平和エッセイ

スピリチュアルな視点から平和について考える

三島由紀夫と2・26事件(8)

2005年12月09日 | 三島由紀夫について
 『英霊の声』という作品は、三島由紀夫の肉体を借りての、磯部ら地縛霊の昭和天皇への訴えかけでした。その内容は、

(1)自分たちは、天皇への恋闕の情、赤誠をもって、昭和維新を目指した「義軍」であり、決して「叛乱軍」=「賊軍」ではない、と認めよ。
(2)日本が戦争に突入し、そして敗れたのは、天皇陛下が、正義軍であるわれわれを叛乱軍と見なし、「ナチスかぶれの軍閥」=統制派に味方したときに、国の大義が崩れ、国体が汚されたからである。したがって、日本の敗戦は天皇陛下の責任である。
(3)自分たちの行為に怒りを発し、自分たちを暗黒裁判によって極刑に処した天皇の心は、現人神としての「仁慈」に背き、単なる肉体人間の想いである、と認め、反省し、われらに謝罪せよ。

ということになります。

 共産主義者であれば、天皇にこれほどの憎しみをいだけば、あとは天皇制の打倒に向うだけですが、しかしながら、彼らは天皇への恋闕者として、昭和天皇を全否定することはできません。そこに、彼らのどうすることもできない矛盾と悲劇があります。

 そこで、天皇への恨み辛みをさんざん述べたあと、霊たちは一転、泣き叫びます。

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 そのとき私は、急に川崎君〔神主=霊媒〕の口から発せられた異様なひびきに愕かされた。
 それは鬼哭としか云いようのない、はげしい悲しみの叫びであった。彼はそれまで一度も崩さずにいた膝のまま、畳に打ち伏して、身をよじって哭きはじめた。
 私は今まであのような、痛切な悲しみに充ちた慟哭の声をきいたことがない。
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 この慟哭は、まさに磯部らの慟哭です。

 霊たちはこのように、『英霊の声』という作品を通して、自分たちの想いを一応肉体界に伝えました。しかし、それだけでは彼らは満足できないのです。昭和天皇が『英霊の声』を読まなければ、彼らの想いは天皇に伝わりません。読んだとしても、それだけでは、自分たちの怨念を訴えただけで、自分たちの赤誠は証明できません。それを証明するためには、

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われらは躊躇なく軍服の腹をくつろげ、口々に雪空も裂けよとばかり、「天皇陛下万歳!」を叫びつつ、手にした血刀をおのれの腹深く突き立てる。かくて、われらが屠った奸臣の血は、われらの至純の血とまじわり、同じ天皇の赤子の血として、陛下の御馬前に浄化されるのだ。
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というあの願望を成就しなければなりません。そして、彼らは同時に、怨念に駆られて、陛下を恨み奉ったあげく、「天皇陛下万歳!」も唱えずに死んだ、あの不義・不忠・不敬をも雪(そそ)がなければなりません。「天皇陛下万歳!」を唱えながら、赤誠の証しとして天皇陛下の御前で割腹自殺することによってのみ、彼らは天皇と和解ができるのです。この目的を果たすために、彼らは三島の肉体を利用したのです。三島は「天皇陛下万歳!」を叫んで割腹自殺をとげましたが、こう叫んだのは実は磯部浅一だったのです。

 五井先生が「他殺」と呼ぶ所以です。

 しかし、昭和天皇は、三島の、そしてその背後にいる磯部らの行為と想いを、「その方たちの志はよくわかった。その方たちの誠忠をうれしく思う」と嘉(よみ)したでしょうか? おそらくそうではなかったでしょう。法を無視した二・二六事件を嫌悪した天皇は、三島事件をも嫌悪したに違いありません。これは私の推測にすぎませんが、昭和天皇は、あの異様な三島割腹事件に、二・二六事件との不吉な関連をお感じになったのではないかと思います。

 青年将校らの天皇への「恋闕の情」は、天皇陛下の本心を知らない、まったく一方的な「片想い」であったと言わざるをえません。

 三島は『葉隠入門』で「恋闕の情」について、「もっとも官能的な誠実さから発したものが、自分の命を捨ててもつくすべき理想に一直線につながるという確信」であると解説しています。『英霊の声』では、「あれほどまでの恋の至情が、神〔=天皇〕のお耳に届かぬ筈はなかった」と言われています。

 しかし、「自分の命を捨て」るほど「誠実」であれば「理想につながる」という彼らの「確信」は、錯覚です。なぜなら、その「理想」はあくまでも「自分の」理想でしかないからです。男女の恋愛において、恋愛者は往々にして、自分が作り上げた理想像に恋愛しているのであって、現実の相手を見ていないことがよくあります。そういう人は、恋愛が結婚となって現実化したとき、つまり、理想につながった瞬間に、相手の現実の姿が理想とは違うことを知り、幻滅することになります。

 真実の愛は、その幻滅から始まります。相手の長所も短所も素直に認め、受け入れ、許せるようになってこそはじめて、それは真実の愛となるのです。自分が勝手に作り上げた理想像にいつまでも固執している人は、結局、相手がその理想像に合致しないという理由で、相手を憎み、非難し、責めはじめることになります。熱烈な恋愛が、成就したあと、しばしば破綻につながる所以です。

 理想が抽象的な観念や目に見えない神であれば、そういう幻滅はありません。人は、ドン・キホーテのように、現実にならない理想をいつまでも追い続けることができます。言い換えれば、いつまでも錯覚にひたることができます。しかし、理想が現実の肉体を備えた存在であれば、いつかは自分が作り上げた理想像と、肉体をもった存在とのズレを認識せざるをえません。

 磯部らの「神」は、肉体を持たない「神」、抽象的な観念ではありませんでした。肉体を持った神、昭和天皇でした。「現人神」という、神性と肉体性を兼ね備えた存在を、自分たちが勝手にでっち上げた理想像と同一視したところに、磯部らの根本的な誤りがありました。そして、「現人神」という観念は、戦前の日本を誤らせた誤謬でもあります。近代日本の歴史の秘密は、まさに「現人神」の観念にあるといっても過言ではありませんが、これについては別に詳しく論じなければなりません。

 磯部らの天皇への「恋闕の情」は、「股肱の老臣」を殺害された天皇陛下にとっては、迷惑千万な、一方的な片想い以外の何ものでもありませんでした。殺人犯が、「私は、人殺しをするほどあなたを深く愛しているのだから、あなたも私を同じように愛するべきだ」と迫ってきたようなものです。その上、相手が自分の愛を受け入れてくれないなら、相手を憎む、というのでは、まさにストーカーです。磯部らが、死後、怨念霊になったのもよくわかります。怨念霊とは、まさに幽界のストーカーだからです。

※「stalker」というのは、「面識もないのに、後を追ったり待ちぶせをしたりして、しつこくつきまとう偏執狂的な人」という意味です。

 「われらは躊躇なく軍服の腹をくつろげ・・・」の文を、三島(その背後に憑依している磯部)は、赤誠の証しとして書いています。しかし、この文は実に幼児的で自己中心的な幻想です。それはまさに、磯部らの未熟な精神状態を暴露しています。

 ドイツの社会学者マックス・ウェーバーは『職業としての政治』の中で、「責任倫理」と「心情倫理」を区別しています。政治的行為において問われるのは、結果責任、「責任倫理」です。自分たちは善意で行動したのだ、という「心情倫理」は、政治的失敗の言い訳にはなりません。現支配体制を暴力によって打ち倒すという青年将校らの行為は、紛れもなく政治的行為です。ところが、「恋闕の情」によって立つ彼らは、自分たちの想いが誠実である以上、天皇は自分たちの行為を認めるべきだ、という「心情倫理」しか知らないのです。そして、君側の奸である「醜き怪獣ども」を取り除きさえすれば、天皇親政ですべてはよくなる、と思いこんでいたのです。

 しかし、あの時代に天皇親政を導入すれば、日本がよくなり、対外関係もうまく行き、戦争を避けられた、あるいは戦争に突入しても、「神風」が吹いて日米戦争に勝利できた、とはとうてい思えません。

 天皇親政などをしいたら、経済も軍事も外交も、一切の政治的責任はすべて天皇に降りかかってきます。もし彼らのクーデターが成功し、天皇親政が実現していたら、日本の敗戦によって、天皇の戦争責任と政治責任は否定しようがないものとなり、昭和天皇は戦犯として処刑され、天皇制自体も廃止されていたかもしれません。青年将校らの考えは、現実(責任倫理)を無視した自己陶酔でしかありませんでした。

 これは、青年将校だけの思考ではなく、彼らを唆した皇道派の幹部の思考でした。皇道派の荒木貞夫大将は、こう言っていたのです。

「現在の日本では真の日本精神が蔽われている。これを顕わしさえすれば各方面の行詰りも自然と解消してゆく。自分は思想、教育、経済、財政、外交等について具体的な意見を持っているが、それは今言うべき時期ではない」

 これについて松本清張は、

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 つまり、「一切の問題を皇道精神で解決できる」というのである。また、具体的な意見はあるが言うべき時期ではないと答えたのは、実は言うべき具体案が何もなかったのである。しかし、彼のこうした日本精神的な派手な発言は青年将校たちに喜ばれた。
 荒木は国軍を「皇軍」といい、国威を「皇威」といい、日本を「皇国」といって、何でもかでも「皇」をつけた。なかでも外人記者団に語った「竹槍三千本論」は傑作で、竹槍があれば列強恐るるにたらずという説である。
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と揶揄しています。

 政治・経済・外交・軍事が複雑に絡まり合う日本で、具体的な政策もなく、国体を明徴にし、天皇親政にすれば問題がすべて解決する、というのはなんとも短絡的な思考ですが、こういう人物がその当時、国民大衆の人気を集めていたのです。青年将校らの信念もそれと同じでした。

 皇道派は二・二六事件で派閥としては権力の座から追放されましたが、その後の軍部はますます皇道派的な精神主義に傾斜していき、戦争末期には、まさに竹槍で本土決戦を戦うとまで言い出したことはよく知られています。このような精神的背景がなければ、神風特攻隊もつくられることはなかったでしょう。