして、ひいて世界を支配すべき運命を有すとの架空なる観念に基づくものにも非ず。

朕の政府は国民の試煉と苦難とを緩和せんが為、あらゆる施策と経営とに万全の方途を講ずべし。同時に朕は我が国民が時艱に蹶起し、当面の困苦克服の為に、また産業および文運振興の為に勇往せんことを希念(きねん)す。我が国民がその公民生活において団結し、相より相たすけ、寛容相許すの気風を作興するにおいては、よく我が至高の伝統に恥じざる真価を発揮するに至らん。かくのごときは実に我が国民が人類の福祉と向上との為、絶大なる貢献を為す所以なるを疑わざるなり。

一年の計は年頭に在り、朕は朕の信頼する国民が朕とその心を一にして、自ら奮い自ら励まし、もってこの大業を成就せんことを庶幾(こいねが)う。

御名 御璽
昭和二十一年一月一日
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出典:『戦後詔勅集』(海燕書房)
参考:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%BA%E9%96%93%E5%AE%A3%E8%A8%80

 この詔書の、

「朕と爾等国民との間の紐帯は、終始相互の信頼と敬愛とによりて結ばれ、単なる神話と伝説とによりて生ぜるものに非ず。天皇をもって現御神とし、且日本国民をもって他の民族に優越せる民族にして、ひいて世界を支配すべき運命を有すとの架空なる観念に基づくものにも非ず。」

という一節のためにこの詔書は、「人間宣言」と呼ばれることになりました。

 『英霊の声』が問題にするのは、まさにこの一節です。

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〔・・・・〕彼〔総理大臣・幣原喜重郎〕は恐懼して、こう申上げた。
『国民が陛下に対し奉り、あまり神格化扱いを致すものでありますから、今回のように軍部がこれを悪用致しまして、こんな戦争をやって遂に国を滅ぼしてしまったのであります。この際これを是正し、改めるように致さねばなりません』
 陛下には静かに肯かれ、
『昭和二十一年の新春には一つそういう意味の詔勅を出したいものだ』
 と仰せられた。
 一方、その十二月の中頃、総司令部から宮内省に対して、
『もし天皇が神でない、というような表明をなされたら、天皇のお立場はよくなるのではないか』
 との示唆があった。
 かくて幣原は、改めて陛下の御内意を伺い、陛下御自身の御意志によって、それが出されることになった。
 幣原は、自ら言うように『日本よりむしろ外国の人達に印象を与えたいという気持が強かったものだから、まず英文で起草』したのである。
 その詔書の一節には、英文の草稿にもとづき、こう仰せられている。
『然れども朕は爾等国民と共に在り、常に利害を同じふし休戚を分たんと欲す。朕と爾等国民との間の紐帯は、終始相互の信頼と敬愛とに依りて結ばれ、単なる神話と伝説とに依りて生ぜるものに非ず。天皇を以て現御神とし、且日本国民を以て他の民族に優越せる民族にして、延て世界を支配すべき運命を有すとの架空なる観念に基くものに非ず』
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 この詔勅の由来に関する三島の記述はほぼ正確ですが、もう少し詳しく述べてみます。