平和エッセイ

スピリチュアルな視点から平和について考える

三島由紀夫と2・26事件(4)

2005年12月04日 | 三島由紀夫について
 三島の葉隠解釈の特徴は、彼がこれを恋愛論としても読解することです。

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 第二に「葉隠」は、また恋愛哲学である。恋愛という観念については、日本人は特殊な伝統を経、特殊な恋愛観念を育ててきた。日本には恋はあったが愛はなかった。西欧ではギリシャ時代にすでにエロース(愛)とアガペー(神の愛)が分けられ、エロースは肉欲的観念から発して、じょじょに肉欲を脱してイデアの世界に参入するところの、プラトンの哲学に完成を見いだした。一方アガペーは、まったく肉欲と断絶したところの精神的な愛であって、これは後にキリスト教の愛として採用されたものである。
 したがって、ヨーロッパの恋愛理念にはアガペーとエロースが、いつも対立概念としてとらえられていた。ヨーロッパ中世騎士道における女性崇拝には、マリア信仰がその基礎にあったが、同時に、そこにはエロースから断絶されたところのアガペーが強く求められていた。ヨーロッパ近代理念における愛国心も、すべてアガペーに源泉を持っているといってよい。しかし日本では極端にいうと国を愛するということはないのである。女を愛するということはないのである。日本人本来の精神構造の中においては、エロースとアガペーは一直線につながっている。もし女あるいは若衆に対する愛が、純一無垢なものになるときは、それは主君に対する忠と何ら変わりはない。このようなエロースとアガペーを峻別しないところの恋愛観念は、幕末には「恋闕(れんけつ)の情」という名で呼ぱれて、天皇崇拝の感情的基盤をなした。いまや、戦前的天皇制は崩壊したが、日本人の精神構造の中にある恋愛観念は、かならずしも崩壊しているとはいえない。それは、もっとも官能的な誠実さから発したものが、自分の命を捨ててもつくすべき理想に一直線につながるという確信である。
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 三島は西欧思想を十分に学んだ知識人でした。彼はここでは、アガペー(精神的愛)とエロース(肉体的・性的な愛)という西欧的概念を用いて、日本人の恋愛観を説明しようとします。三島が言いたいのは、日本人の恋愛観は、アガペーとエロースを区別する西欧人のそれとは違う、ということです。三島によれば、「日本人本来の精神構造の中においては、エロースとアガペーは一直線につながっている」ので、その両者を区別することはできないというのです。

 三島は、「エロース(愛)」と書いていますが、三島の文脈では、むしろ「エロース=恋」と読むべきでしょう。そのように読んではじめて、「日本では極端にいうと国を愛するということはないのである。女を愛するということはないのである」という文章が理解できます。すなわち、日本におけるいわゆる「愛」は、純粋に精神的な愛=アガペーではなく、むしろ「官能的な」要素、すなわちエロース=恋を強く含んでいる、と三島は言いたいのです。もし彼が言うとおり、「日本には恋はあったが愛はなかった」のであり、「日本では国を愛するということはない」のであるとしたら、日本にあるのは「国を恋する」ことだけ、ということになります。

 そして、国への恋=愛国心を、彼は最終的には、天皇への恋、「恋闕の情」へと結びつけていきます。

 私はここでは、三島が説く日本人の恋愛観が正しいかどうかは問いません。また、彼が日本では「国への愛」は「天皇への恋」になるという彼の愛国心解釈が正しい解釈なのか、それも問いません。ここではただ、彼が、天皇への崇敬の念を、エロス的な恋愛の一種(恋闕の情)として理解したかったのだ、というそのことのみを確認しておきます。

 このように見てくると、『憂国』は、死とエロスの融合(そこに「至福」が生じます)という、三島が理解した葉隠武士道的美学(見方によればきわめて西洋的な美学であることは、もう一度強調しておきます)の作品化であることが、あらためてよくわかります。彼がこの作品を自分の代表作とした所以です。

 『憂国』の翌年に書かれた戯曲『十日の菊』は、美しい死とは反対の醜い生の描写です。この作品では、「十・一三事件」(二・二六事件を暗示)で、反乱軍の襲撃をかろうじて逃れた重臣が、自分が青年将校に命を狙われた瞬間こそが、自分の生の最高の瞬間であり、その後の生はただの退廃であるにすぎないことを回顧します。彼の想起の中で、「十・一三事件」は、だらけた日常を打ち破る、非日常的な輝かしいオーラに包まれるのです。